家庭の事情で転校する彼女と別れた。数週間後、俺も彼女と同じ学校に転校することになり、早くも再会。気まずくなった
「私、転校することになったんだ」
とある雨の日、彼女は何の前触れもなくそう言った。
俺・園部広高は鞍田紅葉と付き合っている。
半年ほど前、紅葉に告白されたことで始まった交際。平日は一緒に登下校をしたりお昼を食べたりして、土日は休日デートを楽しむ。
そうやって二人の時を重ねるにつれて、互いへの愛が大きくなっていくのを実感していた。
3か月の壁も難なく乗り越え、俺たちの交際はこの上なく順調に進んでいた。もうこのまま数年後には彼女と結婚することになるんじゃないか? 今から婚約指輪の資金を貯めておいた方が良いかな?
そうとまで思い始めていた。でも……
現実は、そう思い通りにはいかない。
どんなに心が繋がっていても、運命は物理的な距離で俺たちを引き裂こうとする。
「お父さんの仕事の都合でね、急に決まったの。私も今日聞かされたばかりで、正直まだ困惑してる」
「転校って、いつ?」
「……来週なんだよね」
来週なんて、あっという間じゃないか。別れを惜しむ時間すらありはしない。
「だったら、俺が紅葉に会いに行くよ。紅葉が望むなら、毎週だって会いに行く」
「それは、無理だよ」
「何で!?」
「だって引っ越し先、九州なんだよ?」
九州と聞いて、俺は絶句する。
俺たちの今いる場所は、東京。東京と九州なんて、とてもじゃないが一介の高校生が毎週行き来できる距離じゃない。
「そんな……」と呟く俺を、紅葉は優しく抱き締める。
「私たちは、これから離れ離れになる。広高は東京で生活して、進学して、就職もするのかな? そしてその人生に、私が登場することは多分二度とない。だからね……別れよう」
「嫌だ!」
みっともないかもしれないけれど、俺は反射的にそう答えていた。
仕方ないだろう? それ程までに、紅葉のことが好きなのだから。
「会えなくたって、繋がることは出来るだろう? 電話をしたり、メッセージを送り合ったり。そうやって愛を確かめ合うことは出来るだろう?」
「そうだね。でもやっぱり実際に会えないと、想いは薄まっていっちゃうんだと思う。そんなあやふやな繋がりのせいで、広高に今後訪れるであろう出会いの可能性を潰したくないの」
人生は出会いと別れの繰り返しだ。
望まぬ出会いがあるならば、当然望まぬ別れもあるわけで。
俺たちは二度と出会わない。だから結ばれることは、決してない。
お互いの幸せは別の道を進んだ先にあるのだと、紅葉は示唆していた。
「……後悔しないんだな?」
俺の問いかけに、紅葉は首を横に振る。
「ずっと後悔すると思うよ。だけどここで別れなかったら、もっと後悔する。……それでも納得出来ないって言うんなら、別れるに足る理由を作ろうか? 私はあなたのことを、好きじゃなくなりました」
よく見ると、紅葉の肩が小刻みに震えている。
嘘だとしても、俺が好きじゃないだなんて言いたくなかったのだろう。
ここまでして俺と別れようとする(それも俺の為に、だ)紅葉を、どうして拒むことが出来ようか?
俺もまた、彼女の覚悟に応えることにした。
「……それじゃあ、仕方ないな。別れようか」
この日俺たちは、二人揃って泣いた。
今日が雨で良かった。雨が涙を誤魔化してくれるから。
さようなら、紅葉。さようなら、俺の初恋。
◇
半月後。紅葉のいない日常にも、次第に慣れてきていた。
学校が終わり、(紅葉と別れて以降)いつも通り一人で下校すると、何やら自宅が慌ただしかった。
「ただいまー……って、何をやっているんだ?」
父さんも母さんも、どういうわけか荷物を整理している。えっ、何? 夜逃げでもするの?
帰宅に気付いた父さんが、俺に近づいて来る。そしてなぜかいきなり土下座をした。
「すまん! 父さんの会社、倒産しました!」
おいちょっと待てや。何世界で1番笑えねぇダジャレ言ってくれちゃってんだよ。
しかし一向に頭を上げない父親の姿を見るに、どうやら倒産したのは本当みたいだ。
「父さんの働いていた会社がなくなったって……それじゃあこの先どうやって生活していくんだよ? 俺もバイトした方が良い?」
「気遣ってくれて、ありがとう。でも、バイトをする必要はない。再就職先なら、もう決まっている」
ようやく頭を上げながら、父さんは答える。
そうだよな。新しい働き口のない状態で、あんなダジャレは言えないよな。
ホッと安堵するのも束の間。父さんは「ただ……」と、不穏な流れを醸し出してきた。
「父さんの再就職先っていうのは、学生時代の友人が経営している会社なんだけどな。実はその場所が……九州なんだ」
「九州……」
その地名を聞いて真っ先に思ったのは、遠いなということだった。
少なくとも東京所在の現自宅から、毎日通える場所ではない。
次に思ったのは、「あっ、紅葉の転校先と同じだ」ということだった。
なので俺は、父さんにより詳細な地名を尋ねる。
その結果……驚くことに、俺の通う予定の高校は紅葉の転校先だった。
「東京には沢山友達がいて、お前はその友達と別れることになる。それも親の都合で、だ。悪いことをしたと思っているよ」
「……全然気にしなくて良いって」
それは父さんを気遣ってのセリフじゃない。本当に気にしなくて良いから、そう言ったのだ。
確かに友達と別れるのは寂しい。でもそれ以上に、紅葉と再会出来るのが嬉しかった。今から楽しみでたまらない。
目を閉じると、今でも紅葉の姿がまぶたの裏に映る。
笑っている紅葉、怒っている紅葉、恥ずかしがっている紅葉、甘えている紅葉。どんな紅葉も、愛おしく思えてしまう。
唯一嫌いな紅葉の姿は……泣きながら俺に「嫌い」と言っていた時のものだった。
あの時は、もう一度会えるだなんて思ってもいなかったから、涙が枯れるまで二人して泣き続けたっけ。
……どうしよう。
今になって、紅葉と顔を合わせるのが小っ恥ずかしくなってしまった。
だって、そうだろう? 俺たちはさながらドラマの最終回のような別れをしたというのに、その僅か半月後に再会することになるんだぞ?
運命の再会だとしても、あまりに早すぎる。
一体俺は、どんな顔で紅葉に会えば良いのだろうか?
◇
慌ただしい引っ越しはあっという間に完了し、ひと段落する頃には転校初日がやって来ていた。
見ず知らずの土地と、見ず知らずの学校と、そして見ず知らずのクラスメイト。転校初日というのは、決まって緊張するものだ。
期待半分、不安半分といったところだろう。
勿論俺も例外ではない。ただ俺の場合少し違うのは……期待3割不安3割、紅葉と再会することへの気まずさ4割という心境だということだ。
昇降口から学校に入ると、まず視界に入るのは木製の下駄箱。
何気なく眺めていると、偶然「鞍田紅葉」と書かれた下駄箱を見つけた。
その名前を見るなり、「あぁ、本当に彼女がここにいるんだなぁ」と実感する。
その後職員室へ向かい、新しく担任となる教師に挨拶をした。
「これからよろしくお願いします」
「おう、よろしく。……確か園部は、鞍田と同じ学校から来たんだっけ? この短期間で同じ学校から転校してくるなんて、凄い偶然もあるもんだな」
「はい、俺もそう思います」
「もしかして、仲が良かったのか?」
「……まぁ」
仲良いどころか、付き合ってました。プライベートなことなので、そんなこと言わないけど。
「だったらわからないことは、鞍田に聞くと良い。あいつも同じクラスだから」
「……わかりました」
また紅葉と一緒の教室で勉強出来る。それ自体は凄く嬉しいんだけど……やっぱりどういう顔で教室に入ったら良いのか、未だにわからなかった。
取り敢えず、予期せぬ再会に驚いたフリでもするか。あとは成り行きに任せよう。
30分後、俺は教室に入る。
これまた偶然にも俺の席は紅葉の隣だったので、二人の間に気まずい空気が流れたのは言うまでもない。
◇
昼休みがやって来た。
転校初日は学食にでも行こうかと考えて席を立つと、紅葉に呼び止められた。
「ちょっと良いかな?」
「……断るって言ったら?」
「学食奢ってあげるから」
「是非ともご一緒しよう」
全く、俺は現金な奴だこと。
食堂に向かい、俺と紅葉はオムライスを注文する。
なんでもオムライスは学食で一番人気のメニューらしい。確かに、400円とは思えないくらい美味しかった。
「で、どうして転校して来たの? もしかして、私を追いかけて来たとか?」
「だったらどうする?」
「ちょっと引く。……でも、やっぱり嬉しいかな」
頬を赤らめ、視線を逸らしながら紅葉は言う。
どうしよう。ウチの元カノが可愛すぎる。
「残念だけど、本当に父さんの仕事の都合なんだよ。だけど……お前と再会出来たのは、素直に嬉しい」
「そう……」
そして、再び流れる沈黙の時間。
もし俺たちが喧嘩別れしていたのなら、ここまでの気まずさもなかったと思う。互いに関わろうとしなければ良いだけの話だ。
だけど、俺も紅葉も未だに相手を想っている。数週間前みたいに仲良くしたいし、もっと言えば……復縁したいとも思っている。
しかしあんなドラマチックな失恋をした手前、気恥ずかしさが否めないのだ。
……思い返してみれば、紅葉に告白された時も同じような気恥ずかしさがあったっけ。
二人とも恋愛初心者だったから、告白の仕方がわからなくて。「好き」の2文字を伝えるだけなのに、それがとても難しくて。
結局その時は、1時間くらい黙って校舎裏で向かい合っていたっけ。
当時の俺は、紅葉から「好き」と言われるのを待っていた。告白されるとわかっていながらも、自分からその2文字を伝えることをしなかった。
要するに、ヘタレだったのだ。
そして現在、俺はまたも紅葉から「ヨリを戻そう」と言われるのを待っている。そんなの……カッコ悪すぎないか?
今度は、今度こそは。俺の方から、彼女に気持ちを伝えないと。
「紅葉」
「ん?」
「もう一度、俺と付き合って下さい」
「……はい」
この先何があろうとも、紅葉を手離したりなんかしない。たとえどんなに物理的な距離が俺たちを引き裂こうと、未来永劫彼女は俺の女だ。
きっと一度離れ離れになった俺たちが再び恋人同士になるのは、偶然でも運命でもなく、必然だったんだと思う。