光明の片影
銀髪の少女ーーシュテルは森を歩いていた。
アシュティン達が出て行った後、特にする事もなかった彼女はいつものように洞の中でウトウトと眠ろうとしていたのだが。
「ーーーー……ッ!!」
「っ!? ……なに、今の」
聞き慣れない獣らしき咆哮が耳に届き、急激に意識が覚醒する。
「……アシュティン?」
嫌な予感がした。
さっきの声の正体はわからないが、何か彼の身にとてつもない危険が迫っている。そんな光景が少女の脳裏をよぎる。
「ーーやだよ、そんなの」
……そりゃあ確かに関わらないって言っちゃったけどーーこんなのは聞いてないよ。
こんな近くでそんな目に合うのは、さすがに意地悪が過ぎるよ。
私、もうおかあさんや村のみんなを失くしてるんだよ?
これ以上そんな光景はもうーー耐えられない。
「……バカ。アシュティンのバカーーバカっ 大バカ……っ!」
悪態を一つ繰り返すごとにシュテルの足は急きたてられていった。
●●●
「また私に向かって突進をするか? 構わん……どう行動を取ろうとな」
「ぐっ……」
傷は増え、深くなり、流れる血の量も多くなっていく。
(限界が近い……このままじゃ、動けなくなってマジで終わりだっ)
逃げる? けどここはあの魔族の作った空間だ。
少なくとも完全な離脱は不可能に違いない。
……とはいえ作りは元の空間そのままだ。
少し距離はあるが全力で下がって後ろの森に逃げこむ。
木々に身を隠すことができれば、この理不尽な状況だけでも止められるかもしれない。
(奴の視界から隠れられれば……)
「後がつかえている。そろそろ死んでもらおうか」
ネストの周囲に"口"が集まり、合図と同時に一斉に襲いかかる。
「くそっーー!!」
アシュティンは大きく飛び退くと、背中を向けて木々の見える場所を目指して全力で走った。
「オ……ラァッ!!」
一度、二度ーー
足を止めることなく背後から迫る"口達"を斧槍で撃退し、真っ直ぐ森の中を目指す。
(よし、いけるーー!)
森に隠れて、一旦息を潜める。
このまま飛び込もうと前のめりになった時ーー
「あげっ!!?」
ガツン、と。強烈な衝撃と痛みが顔面に走り、アシュティンは思わずのけぞって倒れた。
「〜〜〜〜っ!! いっ、いてえ……っ! な、なんだこれ……壁か!? と、通れねえ……!」
すぐ先には森が広がっている。だがそこへ近づけない。
手を伸ばすと何もないはずの空間に触れる感触がある。
アシュティンをこの焼けた地から逃すまいとするように見えない壁が阻んでいた。
「逃げられぬと……すでにそう教えたはずだが」
ネストはゆっくりとアシュティンに近づきながら語る。
「ここは元の空間を侵食し、私が作った影の世界だ。だが動ける範囲はそう広いわけではない。せいぜいこの焼けた地の半分程度のものだ」
ネストが身に着けているあの黒く長いローブはネストの影そのものであり、アレを地面に溶けこませることでその場の空間を模した一定範囲の世界を作り上げる。
見た目には元の空間と何も変わらなく思えるが、実際に歩き回れる範囲は100メートル程度。
それ以上先に行こうとしても不可視の壁に阻まれてしまう。
つまり取り込んだ範囲を除く背景の全てはネストの視覚情報によって作り出された、ただの書き割りに過ぎず。
壁があって通れないと言うより、単純にそこから先の道など存在していなかった。
「理解したか? 貴様は私から隠れることすらできぬ。ただ惨めに喰われ尽くすのみだ」
ネストはアシュティンから30メートルほどの距離まで近づくと足を止めた。
(……こいつ、ヤバいっ)
この敵をヴェルメ達まで行かせるわけにはいかない。
最悪、刺し違える覚悟もあるがこの危機を脱して自分を救う機会もまだ諦めていなかった。
「“外”の連中に助けを求めるのも諦めるのだな。ここから出ることはもちろん“外”から見つけることも不可能だ。最も……我々のことなど誰も気にも留めていないだろうがな」
(……嫌な言い方で意味深なこと抜かしやがって)
とはいえ直接の攻撃は受けていないにしても、やはりリーベ達もこの魔族の力による何かの影響を受けているのかもしれない。
……絶対に今、なんとかしなくては。
このままこんな所で喰い殺されるなんてゴメンだ。
そう考えていたところで、ふと頭に疑問が浮かんだ。
(喰い殺される……?)
『ただ惨めに喰われ尽くすのみだ』
魔族がそう口にしたから自分もその表現に引っ張られたとも思った。
しかし今もアシュティンの全身を襲い続けている原因。
体の肉が抉れていく不可解な現象も何かに噛みちぎられている感覚だと考えるとしっくりくるものがある。
しかし納得はできない。
襲ってきた“口”は全て撃退し、一つたりとも体に触れさせなどしていないのだ。
アレらに噛みつかれていたなんてことあるはずがない。
「! ……ん?」
疑問の結論を探している途中、ふとある物が目に留まった。
30メートルほど離れた正面には魔族が立っている。
気になったのはその魔族から右側の後方。
その場所に何か黒いモノが立っていた。
そしてネストの操る“口”がその黒いモノに大量に群がっている。
(な……んだ、あれ――――)
それは人影――に見える。
“口”に覆われて見えにくいが、人の形をしたその黒い何かは特に身動きをする様子もない。
“口”はその人影をかじっていた。その体のあちこちをかじっていた。
ご馳走を前にして興奮したように、ただひたすらに貪り続けている。
それでもその人影は動かない。
大量の“口”に群がられるのも気にせず、その場にぼうっと突っ立っていた。
(……あれは)
その異様な光景に答えが出かかったアシュティンにネストは口を歪めて笑いながら言う。
「気づいたか?」
「ッ……!!」
その言葉で弾かれたようにアシュティンは跳んだ。
一気に人影の場所まで駆け、群がっていた“口”を蹴散らす。
「これ、は……?」
改めて確認しても、やはりそれは影にしか見えなかった。
本来、地面や壁に貼り付けられてあるだけの像でしかないソレがひとりでに起き上がりでもしたのか。
人間の姿はどこにもなく、ただ影だけがそこに立っていた。
(こ、こいつは一体? 思わず助けるようなカタチになっちまったがーーなんなんだ?)
困惑するアシュティンをネストは嘲笑うように眺める。
重苦しい雰囲気と人間への嫌悪の表情を崩さなかった男が初めて愉快そうに口を歪めた。
「ようやく喰われることをやめたな。初めて味わう苦痛がクセになったのかと思っていたぞ」
「なんだと……」
「察したのだろう? それは貴様自身の影だ。この空間に取りこまれた全ての生物の影は本体から分離され、私の支配に落ちる。その影を切り刻むごとに貴様の肉体も同様に刻まれてゆくのだ」
(こ、こいつが俺の影っ? こいつが食われ続けてたから俺の体も食われてたってのか……!?)
アシュティンはそこでようやく敵の攻撃の本命を理解した。
今まで直接、自分を狙っていた"口"はあくまで、こちら側の気を逸らす為の囮だった。
「くっ……!?」
アシュティンは影を掴もうと手を伸ばした。
しかし手は影を突き抜け、まったく触れない。
影に触れないのは当たり前なのだが、敵の作った不可解がまかり通ったこの空間でそんな既存のルールがあるなんて逆に理不尽だろ! と、アシュティンは心の中で悪態をついた。
「貴様が影を動かすことはできぬ。影に干渉する自由があるのは私だけだ」
「俺の影なのに、なんでお前に100%自由があんだよ、クソ……!」
理不尽な事実に憤りながらもアシュティンは現状を考える。
(この影、ぬぼーっと突っ立ってるだけで全然動かねえ。俺自身の意思じゃどうにもできない! こいつが攻撃されると俺もやられるだって? 最悪の状況だ……っ!)
つまりはこの身動きすらできない完全無防備な自分自身を守りながら戦わなくてはならないということ。
あの魔族の操る“口"一つ一つは弱く、たいした脅威ではない。
数で攻めてきてもアシュティンなら容易く跳ね除けられるだろう。
しかしそれも十全の状態ならの話。
今のアシュティンには決して浅くないダメージが重くのしかかっている。際限なく物量で来られれば長くは持たないだろう。
その上、自分以外を(ある意味、自分だが)守るのは無理がある。
まして敵を仕留める機会など、どうやって見つけろというのか。
答えを出す時間もなく、ネストは攻撃の合図を送る。
餌に群がる虫のように喰らい、貪り尽くそうと無数の口がアシュティンに迫った。
「……ウオオッ!!」
気合いを込め、アシュティンはなけなしの力を振り絞り斧槍を振るう。
(なんとか耐えて……一瞬でいい! 奴に斬り込むスキができれば!)
次は絶対に逃がさない。この場を離れればまた自分の影が襲われるだろうが承知の上だ。
影が食い尽くされる前に一撃で仕留める。
その決意だけを内に秘め、ただ最後の機会を窺う。
三度、四度、五度ーー九度目の斧槍を振り下ろしたところで敵の攻撃がわずかに途切れた。
感じ取った一瞬の好機にアシュティンは全身全霊をかける。
「今ーー!! ーーーーだ……っ?」
敵に向かい踏み出したはずの足が止まる。
逃すつもりはなかった。
傷だらけの体は立っているだけでも限界が近い。
アシュティンにとって敵を仕留めるチャンスは文字通りここが最後だ。
その覚悟を決めたはずだった。
それでも彼は足を止めた――いや、止まってしまった。
拘束されたかのように体を動かすことができない。
そして目の前に見えた光景がアシュティンの動きを物理的にだけでなく精神的にもブレーキをかけた。
「は……?」
前を見ると敵はその場から動いていない。
ただ一つ違うのは――魔族のすぐ前にはあの黒い人影が立っていた。
「…………な」
アシュティンの影。
先ほどまで彼のすぐ後ろに立っていたはずのソレはいつのまにか。
何が起きたのか魔族ネストの傍らに移動していた。
ネストはアシュティンの影を背後から抱きしめるように首と頭に手を回している。
「言ったはずだな? 分離させた影は私の支配だ。自由に干渉し、動かせるのは私だけだとな」
また誤ったな――ネストはアシュティンに彼の判断の失敗を告げる。
中途半端に臆病な姿勢など持たず、貴様は一心不乱に私の命を絶ちにかかるべきだった――と。
「やはり血の繋がりなど意味を持たんな。勇者リヒトとは、ほど遠い……」
「――――」
ネストが口を大きく開け、動かない影の首にその牙を突き立てた。
〇〇〇
「アシュティンさんっ! アシュティンさーんっ……!」
ヴェルメはアシュティンの名前を呼ぶ。
体が泥で汚れるのも構わず地面を這うように動き回って、ひたすら彼を捜し続けている。
ヴェルメはペンダントの状態を確認する。
アシュティンを探し当てることさえ出来れば、グリューン国の時のように強く光ってこの状況をどうにかしてくれるのではないかと期待しているのだが、ペンダントは依然ぼんやりとした光を出しているだけだ。
「っ、アシュティンさん……っ!」
「――――ッ!!」
怪物に変化したヴンダーは咆哮を続けながら、纏わりつく何かを振り払うかのように必死に頭を振っていた。
リーベはそんな二人を戸惑いながら眺める。
「ヴ、ヴェルメ……ヴンダー……」
リーベも自身とこの状況に強い違和感を感じてはいた。
しかし、それが何であるのかを理解することがどうしてもできない。
「アシュ、ティン……? そう、彼がいなくなった、のに……わ、私は……どうして……っ」
ヴェルメは再びペンダントを握った。
手を傷つけそうなほど強く握りしめ、ただ一心に祈る。
「トマリ様、お願いしますっ どうか……どうかアシュティンさんを見つけてください――どうか……!」
その時、バキッ! とヴェルメのすぐ横で何かが砕けた。
●●●
「が、ふっ――――」
アシュティンは口から血を吐き出す。
影はネストに捕まり、その首には牙が深く食いこんでいる。
後ろから抱えるように押さえつけられ、その体はわずかに浮き上がっていた。
アシュティン自身の体も影と同じ姿勢に固定されて、最早、自分の足で立つことはできていない。
「……最初から思っていたことだが貴様の肉は固すぎるな。ただでさえマズイ人間の肉の中でも貴様はより酷い」
ネストは不愉快そうに感想を漏らす。
そもそも魔族が人間を喰らうのは肉を食べたいからではなく魂を食べたいからだ。
生物の中に深く保管されているモノ。様々な生命を形作るエネルギー。
本来、視認すら難しいソレを魔族は見つけ、取り出すことが出来てしまう。
中でも人間のソレを食することを好む。
「だが私はシャトゥン様やアンデルのように効率よく魂を取り出せぬ。その上、非力で……"食べる"という行為でなければ人間如きの身体すら満足に破壊もできん有様だ」
「がぶっ!、っあ……!」
「食いたくない物を食い尽くさねば馳走にもありつけんなど滑稽だ。貴様もそう思わぬか?」
「うあっ、ア……! あああッ!!」
アシュティンはかろうじて握っていた斧槍をネストに向かって投げた。
最早、意識すら失う寸前の彼に出来るせめてもの抵抗。
「……」
しかし無情にもその意思は届かず。
投げた槍は方向が逸れて、ネストのすぐ横の地面に刺さるように落ちた。
持ち主から離れた槍はガランと音を立てて倒れ、動く術を失う。
「……これ以上、足掻くのはやめろ。貴様の無様は十分堪能した。心配せずとも貴様の仲間もすぐに後を追うことになる」
最悪の処刑宣告。それに抗う力はもう残っていない。
得物すら失った青年が出来るのは意識が消えるまで声を出すことだけ。
「か……かんがえ……て、た……」
「ム……?」
「ッ……、オマ、エ……暗い雰囲気の、わりに……よくしゃべる……奴だよ、な。おかげ、で……ゴフッ! ない頭……ずいぶん、ひねっちまった……」
「……何?」
……さて、何秒持たせられるか。
実を結ぶかも怪しい時間稼ぎだが試そう。どうせもう他に何もできないのだから。
「言ってた、ろ……? ここは元の空間を、取りこんで作った……って。その言葉、が……忘れられなくて、よ……」
時間稼ぎと言っても実際、気になっていた。
見せかけの背景でしかない、ただの書き割り部分はともかく。
動き回れるこの範囲は実際の地形をそのまま写し取っているという。
例えば樹木や岩。土のわずかな盛り上がりやへこみも?
なら、それらはこの世界ではどういう扱いなのか?
取りこまれた生物の影が分離するなら、生物以外の取りこまれたモノは……?
『ここは我が影の世界。見える景色が変わらぬのは“浸食した地形と私の視覚を元に”勝手に模されているだけのことだ――』
「考えて、たんだ……なんで、違う言い方をしたのか、って……」
背景の書き割りが奴の視覚で作られている。それはいい。
肝心なのはそれ以外――視覚以外で作られたこの空間の仕組み。
これは完全に憶測……希望的観測にはなるが。
もしこの空間と元の空間の状態が連結しているのだとしたら?
例えば片方で何かを破壊すれば、もう片方の空間にも同じ影響が起きるのだとしたら――
「場所が場所のせい、で……小枝一つ見当たら、なかったけど……たまたまオマエの、近くに壊せる物があるって、ことに……気づいてな。……ハッキリ言って、やりたくなかったけど……よ」
「――!」
ネストは足もとに落ちているアシュティンの槍を確認する。
そこには槍の投擲によって折れた粗末な木の棒とそこに供えられていたであろう物がいくつか転がっていた。
「……確かに。我が影の空間に取りこまれた物体は元の空間にある物と同期している。元の空間で物体を破壊すれば影の世界でも同じく破壊される。その逆もまた然り」
しかしネストはくだらないとばかりにアシュティンを見下す。
「だがそれがどうした? 仲間に気づいてもらえると考えたのか? 先ほども言ったがな……無駄なのだ」
学べない生き物を憐れむようにネストは答える。
「“外”にいる者達はこの空間に取りこまれた者を認識できん。貴様という存在が忘れられているわけではない。だが目の前で仲間が消えたのがどういうことか――それによって何が起きているのかという現状を考える力が奪われる」
異常な事態だという認識が封じられる。
違和感を感じる程度はあってもそれ以上の意識が持てない。
そもそも、仮にこの事態に気づいたとしても外部からこの空間に干渉する手段など存在しない。
「これが我が"呪い"の力。人間……今の貴様は薄くなった影に過ぎん」
……はは。さすが魔族の呪いだ。
外からも中からも脱出不可能の牢獄。
無防備なこっちの影を作り出して、ソレをこいつだけが好きに動かしておやつにもできる。
オマケにリーベ達から俺の存在感が薄れてるって?
まったく無敵かと思えてくるような力だ。
実際、一度閉じこめられたら誰もどうしようもないんじゃないか、これ。
(この通り、完全に詰んでる状況だしな……)
確かにこれならたかが人間に負ける気などしないだろう。
悦に入って口を回したくなる気持ちもわかる。
――――ただ。
「あの……ペンダント」
「ム?」
「オマエ、ら……あのペンダントを、狙ってる……んだよ、な? アレって……魔性を、払う力が……あるらしい、けど」
「……ほう?」
――ああ、やっぱり。こいつらは知らないのだ。
アレが自分達にとって、どれほど厄介な代物であるのか。
納得だ。この男もアンデルも、リーベ達の村を襲った魔族も。
あのペンダントの脅威をしっかり理解していれば、何よりもヴェルメを真っ先に仕留めにかかっていただろうから。
「だが、それがどうした? これ以上、貴様の死を先延ばしにする価値はないのだが」
ああ、時間稼ぎも限界だ。
もう俺に出来ることは何もない。
「いや、別に……? ただ、俺としては……お前が今、立ってる場所が……けっこう、重要でさ」
「……何?」
その言葉に疑問を抱くと同時にネストの足もとから強い光が発された。
「ヌゥッ……!?」
広がり、強まっていく光にアシュティンの視界も白く覆われていった。
〇〇〇
バキッ! っと鋭い音が突然すぐ近くで聞こえ、ヴェルメは顔を上げる。
それはシュテルが墓として立てた木の棒が折れた音だった。
小さな爆発でも起きたのか、折れて飛んでいった木の棒と一緒に供えてあった人形や草花まで散らばっている。
「――――」
ヴェルメは恐る恐る墓があった場所に近づく。
「あ……!」
その時、ボンヤリと光っているだけだったペンダントの輝きが強くなった。
ヴェルメはしゃがんで、その場所をよく調べようと試みる。
そして手に握ったペンダントが地面に触れた途端、異変に気づいた。
「え……!?」
ペンダントが触れているわずかな範囲だけだが、地面がただの土から透明感のあるガラスのような物質に変わっていく。
「こ、これって……」
ヴェルメはペンダントを持った手を改めて地面に近づけて、かざした。
窓についた埃を拭き取るような動作で手をゆっくりと動かしていく。
すると変質した地面の範囲が徐々に広がり、小さな水たまり程の大きさになった。
(何か、見える……?)
ヴェルメは慎重にガラス化した地面を覗きこむ。
そこに見えたのは突然現れて消えたあの魔族と、アシュティンだった。
「……!! アシュティンさんっ! ――アシュティンさんっ!」
見つけたと言っていいのか。
ガラス化した地面の向こうには水鏡に映った像のようにアシュティンが見えるが、呼びかけても反応はない。
(やっぱり捕まってたんだ! でも、どうすれば……っ!)
アシュティンは血まみれで酷いケガをしているようだ。
地面越しに見ただけでも、一刻の猶予もないことはわかる。
「っ……!」
こんな状況が生まれた理由はヴェルメにはわからない。
ペンダントの力によるものか。それともアシュティンがこちらに知らせる為に行った何かが魔族の力にわずかな綻びを作ったのか。
あるいはその両方が要因となり実を結んだのかもしれない。
(理由はなんでもいい。なんとかしなくちゃ――!)
今はリーベとヴンダーには頼れない。自分がやるしかないのだ。
(……大丈夫。グリューン国の時を思い出して。むずかしいことをするわけじゃない――)
ヴェルメはペンダントに強く祈りを込める。
すると握りしめた拳から漏れるほど光が強まっていく。
アシュティンさんを助けたい。最初から全くこの気持ちにブレはない。
この祈りと憤りを真っ直ぐぶつける――ただ、それだけだ。
「アシュティンさんを――――返してっ!!」
絶叫と共にヴェルメは地面に向けて手を振り下ろした。
**
“……ヴェルメ!?”
自分の意識に抵抗していたヴンダーは光に覆われたヴェルメを見て、我に返った。
同時に先ほどまでモヤがかかったような思考も急にクリアになっていく。
“アシュティンーーそうだ、アシュティンだ!"
それを理解していても動きたがらなかった身体が動く。
今、何をするべきかハッキリわかるーー!
「グゥ、オオオォォオオオッ!!」
怨嗟を交えた苦悶の叫びが響き渡る。
ヴェルメを中心に大きく広がっていた光は徐々に収まっていき、彼女の近くにはアシュティンとーーあの魔族がいた。
「グヌ、ァ……バカ、な……! 外から直接、我が空間にッ、干渉するなど……ッ!!」
ペンダントの光を直に浴びたネストは右腕が崩れて無くなり、顔の右半分が爛れたようにボロボロになっている。
崩れた顔を押さえ、苦痛にうめきながらもネストは飛び退きヴェルメ達から距離を取る。
「アシュティンさん、よかった……!」
「ヴ、ヴェルメ……お前、マジで最高だ……よく見つけてくれたぜ……ホント」
「アシュティン!」
リーベが駆けつけ、治癒を行う。
「二人とも、本当にごめんなさい! こんな状況だったのに、私……!」
「お前のせいじゃ、ねえ……敵の術中だったんだ。ヴェルメのおかげで、なんとか抜け出せたけど……っ」
「ニンゲン、の……小娘が……よクもッ!!」
憤怒を宿した目でヴェルメを睨むネストは自分の周囲に“口”の群れを呼ぶ。
その数はアシュティンを襲わせた時よりも更に多い。
一つの大きな生き物であるかのように固まり、ヴェルメに向かい一斉に襲いかかった。
「っ! ……ヴンダー!!」
「――ッ!!」
リーベに名前を呼ばれるよりも速く三人の前に立ち、口の群れを迎撃する。
“口”はヴンダーを囲み、その体に噛みつこうとするが文字通り歯が立たず傷一つつけられなかった。
ヴンダーにとっては周りを飛び回り続けるうっとうしい羽虫と変わらない。
巨大な手と尾を使い、次々と叩き潰していく。
とはいえ、埒が明かないのも確かだ。
“口”を操っている魔族からは距離がある。
本体を仕留めようと自分がここを離れれば身動きのできないヴェルメ達が狙われてしまう。
“なら……これで――ッ!!”
ヴンダーは敵の本体に向けて大きく尾を一振りした。
ヴェルメの村を襲った魔族を倒した時のように、尾についた棘が射出される。
「小賢しい――!」
ネストを目がけ、棘の散弾が襲うが身に纏ったローブが前に伸びて大きく広がった。
盾のようになったローブに棘が触れると、その個所がぐにゃりと沈みこむ。
“っ!?”
だがトゲは一つたりともローブを突き破ることができず。
敵を狙ったはずのトゲはその弾性に押し負けたように、あらぬ方向へ飛び地面や奥の樹木を抉り飛ばした。
「あのローブ、あんな使い方もできんのか……!」
ヴンダーの反撃を皮切りに、“口”が視界を遮るほど激しく纏わりつく。
“ダメだ、ちゃんと狙いがつけられない……!”
「リーベ、俺の治癒を急いでくれ! 途中まででもいい! 俺が動けるようになれば、ヴンダーが敵を倒しにいける……!」
「わかってるけど、焦らせないで!」
アシュティン達は焦燥するが、この状況に一番歯噛みしているのはネストのほうだった。
(おのれ、こんな事になるとは……! あんな物がーー何なのだ一体アレは!?)
傷口から焼かれるような痛みと力を奪われていくような感覚。
ネストは修復を試みるが上手くいかない。
ただ切り落とされただけなら手足程度はすぐに再生可能のはずだが、身体を蝕む未知の力はそれすらも許さない。
(あの魔王め、よくもこんな命令を……! 破壊ならまだしも回収しろだと!? ふざけおって!!)
ネストは支配側である魔王に対してすら憎しみを抱いた。
――いや、そもそもあの魔王を支配側などと認めていない。
己が主であるシャトゥンがその命に従っているから、仕方がなく私も倣っただけのこと。
当然だ。それが普通であるはずだ。
あの魔王を認めるなど正気の沙汰ではない。
なのに災魔の方々は何故、あんなモノを――
撤退と受け入れがたい屈辱の二者が対立し、葛藤する。
それでもまずは傷を癒し、体勢を立て直すことが優先という合理的判断がネストの中で勝とうとした時――全員がその存在に注目した。
「――――アシュティン……?」
呟くような小さい声だが、かすかに聞こえた。
アシュティンにとっては懐かしくも聞き馴染んだ声。
「!!」
銀の髪と金の瞳を持った小柄な少女。
いつのまに来ていたのか。
少女は迷子の子どものように、ふらふらと頼りない足取りでこちらへ向かって歩いてきていた。
「シ、シュテル……」
のこのことやって来たその人間の少女をネストも凝視する。
「この連中とは別の魔法使い、だと? こんな場所で……? ……まさか、マーギアの生き残り?」
驚愕するネストだったが、すぐにその表情はおぞましい笑みへと変わった。
――理由はどうでもいい。これは僥倖だ。
魔法使いの魂は人間の中で最上のものだ。
奪って喰らえば、きっとこの忌々しい傷も止められよう。
それが今この場で最も無防備な状態で転がっているのだ――!
「……ククク。クハハ、ハハハハッ!」
「ッ、来るなシュテル!! 森に隠れろ――――ッ!!」
ネストは手負いを思わせぬ速度でシュテルに飛びかかった。
「――――」
金の瞳に魔性の牙が映る――――




