輝きは影に落ちて
森の動物すら近寄ろうとしない焼けきった跡地。
広大な森の一部を削り取って生まれたその場所に少女は現れた。
“この人がアシュティンの……”
現実離れという意味ではヴンダーにとってはこの世界そのものが異質で何もかもがそれに当てはまるのだが。
それでも目の前に現れた少女の姿にはこれまで見たことのない印象を抱く。
幼さがあるが整った顔立ちと腰まで伸びた銀色の長い髪。
そして恐らくリーベやヴェルメと同じく魔法使いである証を示しているのであろう金色を帯びた瞳。
紺のローブを見に纏った少女は様子を窺うように静かにこちらを見つめる。
ただ黙って立っているだけだが、それがより幻想的な雰囲気を感じさせた。
「シュテル……」
「……」
銀髪の少女――シュテルはアシュティンの言葉に応えず、くるりと背中を見せて歩き出した。
「お、おいっ!」
「――おいでよ。こんな場所じゃ落ち着いて話せないでしょ。まあ、私の寝床もそんないい所じゃないけど、ここよりはマシだと思うし」
どことなく気怠い、眠そうな声で答えながらシュテルは先導する。
「ま、待てよシュテル! どこに行くんだ!?」
シュテルは後ろを振り向かず、すぐそこだよと答える。
彼女の後を追うアシュティンにヴンダー達も続いた。
**
先ほどの跡地から数分は歩いただろうか。
焼け跡の範囲から出れば森の様相らしく背の高い木々が好き勝手に乱立している。
森の奥へ向かいだしたことにリーベ達は最初、躊躇を見せていたが湧き出る怖気の感情をぐっと堪えて少女の後をついていく。
「着いた。ここだよ」
前を歩いていたシュテルが到着を告げると、彼女は他より一回り太い木の幹の前で足を止める。
すると幹を伝いながら後ろにひょい、と回りこんだ。
「っ、おい!」
木の幹に隠れて見えなくなっただけのはずだがアシュティンはつい焦ったように少女を追いかける。
「お……」
シュテルが隠れた木の後ろに回ったアシュティンは少し驚いた声を出す。
彼に続いて来たヴンダー達も一瞬、その樹木の形に気を引かれた。
その樹木の幹にはポッカリと洞窟状に大きな穴が開いていた。
穴の中にはシュテルの姿もある。
「全員入るかな……ちょっと待ってて。今、場所つくってるからーー」
そう言いながらシュテルはゴソゴソと動いている。
木の洞はその幹の太さに応じて中々広い空間になっていた。
人間一人が入っても、だいぶ余裕が見える。
中には森で採取してきたと思われる植物や実が種類ごとに置かれていた。
先ほど墓に備えられていたものと同じ植物もある。
寝る時に使っているのだろう薄汚れた毛布。
他には小瓶が数個や厚みのない本が一冊。
それに絵本に出る魔女がつけてそうな大きめのトンガリ帽子がある。
シュテルは地面に置かれたそれらを端に寄せた。
「お待たせ。まぁ、まだ狭いけど座るくらいなら多分大丈夫」
おいでおいでと、シュテルは無表情で手招きする。
恐らく客人など初めてだろう"少女の家"にアシュティン達は促されるまま中に入った。
**
「ここ、村の子供たちの秘密の隠れ家なの。自分の親に怒られてムクれた子は決まってここに家出するんだ。昔、私が魔法で作った場所なんだよ?」
すごいでしょ、と真顔のまま胸に手を置いて自慢を始めた。
「……」
突然のことに皆、すぐに反応できず少しの間なんとも言えない沈黙が流れる。
「……すごいんだけどな」
残念そうに少し口をとがらせた。
場をなごませる冗談の類かと思ったがどうやら本気だったらしい。
「……誰かと話すの久しぶりだから声が上手く出ないや。まあ体調が悪いわけじゃないし、できれば許容してくれると嬉しいな」
シュテルは軽く咳ばらいをした後、そう話した。
確かにその声はかすれ気味でしゃべりにくそうにしている様子がある。
「で、アシュティン。その子達、誰? 魔法使いが二人もいるなんてびっくり。どこで知り合ったのさ」
「はじめまして、シュテルさん。私はリーベ。この子は妹のヴェルメです。グリューン領地の小村で暮らしていました」
「グリューン領の生まれ……なの?」
シュテルの質問にヴェルメがおずおずと答える。
「生まれは……ゲルプ領の村、です。でも、魔族に襲われて……逃げてきました。3年前の話……です」
「ゲルプ……中央領出身なんだ」
「当時に兄貴やトマリ様が魔族から助けて、二人をグリューンに連れてきたんだ。その時に知り合ってな……」
「……そっか。でも、さすがリヒトさんだね。実はね。魔王討伐に向かう過程でリヒトさん、ここに挨拶に来てくれたんだよ。その時に勇者として抜擢されたことやアシュティンが元気にやってることとか、色々教えてくれたの」
「そうだったのか……」
シュテルはリーベとヴェルメを見る。
「ゲルプは位置関係もあって魔王軍との争いが一番多かったしね。……リーベとヴェルメだっけ。辛い目にあっただろうけど、助けてもらえたみたいでよかったよ」
「い、いえ……」
表情の変化があまりない少女の口もとがわずかに緩んで見える。
なによりその声からは確かな温かみが感じられた。
自分の現状を置いてこちらを気にかけてくれるシュテルに対してどう言葉を返していいかわからず、リーベは言葉を詰まらせる。
「――さて。改めて久しぶりだね、アシュティン。10年? 9年ぶりだっけ。さすがに背が伸びたね。私よりほんのちょっとだけ大きくなった。ちょっとだけ」
「……お前はあんま伸びなかったな。やっぱり」
殴るよ? と物騒な返しが飛ぶがお互いに嫌厭はしていない。
何年も会っていないのにこんなやり取りが自然と出るほど気の置けない仲であったことを感じさせる。
それだけにヴンダーは彼女の態度が気になった。
死んだと思っていた友人に会えたというのに、アシュティンと違い彼女は淡々としているように見える。
元々、感情の起伏が少ない人物なのかとも思ったが、それにしては所々で仕草や言動から妙に愛嬌さを感じさせる。
「お前、ずっとここにいたのか? 一年もこの穴の中で……?」
「うん、まあね……村がなくてもこの森は慣れてるし、食べ物の確保には困らない。それに、ちょっと歩くけど泉がある場所もあってね。体だって洗えるよ」
思ったより快適でしょ? とわざとらしく胸を張る仕草をする。
聞きたいのはそういう答えではなかったが、それを理解した上ではぐらかしているのだと感じたアシュティンはそうか、と聞き流すことにした。
「全然会いに行けなくてごめんね。ほら、グリューン国って遠いからさ。……おかあさんも身体、悪くしちゃってたし。子供の私が一人で遊びに行くのは、ね」
「……それは俺だって同じだよ。お前やエルマさんを忘れたことはなかったけどーー」
冗談を言い合える関係の二人。それでもその会話にはやはりどこかぎこちなさがあった。
「――それで。何しに来たの? まさか本当に私に会いに来たってわけじゃないよね?」
会いに来たとは言えない。
会えるなどと思っていなかったのだから。
「……正直、理由らしい理由はないんだ。ただ――来たかった。最後に一度だけでも、お前とエルマさんの村を見ておきたかったんだ」
「……変な言い回しをするね。最後ってどういうこと?」
答えにくそうにしているアシュティンを見て彼女はま、いっかと話を切り替える。
「それにしたって、こんなご時世に来ることなかったのに。村はあの有り様だし西の国も消された。そこから“外”のことはもうわからないけど――どうせグリューン国だってロクな事になってなかったんじゃないの?」
「ああ……ずっと魔族に支配されてた日々だったよ。人が魔に負けた一年前のあの時から、ずっと。……正直、ずっと生きてく希望を失くしたままだった」
「それでも生きちゃったんだ。私と同じだね。……お互い死に損なっちゃったわけだ」
「シュテルさん、それはーー」
「リーベ、いいんだ」
物言いに抗議しようとしたリーベをアシュティンが制止する。
「ちょっと感じ悪かったかな。ごめんね。でも、アシュティンとまた会えたことは嬉しいんだ。ホントだよ。ホントにすごく嬉しい。……ただーー」
シュテルは一度そこで言葉を切ると、先ほど隅に寄せたとんがり帽子を手に取り、懐かしむようにそれを見つめた。
「まだ足りないんだ。涙を流して喜ぶには、まだダメなの。なくなったものが多くて大きくて重くて。アシュティンがいてもね、このぽっかりした感じはまだ埋まってくれないの」
「……ああ、わかるよ。謝る必要なんかねえ」
嫌厭などない。気まずさもない。
死別したと思っていた存在が突然生きて目の前に現れた。
それは本来、互いに歓喜すべき事。
実際、アシュティンは彼女を目にした時、嬉しさのあまり思いきり抱き締めてそのまま振り回したいくらいの心境だった。
しかし同時に。たった一人でこの場所に居続けていた彼女に対してそれは出来なかった。
今の彼女が再会を望んでいるのは自分ではないとーーそうアシュティンは理解してしまっていた。
「大事なものを失くしちまった時ってさ。なんで自分はまだここにいるんだろうって思えてくるよな。自分が生きてることが急に変だって感じちまうんだ。……死にたくないって思うのはみんな当たり前のことなのにな」
自分との再会など今の彼女にとって何の救いにもならない。
それでも、この少女の中にほんの少しでも何か残してやれないかとアシュティンは言葉を紡ぐ。
「俺も少し前までそうだった。でも今は……俺は死に損なったとは思ってねえ。やりたい事を――やるべき事を見つけたから」
「やるべき……ことって?」
シュテルの問いにアシュティンは少し間を開けた後、強い意志で答えた。
「……魔王を倒す」
「…………へ?」
友人の答えにシュテルは気の抜けた声を出した。
気心の知れた仲だったようだが、そんな突拍子もないことを言い出すとは思ってもいなかったのだろう。
「…………ぷっ」
しばらく続いた沈黙から失笑。
「くっ、ふふふふ……ひっ、ひ……っ あははははは――っ」
初見の幻想的な雰囲気はどこへやら。
両手に抱えてた帽子ごとお腹を押さえて、地面に転がりながら笑っている。
ひとしきり笑うと多少落ち着いたのか少女はゆっくりと体を起こした。
「はぁ、久しぶりにこんなに笑っちゃった。アシュティン、笑いのセンス上げたね。子供の時は誰かを笑わそうとしていっつもスベり散らかしてたのに。まあ、そういうとこが逆に面白かったりしたんだけど」
「……生憎と、こんなことを冗談として扱えるほど俺の笑いのセンスは磨かれなかったよ。――――大マジだ」
友人の真剣な眼差しを見て、シュテルから再び表情が消える。
先ほどまでと違い、その声からも感情を取り除いて少女は話す。
「……そう。あなたはそういう死に方をするんだ、アシュティン。どうせならせめて一矢報いてやりたいってこと?」
「そこまで投げやりな考えしてるつもりはねえよ。ただ、こいつらを助けたいって思ったら自然とそういう目的になっちまっただけだ」
ヴェルメを一瞥しながらアシュティンは答える。
「……そんなとこだろうね。でも、事情は聞かないよ。私が知ったってしょうがないもん。……一応言っておくけど、私に何か期待するのはやめてね」
何を聞かされようと力にはなれない――シュテルはその意思をハッキリと伝えた。
「……仲間になれなんて言わねえよ。けど、シュテル――これからもずっとここにいる気なのか?」
「だって他にないでしょ? 平穏で安らげる場所なんて、今の世界でどこか他にある? 私はここがいい……ここだから、いいの。他に行く場所なんてないし行く気もない」
返す言葉はなかった。
シュテルの心の傷を癒せる場所を提供することなどできない。
魔王を打ち倒す――死地に赴く決意をしたアシュティンに彼女をここから連れ出す権利などないのだから。
「はぁ……やっぱり森の中は静かなほうが好きかな。あなたに会えたのは嬉しかったけどーーそろそろ一人に戻りたいや」
彼女は最後にごめんね。と呟くと、背中を向けてそれきり何も話すことはなかった。
「……生きててくれてよかったよ、シュテル。――みんな、行こう」
「え……ま、待って――アシュティンっ!」
立ち上がり洞を出て行ったアシュティンをリーベが追いかけていく。
ヴンダーも後をついていこうとするが、ヴェルメが動こうとしないのを見て足を止めた。
ヴェルメは少し悩むような素振りの後、背を向けているシュテルに声をかけた。
「シ、シュテルさん。あの――急にみんなでお邪魔してごめんなさい。でも、あの、えっと……」
自分の発言が彼女を傷つけてしまわないか。
不快にさせて怒らせてしまわないか、幼いなりに考慮しながらもヴェルメは言いたいことを伝える。
「嘘を……つかないでほしい、です。アシュティンさんじゃ足りないなんて、そんな嘘はやめてほしい……です」
シュテルは背を向けたまま何も答えない。
けれどその言葉は確実に少女の耳に届いていた。
「ここに来るまでアシュティンさん、あなたのことをたくさん話してくれました。大事な友達で、ずっとまた会いたかったって。あなたを見つけた時のアシュティンさんは、本当に――」
「……知ってるよ。飛びついてきそうな顔してたから避ける準備してたし」
「それはシュテルさんも同じです。……でした」
「……私、アシュティンみたいなわかりやすい顔はしないはずだけど」
「顔にはださなくてもわかるんです。……ごめんなさい」
申し訳なさそうに謝るヴェルメ。
しかしその言葉は相手の内面に語るように触れる。
ヴンダーがこれまで幾度か見てきた気の弱い少女のもう一つの側面。
シュテルはこちらへ向き直り、ヴェルメを見る。
「変な子だね、あなた。優しい子なのは伝わってくるけどさ。……でも、嘘つき呼ばわりはちょっと心外だな」
「ご、ごめんなさい。でも……一人になるのは、怖いんです。少しの間でも、一人になるのは怖いことなんです。だから、アシュティンさんがいるのは……あなたにとって幸せなことのはずなんです。……だからっ」
これまで他人に意見することなどロクになかった。
その緊張からか少し声が上擦っている。
ちゃんと伝えたい意思をカタチにできているかも自信がない。
それでも絞りだすようにヴェルメは言葉を口にした。
「だから……自分を見捨てないでほしい、です。……お願い、します」
「…………」
幼い少女が紡いだ必死の訴え。
シュテルはしばしの沈黙の後、漏らすように小さく答えた。
「言いたいこと言ったなら、もう行きなよ。アシュティンとあなたのお姉さん、そろそろ待ちくたびれちゃうかもよ」
「……行こ、ヴンダー」
ペコリと頭を下げ、ヴェルメはこの場を後にした。
「……知ったふうなこと言って。子どもに何がわかるのさ、まったく」
去って行った客人を見届けてから少しムスッとしながら少女はぼやく。
「……嘘なんて、ついてないもん」
……そう。嘘なんてついてない。
アシュティンに会えたことは確かに嬉しい。でも今の私はそれだけで喜べないのだ。
仕方ないじゃないか。あの村にあった全ては私という人間の全てを培ってくれた何よりも大切な宝物だったのだ。
それを一瞬で根こそぎ奪われた絶望が私の中には根付いている。
大切なものを失った悲しみ。それに付随した自分が無力で思い上がりでしたという無価値な事実。
それだけの絶望を全部忘れさせる幸福なんてないっていうだけの話だ。
大事な友達にまた会えたのは嬉しい。
でもそれは嬉しいだけで救済には届かないーー
「自分を見捨てる……そんなふうに見えてるんだ」
洞から出たシュテルは空を見上げる。
「……星が見たいな」
決して見晴らしがいいとは言えないこの場所から彼女はいつも星を探す。
まだ日が高く明るい。木々の間から見える空に向かって祈りを込めて手を伸ばす。
今夜は星が見えますように、と。
**
マーギア村の跡地まで戻ってきたアシュティンはシュテルが作った墓の前に立ち、村人達に向けて祈る。
リーベもそれに倣い、祈りを捧げた。
「アシュティン……彼女、あのままでいいの? せっかく会えたのに――」
「……よくはねぇな。でも情けないけど、どうすりゃいいかわからないんだ。リーベ、お前はわからないか? どうすりゃ今のあいつを助けてやれるのかーー」
そう言われてしまえばリーベも黙るしかない。
藁にもすがる思いで彼も聞いたのだろうが藁以上の価値ある答えを出せる者などここにはいなかった。
「……あんなに表情出すの、下手な奴じゃなかったんだけどな」
アシュティンがそう呟くと同時にヴェルメとヴンダーが遅れてやってきた。
「お待たせ、おねえちゃん――っ」
「遅かったわね、ヴェルメ。大丈夫だった?」
「う、うん。別になんでもないよ。それより、アシュティンさん。あの、シュテルさんのこと――」
アシュティンはヴェルメの言葉にわかってると答えた。
「ただ、今ここにいてもあいつにしてやれる事はねえと……思う。だからこそお前らを守るってこと以外に魔王と戦う理由ができたよ」
「え……」
「俺は――魔王を倒したい。やっぱこんな世界じゃダメだ。兄貴がいなくなったからって絶望してる場合じゃなかった。こんな目に合っちまった奴が今も増え続けてるのにッ」
青年は歯噛みし、拳を強く握りしめている。
その表情にはこれまでの後悔とこれからへの決意が宿っていた。
「俺は魔王を倒したい――この世界を魔性の手から取り戻したい。この世界をヒトの手に返したい……!」
それが可能か否か考慮はしない。
ただ、その大望に挑む覚悟だけを青年は口にした。
そしてその決意はこの場にいる者にも伝播し、浸透していく。
「……正直、まだ覚悟が固まらない部分もあるけど。ヴェルメを守るために避けられない事だっていう話はもうしたものね。――私も同じ気持ちよ、アシュティン」
「わ、私もがんばるっ あ、えと……戦えない、けど」
“……”
ヴンダーが近寄り、ヴェルメの体を鼻でちょんと押す。
それを受けてヴンダーの体を力いっぱい抱きしめて感謝を示した。
ヴンダーの覚悟はとうに固まっている。
あの部屋の女が言うように、たとえ元の世界に戻れないとしても。
“この子を――この人達を守りたい”
彼女達の為に。望みを果たせなかったトマリの為に。
それがまだ自分が生きている意味だと強く信じて。
「それで――ここからどうしようか?」
アシュティンはシュテルのいる木の洞がある方向を見つめ、絶対また会いに来るからなーーと小さく呟いた。
「そうだな。魔王の城を目指すってのはもちろんだけど……とりあえずーー」
「ーー聞き捨てならんな」
「っ」
その声を聞いた途端。
全身を重苦しい不快感が襲った。
「魔王を倒す? 我々の手からヒトの世を取り戻すだと? まさか今においてまだ人間の口からそのような戯言を聞くことになるとは。エストとアンデルの犯した失態は予想以上だったな」
地の底から聞こえるような低い声で男は話す。
一体いつからそこにいたのか。
木々が除かれ、視界が完全に開けた焼け跡の真ん中に男は現れた。
「テメエ……魔族ッ!?」
フードから覗かせた男の側頭部には二本の角。
身につけたローブは男の長身を持っても尚長く、ズルズルと地面を引きずっている。
「グルルル……ッ!!」
ヴンダーもアシュティンと共に前に出る。
ーー偶然見つかったんじゃない。
こいつはハッキリとこっちを追ってきた。
何よりエストとアンデルの名前を口にしたならーー
「あなたもシャトゥンの……!」
「――西へ向かったと聞いた時は思い当たらなかったが、まさかマーギアの村が目的地だったとはな。もはや痕跡さえ消えた何の価値もないこの地に何故、足を運んだのか理解できんが……」
(!? なんだーーあいつのローブ?)
重そうに地面を引きずっているローブ部分がゆらゆらと不自然に揺れている。
(いや、違う。あのローブ、引きずってるんじゃなくてーー)
男の身の丈を大きく超えた異様に長いローブ。
先程までだらしなく地面に伸びていた部分はその先端から潜るように地中に沈んでいた。
まるで液体をかき混ぜるかのような動きでローブは揺れ続けている。
「まあ、よい。貴様らがどこにいようとーーどうであろうと」
魔族はアシュティンを睨むと、狙いを定めたようにゆっくりと手を伸ばした。
「気をつけろ! 何か仕掛けてくるぞ!!」
「今、追いついた」
アシュティンが皆に注意を促すのと彼の視界が突然黒く覆われたのは同時だった。
●●●
「くっ……な、なんだよ今のーー」
一瞬、急に目の前が暗くなったが視界はすぐに元の明るさを取り戻した。
「みんな大丈夫か!? 気をつけろ、こいつ何か妙なことーー、っ!?」
仲間の安否を確かめようと後ろを振り返りーーすぐに異常に気がついた。
ーーみんながいない。
今の今まで確かにそこにいたはずの仲間は影も形もなかった。
「な、なんだーーみんな、どこに行ったんだっ? リーベ! ヴェルメ!? ヴンダー! どこだ!?」
「私の本命はあの獣だが……まずは貴様からだ。勇者リヒトの血縁者」
唯一変わらずその場にいる男は暗く重い声でアシュティンに語る。
「テ、テメエ……何をしやがった!? 三人をどこにやりやがったんだ――ッ!?」
「…………違うな」
〇〇〇
「――アシュティンさん! アシュティンさん、どこっ!?」
ヴェルメはアシュティンの名前を必死に叫んでいる。
アシュティンさんが消えた。一体なにが?
さっきまでそこにいたはずの魔族の姿もなくなってる。
魔族がこっちに手を伸ばした時、一瞬めまいみたいな感じがあった。
あの時に何かされた? まさかアシュティンさんはどこかに連れていかれたの?
どうしよう。なんとか―――なんとかしなくちゃっ
「おねえちゃん! アシュティンさんを捜さなきゃ――おねえちゃんっ!」
「…………」
「……おねえ、ちゃん? ヴンダー……?」
返事がない。
ヴェルメの必死の呼びかけに二人はぼうっと虚空を見つめていた。
「っ……!」
ヴェルメに怖気が走る。
何か、とてつもなくまずい事が起きている――そう確信した。
●●●
「ここは我が影の世界。見える景色が変わらぬのは浸食した地形と私の視覚を元に勝手に模されているだけのことだ。貴様はもう逃げられぬ……人間」
(つ、捕まっただと? リーベ達じゃない――俺がこいつの術中にはまっちまったってことなのか……!)
「私は災魔シャトゥン様の配下、ネスト。あの方の命により貴様らを始末する」
「チ……!」
しかし、ならばリーベ達は元の場所にいるということか。
少なくともまだ皆は無事――そうアシュティンは考えた。
「一人ずつ始末しようってことか? 本命は獣とか言ってたが俺は前菜扱いかよ」
「貴様を最初に選んだのは理由がある。アンデルを殺したのは貴様だと聞いたのでな」
「は? まさか仲間の仇とか言わねえよな? お前らにそんな上等な感覚なんかねえだろッ」
「無論だ。だが、不快という感覚は我々にもある。どこでその忌諱に触れるかは各々違いはあるがな」
アシュティンはネストの体のわずかな動きも見逃さないよう集中していた。
魔族の扱う“呪い”は何をしてくるかわからないという怖さがある。
これ以上、何かさせる前に仕留めたいが……そう考え、神経を研ぎ澄ませる。
「私は図に乗られるのが嫌いでな……同族のそれさえ苛立ちを覚えるのだ。とりわけ人間が見せるその態度は――――」
そう言いながら、ゆっくりと右手を掲げる。
するとネストの周りを囲うように何もないはずの空間から大量の“口”が出現した。
「――虫唾が走る」
その言葉を合図に無数の口がアシュティンに向かってきた。
カチカチとけたたましい歯音を鳴らしながら、青年の肉を咀嚼しようと襲う。
「……気持ち悪ぃモン出しやがって!」
正面、上、横――あらゆる方向から迫る脅威に対し、アシュティンは目にも止まらない速度で斧槍を三度振るう。
一つ一つの口が小さい上に数が多い。
扱う得物やアシュティンの性格上、狙いをつけて正確な攻撃はできない。
だから自身の肉体性能頼りで力任せにデタラメに振るう。
ただそれだけで無数の口は一つもアシュティンの体に触れることもできず、斬撃と風圧によってまとめて吹き飛んだ。
(どうってことはねえ……が――!)
まだまだ数はいる。無限に湧く可能性も考えられるか。
無数の口は間断なくアシュティンに襲いかかる。
「――!」
アシュティンは地面を強く蹴り、本体の魔族に向かって突進した。
問題ない。どれだけ数が湧こうが俺が狙うのは最初から――
「――テメエだッ!!」
「ヌッ――!」
すれ違いざまに振るった斬撃で魔族の胴をエグる。
「グッ……」
魔族はよろめき、その場から動かない。
仕留めるには浅かったが次の一撃で首を断つ。
(こいつ、動きが鈍い……! 俺の攻撃に反応もできてなかった!)
――別空間に閉じこめて孤立させた相手を“口”に襲わせるのがこいつの呪いなのか?
それともここから更に何かがあるのか?
どっちであれ、このまま仕留めれば何も問題はない。
アシュティンはトドメを刺すべく、再び魔族に飛びかかった。
「っ!?」
しかし、アシュティンは動きを止めた。
右手の指にヒドい違和感を感じたのだ。
「――――な」
確認すると槍を握りしめていた右手の指――人差し指と中指がなくなり、血がこぼれていた。
(な……なにが――)
理解が追いつくより先に今度は右腕の肉がちぎれた。
「うッ、ぐっ……!! こ、これは……っ?」
近くには何もいない。大量の“口”もまだ自分には近づいていない。
なぜ? 一体何をされてるっていうんだ――
「……最初に」
その場にしゃがみこんでいたネストはゆっくり立ち上がると、アシュティンを睨みつける。
「最初に言ったな……貴様はもう逃げられぬ、と。この空間に引きずりこまれた時点で……貴様は終わっていたのだ」
男がそう言った次の瞬間、アシュティンの全身から痛みと共に血が噴き出していった。
「うおアァああああああッ!?」
肩の肉が。腿の肉が。腹部の肉が次々、千切れ飛んでいく。
「死ね――弱者」
成す術のない死がすぐそこまで迫りくる。




