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侵食影

 少し時間を遡る。

 ヴンダー達がマーギア村への到着を目前にしている頃――


「……まだ、先か」


 身の丈より遥かに長いローブを身につけて、重そうにズルズルと地面を引きずっている男が一人。


 魔族ネストは一行の渡った道程を辿りながら確実に追跡を進めていた。


 西へ向かったという情報を聞いた時点では獲物の意図が理解できなかったが、その足取りを追うにつれて行き先の当たりはついてきた。


「この方角……やはり……」


 しかし目的は皆目、見当もつかない。

 今や何も残る物のない地に足を運んで何をしようというのか。


「! む……」


 その時、追跡を続けようとしたネストは空気を漂う不快な臭いを感じ取り足を止めた。


「これは……獣の死骸」


 少し進むと悪臭の発生源はすぐに判明した。

 腐敗した原型のない大量の肉の塊が穴に詰め込まれている。


 そして穴から近い場所には森の奥から作られた薙ぎ倒された木々と、その仕業元であろう巨大な獣が事切れている。


「……」


 ネストはその死骸を観察した。

 穴に詰められたものと比べ、この巨獣の骸だけ明らかに様子が異なる。


 死んでからそう時間は経っていない。

 ちぎれかけた太い首。そこから流れ出た大量の血もまだ新鮮だ。


(縄張り争い……ではない。襲ったか襲われたかは知らぬが)


 支配域を広げる意図があるなら相手の痕跡がなさすぎる。

 ただ殺して、放置した――そんな有様。


(……)


 これをやったのが追跡対象の連中だという可能性は十分にある。

 ずいぶん足を動かされる羽目にはなったが程なく追いつくだろう。


 そう考え、追跡を再開しようと足を進めた途端。



「おぉぉ……い」



「ーーーー」



 その声はすぐ後ろから聞こえてきた。

 背後から誰かに話しかけられている。


 ……馬鹿な。生き物などいなかったはずだ。

 ましてや言語を使い、私に声をかけるような生物などーー


 ネストは振り向かない。

 代わりに引きずられていたネストのローブ部分が地面に溶けるように沈んでいく。


 声の主が人間でなく同族であろうという確信は持っていたが関係はない。

 なにせ魔族が理屈にもならない動機で殺すのは人間だけではないのだ。

 むしろ同族相手の方が警戒に値する。


 しかし、そんなネストの殺意に気づいた声の主は命乞いの言葉をかけた。


「まあ、待ち……たまえよ。そんなに怖い気配を、向けないでくれ。ただ声をかけた……だけじゃない、か。君は……あれだろう? シャトゥンの部下だね。そうだろう……?」


「――――」


 その言葉を受け、ようやくネストは後ろを振り向く。

 しかしやはり後ろには何者の姿もない。


 あるのは息絶えた巨獣の死骸のみ。


「ア、……ァァ、ァ……」


 ゴボリ、と巨獣の口とちぎれかけた首から血が零れた。

 死骸が喋るはずがない。しかし、声は確かにそこから発されていた。


「貴様――いや、貴方は……」


「ァ、ァ……こんな姿ですまないね。しばらく考え事をしていたところに君が現れたのでね。気に障ったのなら謝るよ」


 声が発される度に動きもしない死骸の口からコポコポと血が泡立っている。

 死骸が声を出しているわけではないのに何故、死骸から声が聞こえるのか。


「――フリュクト様でしたか」


 ネストは声の主の名前を口にした。

 その名前を聞き、声の主は嬉しそうに笑う。


「ああ、よかった。わかってもらえて安心したよ。同胞の中には話を聞いてくれない奴もいるからね。その点、君は理知的な魔族のようだ。シャトゥンの教育がいいのかな? 私も見習いたいものだ」


「……災魔のお一人である貴方が。何故このような場所に?」


 災魔。自身を生み出したシャトゥンと同格の存在。

 声の主の正体をソレと理解し、言葉遣いを改めるがそれでも警戒の姿勢は緩めない。


 害意、殺意の出し入れなど自由自在だ。

 今、その気がなくとも次の瞬間にはざらに考えを変えてくるのが魔族という種。


 フリュクトと呼ばれた災魔はつまらない事のように質問に答える。


「どこにいようといいじゃないか。私達は自由だ。人間から生存権を奪略した私達はいまやこの地で最も権利を有する生物だ。そうだろう?」


「質問の答えになっていませんな。ここで死骸になっていた理由は? あなたは西国の小村で残った人間を集め、享楽に耽っていると聞いておりましたが」


「ああ、言う通り私自身がここにいるわけじゃない。この子は私が子飼いにしていたものでね。ここにいるのは私へ()()()をする為に頑張ってくれていたからなんだ」


 ちょっと夢中になりすぎて腐らせてしまった物もあるけどね、と声は語る。


「……その為にわざわざ南の森まで?」


「他の者には理解してもらえないが人間以外も中々美味なものだよ。このグレンツェの森に生息する動物は特にね。まあ、肉の味に興味を持たない君達には意味のない話だろうがね」


(悪食め……)


 楽しげに語る声に内心で毒づきながら、ネストは知るべき事を確認することにした。


「貴方をその有様にしたのは、獣を連れた人間の一団でしたか?」


 そう尋ねると声は、おお! と感心したような様子になる。


「忘れるところだったよ。そうなんだ。私がここでこうして考え事をしていたのはまさにその事でね。この子が殺されて落ちこんでいたのもあるんだがーー」


 声の主はそこで言葉を止め、自分を見下ろす魔族の目的に当たりをつけた。


「君はあの人間達を追ってきたのだね。 ならぜひ教えてほしいな。あの子達は何者だい? 特にあの可愛い獣はとても気になっていたんだ。こうして死骸のまま悩むくらいにね」


「……あの中には魔王様が求めているというペンダントを所持した娘がいるのです。シャトゥン様はその任を受けて私を使っています。そしてその連中は私以外の眷属を二人殺している」


「ほう? そうだったのか。うんうんうん――」


 死骸に紛れた主は声の調子だけで伝わるほど、わかりやすく楽し気にしている。


「……フリュクト様。私はシャトゥン様の命を受けて奴らを追っています。もしそこに横槍を入れようというなら――」


 空気に混ざるわずかな殺気を感じ取り、声の主はネストをなだめる。


「安心したまえよ。どうやら彼らに目をつけたのはシャトゥンが最初のようだ。であるなら、わざわざその邪魔をするような無粋な真似はしないとも。ただの好奇心による質問だ。かまわないだろう?」


 満足したとばかりに声の主は一方的に話の終わりを促した。


「事情は概ね理解した。さあ、もう行きたまえ。いつまでも死骸と喋ってると君が変な目で見られそうで可哀想だしね。――ああ、それと君の追跡は間違っていない。どうやらあの人間達はマーギアの村跡へ向かったようだ。何の用向きなのかは見当もつかないがね」


 余計な茶々は無視し、ネストは必要な情報のみを耳に入れる。


「やはり、行き先はマーギアか。……では失礼致します」


 ああ、最後に一つ――と立ち去ろうとしたネストを声の主が呼び止める。


「君は、あれだね。もう少し目上の相手への態度を改めたほうがいい。ほら私、災魔だよ? 君の主人と同じ存在だよ? もう少し敬いというものを前面に押し出してもいいと思うのだがね」


 呼び止めておいてくだらないことを口にする相手への苛立ちを抑え、ネストは答える。


「貴方が格上の存在であることは当然、理解しています。ですが私を生み出した主はシャトゥン様です。私が敬意を持ち、忠誠を尽くすのはあの方のみ。魔王でもなければ災魔でもない。貴方にまで(かしず)いでしまえば忠誠の価値が地に落ちる。……そう考えているだけのことです」


 その言葉を最後にネストは今度こそ追跡を再開した。


「いいなぁ。羨ましいなぁ。あんな楽しそうな人間達がいると知っていれば私も動いたのに」


 惜しいことをした。でも邪魔をしないと口にした以上はしかたがない。

 今回の愉しみはシャトゥンの物と受け入れよう。


「私の村で歓迎会でも開いてあげたかったけどねぇ」


 声の主がそう言うと巨獣の口からゴボゴボと血が零れる。

 そして、それきり死骸から声が聞こえることはなかった。



●●●



「うおッ、ああぁああッ!?」


 自分の肉体が削がれていく感覚の中、アシュティンは必死に思考を巡らせる。


(ふ、触れられてねえ……はずだっ! あの大量の口も! 今は俺から距離があるッ! なのに、こいつは一体!?)


 体のあちこちの肉が表面から少しずつ抉れていく。


 一体何をされた?

 あの無数の口とは別に何か不可視の攻撃がある?

 この空間に引きずりこまれたことで何か――


(……くそ、考えてる余裕がねえ! このままじゃヤバい……ッ!)


「死ね、小僧。マーギアの村と同じように、この虚無の地で消え果てるがいい」


「……ッ!」


 ……まだ動くことはできる。

 とにかくあの魔族をすぐに仕留める。

 もし倒れてしまえば一貫の終わりだ。二度と立て直しなど出来なくなるだろう。


「野郎……くたばれッ!」


 アシュティンは敵に向かって跳躍し、トドメの一撃を振り下ろす。


「っ!」


 しかしその刃先は届く前に大量の口によって阻まれてしまう。


 主を守る壁となった口達は雪崩となってそのままアシュティンに襲いかかる。


「邪魔、すんなッ!」


 槍を振るい、それを払いのけると目の前にいた敵はいつのまにか距離を取り、アシュティンの間合いから離れていた。


(あいつ、さっきまで鈍い動きだったのに……!)


「先ほどは貴様を見くびった……なるほど予想以上の速度だ。この力は消耗が大きい故、他の動作は極力、最小限にしたいのだが……そうも言っていられんな」


「うぐ、あっ……!!」


 この瞬間にもアシュティンの体は抉られ続けていた。

 触れられていない。今の口の攻撃も全て振り払った。

 身体には一切触れられていないはずなのに。


「お互い初手を間違えたな。私は貴様を侮りすぎて不要な痛手を負い、貴様は私に対し臆病になりすぎたことで千載一遇の機会を逃した。どちらがより致命的な失敗だったかは……語るまでもなかろうが」


 アシュティンの肉体の損壊は止まらない。

 受けた不可解は次々と全身に刻まれ、すでに抉られた個所はますますその傷を深めていく。


 血を流し、悶え叫ぶ人間を睨みながらネストは怒りを込めて語る。


「魔を倒すだと? 何故、未だそんな妄言を口にする? 貴様らはもう負けたのだぞ。貴様ら自身が認めた敗北だろう? にも関わらず手のひらを返したその妄言……」


 ネストが言い終えるよりも先に、アシュティンの右耳が抉り取られた。


「や……、野郎」


「不愉快、極まる」


 自分の置かれた状況を少しずつ理解したくない形で勝手に受け止めはじめる。


(リーベ、ヴェルメ……ヴンダーっ)


 打開策の浮かばない中、ただ自分の猶予のなさだけを実感していた。



〇〇〇



「おねえちゃん! おねえちゃんってば!」


 ヴェルメはリーベの体をゆすりながら何度も呼びかけていた。


 リーベの様子がおかしい。いや、彼女だけでなくヴンダーもだった。

 目の前でアシュティンが消えたというのにぼんやりとしていて、声をかけても反応が薄い。


 突然現れたあの魔族。

 何をされたのかはまったく理解できないが、アシュティンはあの魔族によってどこかに連れていかれたのだとしかヴェルメには考えられなかった。


(見つけなくちゃっ 急がないとアシュティンさんが……!)


 焦燥に駆られ、必死に姉に呼びかける。


「ど……どうしたの、ヴェルメ?」


「しっかりしてよ、おねえちゃん! アシュティンさんのこと、わかるでしょ!? アシュティンさんがいなくなっちゃったんだよ! はやく見つけないと!」


「アシュ……ティン」


 リーベはポツリと口にする。

 今の今までその名前を忘れていたかのような酷くぼうっとした様子だ。


「アシュティン……え、ええ。もちろん知ってるわ。彼を、忘れるわけない。でも、その……」


 アシュティンを忘れているわけではない。

 その点については一瞬、安堵しかけたヴェルメだったが、続く姉の言葉は少女の抱いている危惧感により拍車をかけた。


「それが、どうか……したの?」


「っ、そんな…………ヴンダーっ!」


 ヴェルメは向き直り、今度はヴンダーに呼びかける。


「ねえ、ヴンダー。アシュティンさんのこと、わかるでしょっ? きっと、さっきいた魔族が連れてっちゃったんだよっ 早く見つけて助けないとっ」


“――――”


「魔族……確かに、いつのまにか……いなくなってる、わね?」


 リーベは他人事のように呟くだけでそこから動こうとはしない。

 ヴンダーも同じだった。ただヴェルメだけが一人、必死に訴えている。


「そんな……どうしよう、どうすれば――――、っ!?」


 視線を下に向けて、偶然気がついた。

 いつからだったのか首にかけたペンダントが光っている。

 グリューン国で魔族の呪いを解いた時ほど強い光ではないが、この異常を知らせるように静かに光を発していた。


「こ、これ……」


 トマリの加護。

 このペンダントはこれまでヴェルメを魔性の脅威から守る時に力を発動していた。


(私がアシュティンさんを考えてられるのは、ペンダントのおかげ――?)


 そしてペンダントの効力が現れているというのは、今まさに魔族の力の影響下に陥っているということになる。

 

 なら魔族はまだ近くにいる?

 そしてアシュティンも――遠くに連れていかれたのではなく、見えていないだけでまだこの場所のどこかにいるのではないか?


「っ……!」


「ヴ、ヴェルメ!?」


 ヴェルメはペンダントを強く握りしめ、辺りの地面を叩きはじめた。


「アシュティンさん! アシュティンさーんっ!!」


 名前を呼びながら、ペンダントを握った手を地面にぶつけ続ける。

 確信にも似た感覚を抱いているが、まったく見当違いの思いこみでしかないかもしれない。

 

 傍から見れば奇行にも映る行い。

 それでも――いる。近くにいるはずだと信じて、ひたすらに。

 手当たり次第に地面を叩く。叩きながら大事な名前を呼び続ける。


(お願い、見つかって――見つかって!)


 ただ一心に祈りながらヴェルメは無意味に思える行為を繰り返す。

 今、アシュティンを助けられるとしたら自分だけだと。


 ペンダントを近づけても二人の様子が戻ることはなかった。

 グリューン国の時にわかっていたことだが、やはりこのペンダントが魔性の影響から守るのはあくまで持ち主であるヴェルメだけなのだ。


 だから、わからなくてもとにかくやるしかなかった。

 今、自分が何も出来なければ取り返しのつかないことになる。


(それは――それだけは絶対にイヤ……!)


“――――……”


 ヴンダーはそんなヴェルメを見て、ぼんやりとながら考える。



 ――――変だ。ヴェルメが、じゃない。

 リーベが。自分が。この状況がとても変だ。


 アシュティンのことはわかる。よく知ってる。

 彼と出会った経緯も。ここまで来た理由もわかってる。

 さっき魔族が突然現れて、かと思えばアシュティンと一緒に消えた。

 状況は全部わかってる。忘れてることは何もない――はずだ。


 だからこそ変だった。どうして自分はこんなに動かない?

 今の状況やアシュティンのことが不自然なほど印象が薄い。

 彼という存在が酷く希薄に感じられ、考えようとしても思考がまとまらない。

 恐らくリーベも自分と同じ感覚に陥っているのだろう。


“何かの影響を受けている。――――攻撃を、されている”


 そう理解しても尚、ヴンダーの体の動きは重たい。

 警戒をするような事態など何も起こっていない。

 危険信号を出す必要なんてないのだという的外れな意識が混在している。


“…………ッ!!”


 ヴンダーは怪物へと姿を変えた。

 黒い巨獣を中心に風が吹き荒れる。


「ヴンダー……っ」


「――――――ッ!!!」


 変化したヴンダーは大きく吠えた。

 何度も。何度も。森に響き渡るほどの咆哮をする。

 誰に向けたわけでない。自身を奮い立たせる為のもの。


“動け! しっかりしろ! これは攻撃だ! 危険なんだ! なんとかしないとみんな死んでしまうぞ!!”


 邪魔な意識を振り払おうと一匹の獣は必死で自分を叱咤し続ける。

 仲間の窮地を救う為、幼い少女はがむしゃらに手を振り回す。


 魔性の綻びは、まだ見えない。

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