ゲルプの暗影
いつからだろう。
人間という種はーーいつから終わりを運命づけられていたのだろうか。
勇者様御一行が魔王に敗れたから?
確かにそう口にする者は多かった。
いや、そうではない。あの方達は現れた絶望にただ抗っただけだ。
憎む者も落胆する者も少なくない。しかし、それでもあの方達に罪などない。
我ら全ての為に立ち上がってくれた勇敢な者達をどうして責められようか。
そもそも、あの方達の結果がなくとも人の行く末は定められていたのだ。
生命を――人を蹂躙する為だけに現れたあの魔。
あんな怪物達が誕生した、かつての時点で。
世界はとうに人間を見限っていたに違いないのだから。
***
「…………」
……窓から差しこむ日の光と外から聞こえる喧騒で目が覚めた。
ちょっとしたうたた寝のはずが、どうやら椅子に座ったまま寝ちまっていたらしい。
「フン……どうせどこで寝たって変わりゃせん」
奴らは昼夜関係なく騒ぐ。
どれだけ深く眠ろうとしても耳障りな喚き声と鼻をつくような異臭は常に空気に混ざり、安息をもたらすことはない。
人間はいまや奴らの家畜だ。
ゲルプはもう人間の物ではなくなっている。
「……」
……八十年。
このゲルプ国の庇護を受けながら八十年の間、生きてきた。
息子と嫁、孫と一緒にこの家で。ささやかでも確かな幸福感を抱きながら。
――だというのに今はもう誰もいない。
こんな老いぼれた女だけが未だに一人残っている。
ゲルプ王の下で栄えていたこの国は魔族の手に落ちた。
長く慣れ親しんだこの間取りの家も今では牢獄だ。
各々、家の中での自由は許されている。
だが連中に無断で一歩でも外に出てしまえば、耳を覆いたくなるほどの悍ましい笑い声と悲鳴が辺りにさらされることになる。
それを覗こうとは思わない。聴くだけで気が狂いそうになるのだ。
そんな光景を目にしてしまえば、きっと耐えられない。
「ああ……うるさいね、まったく」
外から入ってくる奴らの騒音は頭が割れそうになるほどやかましい。
どこか楽しそうにも聞こえる声が耳に入る度、悪態をついちまう。
布を被ってもう一回、寝るとするか。
「…………うん?」
……なんだろうね? 外が妙に騒がしい。
いや、やかましいのは毎日のことだが今聞こえる騒ぎは少し様子が違う気がする。
何かを見つけて興奮してはしゃいでいるような。
……ああ、これは覚えがある。以前には何度も聞かされた声だ。
小さいものを踏み潰すことが楽しくてたまらないと腹の底から嗤う声。
いたぶれる獲物を手に入れた時、奴らは決まって狂喜するのだ。
アギッ! ぎゃああ……ッ ァァァ…………ッ!
「ああ……なんてことだい、馬鹿が……っ」
連中の騒ぎの中に人間の叫び声が混ざる。
もうとっくに皆、諦めたと思っていたのに。
逃げようとした誰かが当然のように捕まり、今まさに奴らの肴になった。そういうことだろう。
外がどんな惨劇になっているかなど想像したくもない。
早く終わっておくれ。もう聞きたくない。
恐怖と苦痛に満ちた叫び声は嫌でも息子達の最期と重なってしまう。
もう勘弁しておくれ。
誰か知らんが無理だとわかりきっていたはずだ。
何を考えて今さら逃亡に踏み切ったのだーー
……ぅぁぁーーーーん……っ! おかーさん……! おとうさぁーーんっ……!
「っ!? あぁ……、そんなっ」
最悪だ。どこの家の奴らだ。ふざけるな。
自分の子まで連れ出したなら、せめて確実に逃げきれ。
出来ないなら大人しくしてたほうがまだマシだった。
よくも。幼い子どもによくもこんな――――
「くそ……っ あぁ、くそ……!!」
***
「おかあさんっ!! おとうさぁぁん……っ!」
暴力的な手と口によって少年の両親が千切られていく。
ゲッゲと笑う声に弱者の叫び声が消されていく。
そしてたくさんの恐ろしい目がその場でへたり込む子供を見下ろす。
「ぁ……うあぁ……」
「やめろッ!!」
必死で叫んだ。足腰の弱った身体に鞭を打って駆け寄った。
考えなどない。ただ幼い少年に向けられようとする凶行が許せず、魔物の前に立った。
「やめろ! 近づくんじゃないよ、この化け物どもがッ!」
まったくなんて大きさだい。
大人の人間の二倍以上もある異形の集団がこっちを見下ろしている。
嫌でも冷や汗と震えが止まらない。
この老体じゃそれだけで倒れちまいそうになる。
こっちを見て異形共は益々、騒ぎ出した。
嗤っている。突然飛び込んできて喚く小さな生き物を。
そして喜んでいる。好きにできる肉がもう一つ増えたことを。
家から出てはならない。
その決め事を破ったのだから、こいつらに何をしても問題はない。
この肉はもう自分達の物だ、と。
「……逃げろ。早く逃げないか!」
「ぁ……ぁぁ……」
子供は座りこんだまま震えて動けない。
仮に動けたとしても一人でこの場から逃げきるなど到底、不可能ということはわかりきっている。
それでも私にはそう促すことしかできない。
「くそ……死んでしまえ、お前達など……!!」
ああ、無力だ。出来るのはこうやって呪いを吐きかけるだけ。
武器を手に取って戦うこともできない。
こんな老いぼれがこんな恐ろしい魔物達から子供を守ることなんてできやしないのに。
魔物の一匹がこっちに近づいてくる。
アタシとこの子を殺す為に。奴ら自身に振る舞う肴に変える為に。
クソ、化け物共。一匹残らず滅んでしまえーー
「ギッ!? グウゥ……ッ」
「…………?」
……手が伸びてこない?
閉じていた目を開けて確認すると辺りにいる魔物が固まったように全員止まっている。
なんだ? 自分の悪態が本当に呪詛となって、こいつらを蝕んだというなら実に胸のすくことだがそんなはずもないだろう。
よく見るとこいつらは一様に同じ方向に目をやっている。
その表情には畏怖と崇敬の念が混ざっていた。
「うっーー」
「ああ――これは酷いなぁ。ダメじゃないか」
この場に似つかわしくない軽薄な声が辺りに響く。
そんな態度で持って全員の視線の先から現れたのは――奴だ。
災魔シャトゥン。
「ホント困ったもんだ。君達が食べていいのは死体だけ。生きた人間は全て僕の管轄だと教えたろう? 逃亡を図ろうが反旗を翻そうが君達が好きにしていい許可は降りないんだーーそこをわかってほしいんだけどなぁ」
人間は君達より貴重なんだから。
そう言って奴は指を横にくい、と線を描くように動かす。
何が起きたのか。
瞬間、目の前にいた魔物共が一匹残らず細切れになって地面に落ちた。
ドシャドシャと音を立てて大量の血肉が降り注ぐ。
だがどういうわけか血飛沫は一滴たりともこっちにはかからない。
「オークにゴブリンーー出来るだけ知能を持つように作ったんだけどねぇ。実際、物を覚えることはできるんだけど、反面忘れるのも早くてね。便利に使うには中々難しいよ。こういう時、ネストがいないのが惜しくなってくる」
こっちに話しかけているのか独り言なのか。
愚痴のような内容も愉快そうに目の前の魔族は語っている。
「んー……」
「!! ひっ」
奴が子供に近づいていくーー殺す気かっ
「よせっ! やめろ!!」
「ーーすまなかったね、坊や。僕も君の両親のことを考えて口惜しく思っている。だってそうだろう? 彼らは君を連れてここから逃げようとした。なのに話を何一つ聞かず肉の塊にしてしまうなんてもったいないじゃないか」
シャトゥンは子供の前でしゃがむと優しくその頭を撫でている。
もちろんそこに慈愛の心などない。
この国に破滅をもたらした元凶。あの魔族にそんなものがあるはずがない。
「だからーー代わりに君から話を聞いてみることにしよう」
「離れろ、化け物! その子に近づくなッ!!」
シャトゥンは楽しそうな表情を崩さないまま、こっちを見る。
「もちろん君もだよ、素敵な老婦人。君達二人は今から僕の客人だ。
是非城まで案内させてくれ。さあ、ついてきて」
そう言ってシャトゥンは楽しそうに鼻歌を交えながら一人、城へと戻っていく。
親しみを感じる穏やかな口調だが有無を言わせない圧も感じる。
行くべきではない。今まであの城に招かれた者は誰一人戻って来なかった。
だがどの道、今逆らったところで魔物の餌になりかけた先と大差ない結末になるだろう。
「ひっくっ おかあさん……おとうさぁん……っ」
「……お前、アデリナのとこの子だね。家族全員で逃げようとしたわけだ」
「う"う"ぅ~~っ あぅ……っ」
……ああ、めんどくさいねぇ。子どもは本当に面倒だ。
「ここで泣きじゃくったってどうにもならないよ。腹をくくれとは言わないけどね、こうなった以上は奴の言葉に従うしかないんだ。立って、アタシについておいで」
「っ……、ぅぅ……っ」
泣き面でブンブンと首を振っている。振る方向が縦なら言うことなかったが。
こっちだって好きでこんなこと言いたくないが他に選択肢はない。
形はどうあれアタシ達は今、紛れもなく命拾いをした身だ。
その立場を少しでも継続させたければ、少なくとも今はあの男の言葉に従わなくては。
「お前に手出しさせたりしない。だからしっかりおし。お前の親の為にも立つんだ」
「……っ」
こんな老いぼれにとってそれがどれほど困難かは考えるまでもないが。
だがその決意だけはある。絶対にやらなくては。
ああ、お願いだ。たったこれ一つだけでいいから。
せめて希望を持ったまま、私を逝かせておくれ。
***
ーー城に招かれたあの後。
まずは休んで気分を落ち着けるといいと言って、あの魔族はアタシ達を一室へと案内すると何をすることもなく部屋を出て行った。
連れてこられた部屋は王が使う寝室だ。
目にする機会もなかった豪奢な作りが部屋の端々にまで見られる。
埃がわずかに積もっているが意外にもほとんど荒れた様子はない。
もういない主の戻りを待つかのように、かつてと変わらぬだろう華美を保っている。
こんな場所で気分を落ち着けろなどふざけたものだと思ったが、あの子は疲れ切っていたのだろう。
案内されてすぐ、天蓋のついたベッドに向かい倒れるように眠ってしまった。
あれからしばらく時間が経っている。そろそろ日が沈む頃だ。
「はぁ……」
城に来てからのわずかな間で何度目かわからない溜息をつく。
シャトゥン……相対したのは初めてだがまったく気味が悪い。
災魔の一人。このゲルプ国を支配した魔族。
民は皆、とりあえずは生かされているが城の者は残らず……
ニコニコと明るく笑い、親しみのある口調で語りかける。
圧倒的捕食者が見せるソレはなんと悍ましいことか。
「……おばあちゃん?」
「っ! あ、ああ……起きたのか。少しは休めたかい?」
子供はむくりと起き上がると、こっちをじっと見てくる。
「おばあちゃんは……?」
「アタシ? アタシのことなんかどうだっていいだろう」
「なんでそんなこと言うの? 助けてくれたのに……」
「……お前はこの状況が助かったと思うのかい」
手出しさせないと言った意思に嘘はないが、この子をあの場から動かす為の方便であったことは否定できない。
今もずっとこの子をここからどうやって逃がすかばかり考えているが、有効な手立ては何も思いつかない。
「おばあちゃん、おかあさんのこと知ってるの……?」
「……挨拶くらいはしたことあるかね。別に知り合いじゃないよ。これだけ同じ国で長く生きてれば、近所の顔くらい嫌でも覚えるってだけの話さ」
それだけ口にすると子供はポロポロ涙を流しながらすすり泣き始めた。
普段なら鬱陶しく思って終わりだっただろうが、この状況では大声で泣かないだけ頑張っていると言えるだろう。
「ぼく達……殺されちゃうの?」
子供がポツリと呟く。
目の前で両親が解体されていくのを見たのだ。
自分も同じ末路に続くことを想像してしまうのも無理からぬことだろう。
「……アデリナ達も馬鹿な事をしたもんだ。脱走なんて無理に決まっているのに。なんで今になって逃げようなんてーー」
「……おかあさんもおとうさんも、ぼくを連れて逃げようとしてくれたんだ。ぼくが……お城に呼ばれたから」
「!! ……そうかい。今回選ばれたのはお前だったのか」
何日かおきにシャトゥンは町の者から一人を選んで城に招く。
城に呼ばれて生きて帰った者は誰もいない。
合点がいった。アデリナ達は逃げられると自惚れて愚行に走ったのではない。
我が子が贄になることを認めない為には他に選択の余地がなかったのだ。
「悪かった……アタシにお前の親を侮辱する権利なんてありゃしないのにね」
「ぼくも、バラバラにされて食べられちゃうんだ……っ」
「そんなことは絶対させやしない。気をしっかり持つんだよ」
気休めでもいい。心を折らないよう励ます。
ああ、やはりダメだ。この子を死なせてはならない。
孫と同じ末路を。息子達と同じ絶望の叫びをもう聞きたくない。
「いいかい、諦めるんじゃないよ。お前だけは必ずここからーー」
ガチャリと、扉が開いた。
「ぁ……」
「やあっ どうだい? 少し休んで気分は晴れたかな?」
まるで友人に挨拶でもするように軽く手を上げ、怪物は笑顔で明るく話しかけてきた。
「王族の使う寝具の心地はどうだった? 僕も試してみたんだけど、どうも肌に合わなくてやめちゃったんだよね。もし人間用に作られた物だからってのが理由なら、ちょっと悔しいんだけど……」
「シ、シャトゥン……っ」
「そう、僕がシャトゥンだ。直接対面するのは城に招いた者だけにしてるから初めましてでいいかな。ああ、でも僕は君を知っているよ。以前この国から逃亡を試みた人間達の身内だ。――だったよね?」
「え……おばあちゃん?」
「……」
「そういえば君にも謝っておくべきだったな。あの時はすまなかったね。魔物の教育が行き届かないばかりに……逃げた人間は捕まえるだけで殺してはダメだと何度も言ってるんだけどなぁ」
「……後悔している。逃げろなどと言うべきじゃなかった。お前が孫を呼んだせいで……私も息子も判断を誤った」
ああ、なんて惨いのだろうか。憎い仇が笑いながらそこにいるのに。
こんなにも無力で成す術がないなんて――
「……なぜアタシ達を休ませた。無駄に時間を与えてどういうつもりだ」
「だって疲れていただろう? 特にその子は今までぐっすりだったじゃないか」
本気か冗談かもわからないことを奴はさらりと言った。
「それに最近、僕は気分が良くてね。まあ機嫌を悪くした経験自体ほとんどないんだけど――ここしばらくは特に上機嫌なんだ。でもせっかく招いた客人に興奮した姿を見せるのも悪いだろう? だから自分の気分の昂ぶりを落ち着けるための時間が欲しかったんだ」
そう語りながら奴は近くの椅子に座った。
テーブルに肘を置きながら楽しそうにこちらを見ている。
……この男にこちらの訴えが通じるのか。
だが言わなければ。どうにかこの子だけでも――
「この子に手を出すなッ 民の数にも限りがある。殺すなら日に一人で十分だろう。アタシを殺せッ そしてこの子は――」
「まあ、そう焦らないで。少しだけでいいから僕の話につきあってほしいんだ。城に招いた人間には皆そうしてもらってるからね」
「っ……」
身体が震える。呼吸がどうしても荒くなる。
口調こそ友好的だが言葉を交わす度に体中の臓器を弄ばれている気さえする。
生物の本能というヤツなのか。
自分が死ぬ覚悟はしていたはずなのに底から際限なく恐怖が湧き上がってくる感覚。
「確かに人間を城へ招くのは最終的には僕が食べる為だ。だから君達の言いたいことはわかるよ。でも僕にとって人間を食べるのは君達で言う生存行為ではなくて純粋な娯楽行為なんだ。わかる? つまり楽しみたい――彩りが欲しいってことさ」
「……わかりたくもないね。お前のそのくだらない欲求を満たす為にアタシ達に何をさせようと言うんだ」
「言ったろう? 少し話につきあってほしいだけさ。人となりってほどではないけど……とにかく食べる相手のことをある程度でも理解したいっていうのが僕の娯楽でね。そう長くはかからないから安心してよ」
「……っ」
「それじゃあ早速、聞くんだけどーー人間と魔族の違いって何かな?」
「……なに?」
「外見の話じゃないぜ? これは性質の話だ。魔族と人間とを分ける性質の差異はどこにあるのか――君はどう思う?」
――急に何を言い出す? 人間と魔族の違いは何かだと?
何を比べようというのだ。お前達のような悍ましい怪物共と。
「……ふざけたことをっ 娯楽だと嗤いながら人間を蹂躙したお前達が何を抜かす! 幼子が泣こうとお前達にはよく泣く家畜にしか見えなかろうよ! 人の姿に多少、似通っていようがお前達は醜い化け物だッ!」
湧いた怒りのままに声を荒げる。
そうだ。こいつらさえ現れなければゲルプは平和だった。
人は今も変わらない穏やかな営みを持てていたはずなのに――っ
「アハハ! いいね醜い化け物ときたかっ そういう啖呵を口にしたのはゲルプ市民の中では君が最初だよ。度胸で言えば王宮の兵士にも劣らないだろう」
愉快とばかりに手を叩きながら称賛を送ってくる。
奴からすれば小動物がキャンキャンと吠えているように見えるのだろう。
「ふむ……つまりはそれが君の答えか。そもそも僕達が人間と比較しようなんて考えること自体がおこがましいと言いたいんだね。――うん。なら、それでいい」
「なんだと…?」
「君の考えに納得したってことだよ。別に正解じゃなくてもいいんだ。僕のこの疑問に対して、君達個人ごとの見解を知りたいだけだからね」
参考になったよ――ありがとう、と。
親しい友人を相手にするかのような爽やかな笑顔を張り付けて、怪物は言った。
――クソ、気持ちが悪い。これ以上こいつの声を聞きたくない。
まずい。このままではこの子を守るという決意すら恐怖に溶かされてしまう。
声を――声を出さなければ。
「っ……喰うならアタシを喰え。肉の質は悪くてもこんな小さな子よりは、よほど食い出があるはずだっ だから……だからこの子だけはーーっ」
「お、おばあちゃん……」
「アッハハハ――どうも君は僕を……と言うより魔族を少し誤解してるね。人間を食べると言っても肉を食べたがる魔族なんて基本的にいないんだ。まぁ一部例外はいるけどね」
「な……?」
「人間で食べたいのは外側にある肉の入れ物じゃなくて内側にある中身ーーつまり魂だ。君達という生物を形成した元となるエネルギー体。僕は一人一人に宿るソレを味わうのが大好きなんだ」
喰らうのは肉ではなく魂。
……イメージがしづらい話で困惑したが住民が未だ生かされている理由はわかった。
つまりは死体からでは取れないものを摂取する為か。
「というわけで僕の好みに若さは関係ない。むしろ成熟してる人間の方が質は良かったりもするんだ。怯えきって萎縮した人間の魂はどうしても味が落ちてしまう。だから純粋な強者。容易に屈することのない反骨精神を持つ者こそを僕は一番求めている」
「……ならば。こんな弱々しい子どもを招くことはないだろう。この子の代わりにアタシがお前の贄になる。だから、どうか……今夜はそれで終わらせてくれ……!」
「お、おばあちゃん……っ」
「アハハ! 君は本当にその子を助けたいんだねぇ。僕に頭なんか下げたくもないだろうに。君がそれだけ必死だというのは伝わってくるよ。――うん。確かに君の方が美味しそうだ」
「くっ……」
魔族相手に情など期待してはいない。
だが食の好みはこの男自身が今、口にしていた。
ならばアテにするのはそこだ。アタシがそれに合わせてやればいい。
この男の興味をアタシに。なんとかアタシにだけ向けさせれば――
「……訊いてみてもいいかな? 君はその子供を逃がしたくて自分を売り込むことに必死になっているようだけど――それになんの意味があるんだい?」
「意味……?」
「そう。だって考えてみてほしい。仮に僕がその子を見逃して家に帰してあげたとして、その後その子は何を得られる? 親を失い、檻となった自分の家で今まで通り怯えて生きるわけだ。僕が再び城へ招く時を待ちながらね。でもそれが君の望みってわけじゃないだろう? 迎える死が今この場から幾刻か伸びることに、君がどれほどの意味を感じているんだろうと思ってね」
「っ……」
そうだろうとも――ああ、わかっている。
アタシが身代わりになろうが何をしようがこの子に安寧を与えることなど出来ないと。
そもそもゲルプ国にある物はいまや何もかもがこの男の所有物だ。
この国全ての生殺与奪は奴のさじ加減一つで決められる。
虜囚の身が何を訴えたところで無駄なのだと。
行きつく末路が同じだと理解しているのにそんな自己犠牲ごっこをする意味は何かと、この怪物は問うている。
わかっている。……だが、それでも――――
「……お前達には永遠にわかるまいよ。人が他者を守ろうとする行為に何故? と疑問を投げる以上はな。人間はお前達、怪物とは違う。人間は――そういう生き物なのだっ」
そうだーー守ることをやめる理由にはならない。
何を言われようと魔族に屈服してなるものか。
「……ククク。"そういう生き物だから”、か……いいね、便利な言葉だ。自身の動機に矛盾や説明不能な部分があっても大抵はそれで通せてしまうかもね。僕としては少し物足りないところではあるけど」
そう言って奴は椅子から立ち上がり、一歩こちらへ近づく。
「っ……!」
「でもそこがいい! 僕は人間のそういう意味不明なところが一番好きなんだ! わかりきった行動しかしない生物なんてつまらない。うん――やっぱり君を招いて正解だった。楽しませてくれたお礼に、その子がこの国を出る行為を認めようじゃないか」
「――――なに?」
今、なんと言った?
この子が国を出ていくことを認める、と言ったのか?
「驚くことかい? この国で僕の管理に置かれ続けるより、その方が君の望みに沿えると思ったんだけど」
それは――確かにそうだ。
この国に留まってもいずれは食われる運命を待つだけの家畜でしかない。
もちろん外に出たところで生きれる保証などないが――ここにいるよりはまだ、わずかでも可能性はあるかもしれない。
だが本気か? 見逃す? それを信じていいのか?
「……保障は? お前に約束ができるのか?」
「保障はないね。それに約束っていうのはお互いに信頼があって初めて成り立つものなんだろう? 僕が君を信じるのは簡単だけど、君が僕を信じるのは無理だろうしね」
「……ふざけおって。信じられるものではないとわかっていながら何故そんなことを口にする」
「信じなくてもどうするか選ぶことはできるからさ。僕は君との会話を楽しんだ。感謝の証としてその子がここを出ていくことを認める。ただ君自身が口にした通り君が身代わりとなる形で、だけどね」
「……」
……この魔族を信じることなどできない。
だが、殺すならとっくに殺しているはず。
どう足掻いても自力で逃げる術のないこちらに条件をつけて一人を見逃す機会を与えるなど――それは奴自身が言うように奴の好奇心を満たしたことによる"褒美”ということでは?
……嘘をついているだけだ。
だが、こんな回りくどい真似をして騙すなんてことがあるか?
さすがにそんな理由がない――いや、意味がない。
もちろん善意や情けから出た言葉ではないだろう。
だが気まぐれにしろ何にしろ、これに賭けるしかない。
「――約束をしろ。アタシが贄となる代わりにこの子を見逃すとっ」
立場を考えれば本来なら通じようもない交渉。
しかし普通ではない価値観と性質を持つこの男ならば――
「アッハハ、ホント君達はおもしろいよ。話の内容はまったく変わらないのに"約束”という言葉一つだけで内容に重みを乗せられると考えるんだから」
不思議な生き物だよね、と楽しそうに笑う。
だがこれ以上、こいつの人間観察につきあう気はない。
「どうなのだ、シャトゥン!」
「まぁ、そういきり立たないで……わかったよ。ここは君達の価値観に乗っかろう。その子に魔物をけしかけたりは決してしないし、僕もこの場から一歩も動かない――"約束”をしよう」
「……」
その言葉を聞き、アタシは子どもの方へ向き直る。
「お、おばあちゃん……」
子どもは涙目で震えながら小さく首を横に振っている。
さすがに話の内容は理解できたのだろう。
「……お前、名前はなんて言うんだ?」
「マ……、マルテ」
「――いい名前だね。いいかい、マルテ……決して振り返らずに城を出て、真っ直ぐ門まで向かうんだ。そしてこの国を出るんだよ」
「で、でも……誰もいないよ……ぼく一人じゃムリだよ……っ おかあさんもおとうさんも死んじゃったのに……おばあちゃんだって……っ」
「お前の親は自分の命も顧みずお前を逃がそうとした。だから一人でも決して負けるんじゃない。どんな手を使ってもいいから生きるんだ。どれだけ暗い世界でも生き延びさえすれば、きっといつか――お前を照らしてくれる光は現れるはずだっ」
詭弁でもデタラメでもいい。目の前の子どもを少しでも奮い立たせる為に声をかける。
……アタシはいい。息子達が魔物に喰われていく中で、ただその叫びを震えながら聞くことしかできなかった役立たずの老躯。
それでもこんな自分がまだ幼い子どもを救うチャンスが残されているというなら喜んで死ねる。
「マルテ、お前は強い子だ。アデリナはいい子を産んでくれた。――さあ、おゆきっ」
最後に一度強く抱きしめ、背中を押す。
マルテはこちらを振り向いたまま中々前に進もうとしなかったが、もう一度行けと促すと観念したように部屋を飛び出していった。
「――……」
ああ、よかった。
この先でどうなるかはわからないが、少なくともこの地獄からあの子を救い出すことはできたのだ。
息子達にそれをしてやれなかったのは無念だが――これで希望を持って逝ける。
そして、願わくば。
「リヒト様、クルク様……トマリ様。どうかあの子の運命に……貴方様方の加護をっ」
*****
「ぐすっ……ひっく……う″ぅ″ぅ~……っ」
マルテは城を出て、町の大通りを歩いていた。
後はこの道を真っ直ぐ歩くだけで出口の門へと辿り着ける。
町は不気味なほど静まり返っていた。
さっきまであれだけ魔物達が我が物顔で闊歩していたというのに、今ではその影一つすら見当たらない。
家々の中では未だ住民が怯えながら暮らしているはずだが外の様子には気づいていないのかもしれない。
最も気づいたとしてもおいそれと外になど出れないだろうが。
「っ……、っ……」
マルテの感情はショックと悲しさでグチャグチャになっていた。
自分を逃がそうとして殺された両親。
必死に自分を励ましてくれた優しい老婆。
一生懸命に自分のことを守ろうとしてくれてた。
見覚えはなかったが、もしかしたら親とは知り合いだったのかもしれない。
優しい人。自分の身代わりになってしまった。
今ごろはもう――――
「ぐすっ、………………ぁ」
いつのまにか国の門前に立っていた。
本当に何の障害もなく、あっさりと辿り着けたのだ。
「っ……」
マルテはもう一度後ろを振り返った。
変わらず辺りは静かで誰かが追ってくるような様子はない。
このまま出られる――――
「――――」
時間的に日は沈みかけで暗くなってきている。
しかしマルテの目には門越しに見える外の景色がとても光って見えた。
「っ……」
マルテの目から再び涙がポロポロと流れ落ちる。
両親を失った悲しみは消えない。あの優しい老婆のことが忘れられない。
それでも生きられる。
その事に対する喜びが胸に満ちる。
マルテは老婆の言葉を思い出す。
どれだけ暗い世界でも生き延びさえすれば、きっと自分を照らす光は現れるはずだと。
「――――生きるんだ」
そうだ。あの人の言うように負けちゃダメだ。
おかあさんとおとうさんは僕のために死んでしまった。
僕を助けてくれた人達のためにも生きるんだ。
どんなに辛くても生きて、強くならなくちゃダメなんだ。
「ぼく……がんばるよ。絶対、がんばるからっ」
幼い少年は強い決意を胸に、門を超えて一歩を踏み出した。
*****
「――まあ、君の言う通りだよ。君の言ったように味を求めるなら弱々しい子どもは向かない。ただでさえ脆い人間の中でも幼い子どもは特に怖がりだからね。恐怖し、萎縮した魂はどうしても美味しくないんだ」
シャトゥンは動かなくなった老女の屍に向かって話しかけている。
床に倒れた遺体には傷一つない。
それでも魂が抜けたように動かない表情がその死を語っていた。
――――――けうぅ……っ!
シャトゥンの耳に小さな声が聞こえてくる。
城のずっと外から届いた、か細く小さい音。
「だからこれはちょっとした実験のつもりだったんだ。怖がりで味の悪い魂を果たして美味に変えることはできるのかってね。結果としては成功とも言えるし――再現性が低すぎるという意味では失敗とも言えるだろうね」
そう言うとシャトゥンの影から何かが浮かびあがってきた。
「やあ、おかえり――――マルテ」
それはマルテだった。
鋭利な刃のように伸びたシャトゥンの影が彼の背中から胸を貫いている。
当然、少年は息絶えている。何が起こったのかも理解できぬままであっただろう。
「すまないね。僕にとって約束を守るのは簡単だけど破るのも簡単なんだ。なにしろ君達と違って、僕達の言葉に重みはないからね」
浮き上がったマルテの体は刺さった影が引き抜かれると、そのまま床に落ちた。
シャトゥンが指をくい、と動かすとマルテの傷口から青白く小さい炎のようなものが飛び出す。
ゆらゆらと揺れるソレをシャトゥンは手で招き寄せ、口に運んだ。
ごくり、と喉を鳴らしながら感慨に浸る。
「ああ、いいね――体中に美味が染み渡るようだ! 子どもを美味しいと思えたのは初めてだよ、アハハハ!」
シャトゥンは手を叩き、新しい発見を心から喜んだ。
「国を出られると感じた時、君は喜んだんだろうね。希望? 決意? とにかく恐怖以外の強い思いで満たされていたんだ。やはりそういう活力に溢れた魂は本当にいい! 強く戦える者でなくとも人間は勇者達に匹敵するほどの魂の質を持てる! 素晴らしいよ、人間ってヤツは。ハハハ!」
――他の魔族は人間を絶望させ、恐怖させることを快事としている。
まあ僕だって魔族だ。そこに喜びを感じないわけじゃない。
でも、それよりも。ああ、それ以上に――僕は人間の”強さ”が好きだ。
だって人間だけなんだ。魂に"強さ”を持っているのは。
他の生物はどれも同じ。魔族も。他の動物も皆、一律だ。
魂の大きさに差異はあれど、その質に大した違いはない。
人間だけがその魂にハッキリとした強弱を示している。
その変化と味を知ることに比べれば、人間を恐怖で満たしたいなんて魔族の本能は邪魔なだけだ。
「まあ……本当は見逃してあげてもよかったんだ。例えば新たな決意をしたこのマルテ少年が成長して、僕を倒そうと強くなって再び会いに来てくれたらーーそれはとてもロマン溢れる話だろう?」
だけどそんな将来を夢想して楽しむ必要はなくなってしまった。
すぐそこにもっとお手軽で、もっと美味しそうな相手が現れてくれたから。
エスト、アンデル、ネストを打倒した黒い獣。
ペンダントを持つ少女を守る魔物ならざる怪物。
「君は何者だい……? 魔物? 獣? それともまったく別の生き物なのかな……?」
気分が高揚していく。人間以外の生き物に惹かれるなんて初めての事だ。
ああ、はやく会いたいなぁ。まずは初めましての挨拶かな。
部下を可愛がってくれたんだ。最初はこっちから出向くのが礼儀か。
「話をしようじゃないか。その後は気が触れるほどの殺し合いを。君とならそれが出来ると信じているよ……」
その言葉を最後に男は影に溶けるようにその場から消えた。
後には骸となった老婆と子供の死体が寄り添うように床に残されていた。




