雨宿の小屋にて
「――――あった! あれじゃないかしらっ?」
リーベが指をさした先には一軒の小屋が建っていた。
少し前から激しい雨に降られ、一行は急いでその目的地まで走る。
「ちょっと待ってろ」
アシュティンが小屋の扉に手をかけると、軋んだ音を立ててゆっくりと開いた。
……何かがいるような気配はない。肉眼で見た範囲でも問題はなさそうだ。
「……やっぱり誰もいないみたいだ。入ろうぜ」
中の安全を確認してからリーベ達を呼ぶ。
小屋に入ると一行はようやく一安心と息を整える。
「す……すごい雨だった、ね……」
「ええ……助かった。朝から天気が悪かったとはいえ、いきなりこんなに雨が強くなるなんて思わなかったわね」
マーギアの村跡を発って二日。
一行はシュテルが言っていた小屋に辿り着いていた。
話によると街道を利用する行人の為に作られた休憩所であるらしい。
陸端の森にあったマーギアへ行くのに途中から草地に入ってしまったため、道から逸れたポイントまで一度戻ることになった。
街道の位置まで戻るのは少々手間であったがシュテルに言われた小屋は北へ道沿いに進んだ先からほど近い場所にあった。
おかげで迷うことはなかったものの木陰もない道中で突然の強雨に当たり、みんな揃って慌てふためく事態になってしまった。
「ま、けど振り出したタイミングでここを見つけれたのは運が良かったよな。……それでも結構、濡れちまったけど」
"……!”
ヴンダーは濡れた体をブルブルと震わせ水滴を弾く。
「きゃっ びっくりした。ふふ、ヴンダーってば」
隣にいたヴェルメに水滴をもろに浴びせてしまう。
しまった、と一瞬ヴンダーは慌てるが彼女は楽しそうに笑いながら頭を撫でてきた。
「暖炉もあるわね。休憩所になってただけあって結構しっかりした作りになってるみたい」
「ああ。小屋って聞いた時はもっとボロいと思ってたけど」
リーベとアシュティンが感想を口にする。
確かに中は思いの外、充実しているようだ。
暖炉に簡易的なテーブルと椅子。寝具用に用意されたであろうリネン類が数枚、棚の上に積まれている。
使われない時間が積み重なり、どれも薄汚れて清潔とは言えないが雨風を凌いで一時的に身を休める宿としては十分と言える。
「体を乾かさないとね……今、火をつけるから。ヴェルメ、服を脱いで」
「うん、おねえちゃん」
そう言って二人は濡れた衣類を脱ぎ、暖炉の前に移動する。
「……俺、外に出てるよ。終わったら呼んでくれ」
暖炉から数歩後ずさり、アシュティンは気まずそうに口にした。
それを見たリーベは呆れたようにその行動を諫める。
「あなた、これ以上ずぶ濡れになるつもり? 変な気を遣わなくても、あなたに対してそんな心配してないから大丈夫よ。それより棚にあるリネンを持ってきてくれる?」
「俺が落ち着かねえんだけどな……わかったよ」
リーベが魔法で指先に火を作り、暖炉に火をつける。
それぞれリネンを体に巻きつけ、火の近くに座った。
「ヴンダーもおいで。一緒に温まろ」
言われるままヴンダーはヴェルメの傍に行き、一緒に包まった。
**
暖を取り、食事を済ませて人心地のついた一行は各々自由に過ごしていた。
アシュティンは部屋の隅に座りこんで槍の手入れをし、リーベは置かれていた木箱の中に数枚の毛布を見つけ、それらを取り出して埃を払っている。
ヴェルメは暖炉の前で丸まっているヴンダーの体を撫でている。
「――うん。これなら十分使えるわね。っ……あ、あれ……?」
毛布を抱えたリーベが突然、フラつきだした。
倒れそうになったところをアシュティンが支える。
「おい、気をつけろよ。大丈夫か?」
「あ……ご、ごめんなさい。なんだかフラついちゃって」
「おねえちゃん、大丈夫?」
「平気よ、ヴェルメ。気にしないで」
「疲れが出たんじゃねえか? かなり濡れたし冷えたのかも――あんま無理すんなよ?」
「心配しすぎだってば……まあ、でも今日は早めには休むわ。ありがとう」
そう言ってヴェルメに毛布を手渡してから、リーベも暖炉の前に座って落ち着いた。
「……しかし魔法ってホント便利だよな。火が欲しい時でもこうやって簡単に作れちまうんだから」
ぬくぬくと火の前でくつろぐ二人と一匹を見ながらアシュティンが言う。
「見た目より苦労してるのよ? 私、火は得意じゃないから指先程度の火を作るのも大変だし――」
簡単にと言われ少しムッとした様子でリーベは話す。
「そ、そっか……悪い悪い。ただ助かるなーって言いたかったんだよ」
「……シュテルさんもここに来てくれるんだよね? すごい雨だけど大丈夫かな……」
小屋を打ちつける雨音を聞きながらヴェルメが心配そうに呟く。
「そうだな……まあ早けりゃ明日のうちには合流できると思うぜ」
そう話すアシュティンはどこか複雑な表情をしていた。
「……彼女のこと、心配?」
「……まあな。けど、あいつ自身が考えて選んでくれたことだから。これ以上あれこれ悩んでたら余計な世話だって、あいつに殴られちまいそうだ」
とうに諦めていた再会を果たすことができた大切な友人。
また会えて、さらには同じ道を歩めて喜ばしいと思っている。
しかしその反面、本当にこれでよかったのかという感情も彼の中で渦を巻いていた。
一緒に来いと言った側のくせに煮え切らないとわかってはいても。
「――きっと大丈夫だよ、アシュティン」
「え?」
「勝手な考えかもしれないけど……彼女は後悔だけはしてないと思う。だから、少なくとも彼女が後悔をしない間は私達も……あなたも悩んだりする必要はないんじゃないかな」
「おねえちゃん……」
思い悩むなとアシュティンに伝える。
リーベは考える。
せめて自分を責めるような考え方はしてほしくない。
そもそも妹を守る為という理由で皆を意図的に巻きこんだのは自分なのだ。
悔やむのは自分。責められるなら自分になるべきだ。
間違っても他の誰かが自責に苛まれてはならないと。
「……そうだな。確かに俺が今ここで変に考えこんでても仕方ねえもんな。――ありがとな、リーベ」
「うん――さ、そろそろ休みましょう。……シュテルさんが来るまではここで待ってないといけないわね。明日には合流できるといいんだけど」
「だな。――俺は槍の手入れが終わってから寝るから、みんな先に休んでてくれ」
「ほどほどにね、アシュティン。それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみなさい、アシュティンさん。おねえちゃん」
それぞれ挨拶を告げ、横になる。
"……よかった。今日もみんな無事だ”
ヴンダーは何事もなく終わる今日に安心していた。
もちろんこの先もずっとこうではないことはわかっているが、安息の一日は一つでも多いほうがいい。
これまで戦った魔族はどれも恐ろしい敵だった。
あんな相手がひっきりなしに襲ってきたら、とてもじゃないがヴェルメを守り切れる気がしない。
ここに来てから怖い事だらけだ。
でも……魔王を倒す。それが出来れば少女の災難はきっと終わる。
そう信じて全力でやるしかない。
やがて皆の息遣いが今日を終えるためのものへと変わる。
それを見届けてからヴンダーもゆっくりと目を閉じた。
残念ながら明日を迎えるのは、皆よりもう少しだけかかるが。
◇◇◇
閉じられた白い箱の空間。
その真ん中に置かれた椅子に女は変わらず座っていた。
「やあ、雪。遊びに来てくれたんだね」
"……遊びになんか来てない”
……つい、まじめに答えてしまう。
女の適当な言葉にいちいちまともに返事するのは疲れるだけだってわかってるはずなのに。
「それで? 今日も何か訊きたいことがあるのかな?」
女はわかっているとばかりに尋ねてくる。
そうでなければ雪にとって、こんな所に来る理由はないのだから当然と言えば当然ではあるのだが。
屋根のある場所でようやく落ち着けた今、雪は抱えていた質問を女にぶつけることにした。
"どうせ見てたんでしょ? ならこっちが何を訊きたいかわかると思うけど――”
「グレンツェの森の最奥にあったあの"黒い壁”は何か、ってことかな?」
“……そう。ーーアレはなんだったの?"
シュテルに見せられたあの場所。
世界を切り取って生まれたかのようなあの光景。
あの得体の知れないモノの正体を知っておきたかった。
「知りたいの? 君が知って意味があるとはあまり思えないけれど」
“世界を救うならその世界のことは少しでも知った方がいいーーそう言ったのはアナタでしょ? 教えてもらうことに意味がないなんてことはないはずだよ"
おや、これは一本取られちゃったかなと女はこっちの言葉にわざとらしく返す。
……こっちもその前提で話をしていたが、やはりこの女はアレが何かを知っているようだ。
ならできるだけ聞いて理解しておくに越したことはない。
うーん、と思案しているような素振りだったが女はやがてゆっくりと話を始めた。
「と言っても別に大した事ではないんだよ? あれはあの世界におけるただの"果て”だ。君の仲間もそう表現していたと思うけど、文字通り端の端の景色がああなっているってだけさ」
女はまるで些末な事だとでも言うようにサラリとそう口にする。
"世界の……果て? じゃあ、あれは――”
「最初に話したよね。あの地――グロスブルーメは八角形の陸として存在していると。つまりそれで全てなんだ。人類も他の動植物も魔族も、息づく者は全てがあの陸一つで完結している。それがあの"花”の全てなんだよ」
"――――”
女はテーブルに乗った鉢の一つを指差しながら事もなげに話した。
……これはどう受け取ればいいのだろう。
あの大地にある物が全て。他には言葉通り何も存在しない。
そもそもが自分が元いた世界とは全く違う。
あの世界がそういうものなのだと言われてしまえばそれまでのような気もするが。
でも……何か。本当にそれで納得していいのだろうか。
「死穢の大穴なんて、またオシャレな名前をつけたものだよね。ボクから見ればアレはただ何もないだけの場所でしかないんだけど、あの地の人々にとっては死を連想させる根源的恐怖として映るらしい」
まあ触れれば消滅してしまうのだから間違った認識というわけではないけれど、と興味深そうに女は話す。
"……つまり。あの世界自体が最初からああなってるだけで……魔王が悪いことをしてるのとは関係がないってこと、なんだよね?”
自分でもはっきりしない感情のまま、とりあえず雪は自分の認識が正しいか確認するため女に質問をする。
「うん。あの現象の発生そのものは魔王とは関係ないね。でも全くの無関係とは言えないかな。なにせあの"黒穴”が狭まっているのは彼ら魔性の行いが理由でもあるからね」
"――――待って。今、なんて?”
狭まっている? それは、つまり――――
「あの黒穴はグロスブルーメをぐるりと囲っている。悪影響を受けすぎた“花"は腐って死ぬと教えたけど、それは世界があの黒穴に飲み込まれるということだよ」
“なーーま、待って。世界が飲みこまれるっ? じゃあ、アレってーー“
「そんなに驚くことかい? 魔王を倒さないと世界が死ぬのは最初に説明した通りさ。アレはその死にかけの様子が可視化されたものに過ぎないんだ」
確かに説明はされたが、あんな形だとは聞いてない。
あの真っ黒なものがヴェルメ達の世界を飲みこんでいるなんて。
目の当たりにした不気味の正体を知って、雪は冷静でいられなかった。
“なんでそんな大事なことーー! いつ……いつまで持つの!? アレはいつみんなをーーッ!"
「落ち着いて、雪。そんなに慌てなくても君がいる限り、すぐにそうはならないよ」
"え――?”
「これらの"花”には何か異常が起きても自らそれを取り除く自浄機能が備わっている。例えば魔王や魔族に抵抗の意思を持つ勇敢な国の兵士達、または勇者とかね。発生した毒は本来、自身の中で自然と浄化されるものなんだ」
"自分のことを自然に浄化する? 勇者みたいな魔王と戦った人達も"花”の……そういう意思で生まれたってこと?”
「うん。それぞれの世界を形成している"花”そのものにも命があるからね。自身の中で発生した毒に抵抗する為に自ら働きかけることもするんだ。それが勇者であったり――グレンツェの森だったりもするね」
"え? あの森?”
「あの黒穴は人々の目には視えなくなっていたでしょ? そして森の奥へ行ってはならないと全ての生物が認識の中に刷り込まれている。あれらは"花”が自身を守る為に行った緊急的な措置なんだよ。崩壊していく自分の体を見せない為のね」
グレンツェの森の奥に行ってはならない。
誰も疑問に思わないほど当然の事として全ての人間に植えつけられていた認識。
シュテルは言っていた。
そんな真似は魔族にも魔王にもできない。全能の神でもなければ不可能だと。
その話を聞いてから正直この女が関与しているのではと疑いもしていたのだが。
そうではなく世界自体が勝手にそうしただけだと女は話した。
アシュティンの兄――勇者もあの世界が自分を助けてほしいが為に用意した逸材なのだと。
言い方は気に喰わないが女はそう言いたいのだろう。
でも――――
「そうだね。彼らは上手くいかなかった。残念なことに自浄作用だけではどうにもならないほど強い毒に蝕まれてしまうこともあるんだよ。そういう時に必要になるのが君――いや、"君達”のような存在なんだ」
他の"花”から移された命。
つまり自分や、トマリのような――
「ようするに君は"花”を延命する為の薬剤だ。だから君が生きて、魔王を倒すという薬としての役割を持って動いてくれている限りは今すぐ世界が消えて無くなることはないよ。ーーああ、ただ……」
“……なに?"
「あの"花"があんな有様になっているのは魔に支配され、世界を回す主導権を盗られてしまったからだ。つまり"花"自体の生命維持には人間という種の存続とその活動力が強く関わっている。ーー言いたいこと、わかる?」
“……人間が減っていくほど、世界が死ぬ時が早まる?"
女はニコリと微笑む。
理解してくれて嬉しいという肯定の意思。
「君という薬が"花"の身体を巡ることで崩壊の足を遅らせることが出来ている。でももし支配を楽しんでいる魔族達が何かをキッカケに殺戮へと舵を切ったのならーー」
薬の効力など表れることもなく世界に速やかな死が訪れる。
……この女はどうしてこんな最悪な事実をこうもサラリと。涼しげに言えてしまうのだろう。
世界を救ってほしがっているはずなのに、とてもそうは感じれない時がある。
この女のそういうところが怖い。
少なくとも敵ではない。
敵ではないという認識があるからこそ、尚更この女が恐ろしかった。
「でも心配しなくていい。焦らなくても魔族は今も支配という享楽にふけっている。まだ当分飽きることなく続けるだろう。それに君がグリューン国を解放したことも間違いなく良い方向に作用しているからね」
慰めのつもりか。いや、ただ事実を口にしただけか。
女はニコリと微笑むと椅子から立ち上がる。
「とりあえず聞きたがってることには大体答えられたかな。今回はここまでにしておこう。気になることができたら、またいつでもおいで」
こちらの返事も待たずに女がそう告げると、雪の意識が薄れ視界が暗くなっていく。
「おやすみ、雪。多難に負けず、どうか頑張って――――……」
◇◇◇
「ヴンダー。――――ヴンダー、起きて」
耳元で声が聞こえ、ヴンダーは目を開ける。
見上げるとヴェルメが顔を覗かせている。
その表情はどこかホッとしているようだった。
ヴンダーは軽く辺りを見回す。
アシュティンが見当たらない。リーベはまだ寝ているようだ。
暖炉の火からパチパチと弾ける音が聞こえている。
その時ギギ、と軋んだ音を立て小屋の扉が開いて外からアシュティンが入ってきた。
「お、二人とも起きたんだな。外はすっかり晴れたぜ。食料も取ってこれたから、メシにしようぜ」
そう言った彼の手には仕留めたと思われる獣が二匹握られている。
ウサギのような見た目だが額にはドリルのように捻じれた形の角が一つ生えている。
ケニンヘという名前らしく、ここに来るまでにも何回か食べた獣だ。
とても美味しかった記憶が蘇り、ヴンダーの尻尾の動きが激しくなる。
「おねえちゃん、起きて。ごはんだって――」
「なんだ、リーベの奴まだ寝てんのか? いつも最初に起きてるくらいなのに珍しいな」
確かに。いつもならみんなを起こす役はリーベなのだが、今朝はまだ毛布に包まったまま起きる様子がなかった。
昨夜は少し調子が悪そうにも見えた。
もしかして雨に当たったせいで風邪をひいてしまったのだろうか?
「…………おはよう」
皆が心配そうにしているとリーベがムクリと体を起こした。
「お、おはよう。……大丈夫、おねえちゃん?」
ヴェルメが恐る恐る尋ねる。
リーベの表情は酷く気だるげで、明らかに普段と様子が違っていた。
「う、うん……ごめんなさい。どうしたのかしら……なんだか、すごく体が、重くて……」
「……こいつはマジに体調悪そうだな。無理しなくていいから横になってろ」
「でも――」
「でもじゃないよ、おねえちゃん。休まないと、ダメっ」
「ああ。どっちみちシュテルを待たないといけないんだ。今は少しでも体を休めてくれ――いいな?」
「……そうね。本当にごめんなさい……迷惑かけて」
リーベはペコリと頭を下げた。
ヴンダーもそんな様子の彼女を心配そうに見つめる。
……人間が具合を悪そうにしているのを見ると不安になる。
建物で休めたタイミングだったのが、せめてもの救いではあるか。
ヴンダーがそう考えていると突然、バタッと大きな音がした。
"っ!!”
「――リーベ!?」
リーベが倒れた。
休む為に横になった――とは違う。
力が抜けてその場で倒れてしまったようだった。
皆がリーベのもとに駆け寄る。
彼女の体は汗に濡れ、苦しそうに荒い呼吸を繰り返している。
「おねえちゃん!? ――おねえちゃんっ!」
「ぅ…………っ」
返事はない。
彼女を蝕む何かは彼女が声を出すことすら許さないかのよう。
「はぁ……、は……っ」
突然の事態に皆が戸惑いを隠せない。
彼女の苦痛を訴える息遣いがヴンダーの耳に強く響いていた。




