76話:公爵子息【3】
島左近清興だ、此度、公爵子息であるクロス・アルンフェンの来訪の目的はアリーナに会いに来たことだった。その理由だがアリーナがクロスの亡き母によく似ており、母恋しさからアリーナに会いに来たのだ。ワシはアリーナに頼んで今日だけは母親代わりとしてクロスの相手をさせたのである。そしたら案の定、アリーナに甘え続けたのである。それから時がすぎ、気が済んだのか、クロスはアリーナの下から離れ、帰る準備をし始めた
「もうお帰りになられるのですか?」
「あぁ、今日は礼だけだからな。」
「そうですか。」
「・・・・ありがとう。」
「何か仰いましたか?」
「何でもない。」
そう言うと、クロスは部屋を出て、側近たちを呼び、帰る準備をし始めた。ワシは何か土産を用意しようとするが・・・・
「いらぬ。」
そこへアリーナが駆けつけるとクロスは照れ臭そうに頭を下げて馬車に乗り、そのまま去り、ワシとアリーナだけが残った
「若君は亡き母上様を慕っておられたのですね。」
「そのようだな。」
「旦那様は私が病で亡くなった時はどうなされますか。」
「そのような事を申すな!」
「申し訳ありません。」
「・・・・ワシよりも早くに死んでほしくない。」
「旦那様。」
「勿論、ワシも早死にするつもりはない。共に白髪が生えるまで生き抜くぞ。」
「はい!」
ワシとアリーナは屋敷へ入る途中、気配を感じた
「そこへ何をしている。」
ワシが玄関口に問い掛けると、観念したのか与一とウルザ、使用人たちが出てきた
「はぁ~、そこで盗み聞きしている暇があったら、やることがあるのではないのか?」
「ははっ!直ちに!」
与一がそう言うと、速足で屋敷の中へ入っていった。隣にいたアリーナは苦笑いを浮かべつつ、屋敷の中へ一緒に入るのであった
ここは王都アルンフェン公爵家邸宅、そこへ一台の馬車が止まった。公爵子息であるクロス・アルンフェンが乗る馬車である。そこへ執事やメイドたちが出迎えた
「お帰りなさいませ、坊ちゃま。」
「うむ。」
屋敷に入ったクロスに、色白で銀髪碧眼の妙齢の女性が出迎えた。アルンフェン公爵の後妻であり、クロスの義母でもあるアルンフェン公爵夫人である
「お、お帰りなさい、クロス。」
「・・・・ただいま。」
クロスの口から「ただいま」の言葉が出た途端、公爵夫人だけではなく、側近や執事やメイドたちが驚愕した。いつもだったら、挨拶されても無視をするはずなのに、クロスの口から挨拶が出たのである
「もう、行っていい?」
「え、ええ。」
公爵夫人は驚きつつも、義理の息子を見送った。クロスは自分の部屋へ戻り、ベッドに寝転んだ
「ただいま・・・・か。」
自分でもなぜこの言葉が出たのか分からない。あの地主とその妻に会ってから、自分の中で何かが変わったのかと考えていた。すると扉からノック音が聞こえた。クロスが許可を出すと執事が入ってきた
「坊ちゃま、旦那様がお帰りになられました。」
「分かった。」
そう言うとクロスは玄関まで歩いていった。既に義母のアルンフェン公爵夫人と側近やメイドたちが出迎える準備をしていた。クロスも父であるアルンフェン公爵を出迎える準備をした。そこへ色白で金髪碧眼で気品漂う男が入ってきた
「「「「「お帰りなさいませ、父上(旦那様。)」」」」」
「ん、クロス、帰っていたのか。」
「はい、先程。」
「そうか。」
アルンフェン公爵はそのまま自分の部屋へ向かう途中、執事からクロスの言動を報告すると・・・・
「何、それは本当か。」
「はい、私も自分の眼を疑うばかりです。」
「例の地主の事か?」
「恐らくは・・・・」
息子が例の地主に礼を言いたいとわざわざ尋ねる辺り、何かあるのかもしれん。以前、息子が食べたという塩味饅頭、地主がレシピを送ってくれて調理したが、息子は「違う」と言って、もう一度手紙を寄越した。そして【サコン湖塩】が送られ、それを混ぜたら、息子が「これだ」と頷いた。私も試しに塩味饅頭を食べてみたが、餡子と塩が上手く凝縮され、甘すぎずまろやかな味わいが良かった。客人が来た時に例の塩味饅頭を出すと、絶賛されたのが昨日の事のように思える
「それだけでは、ありませぬ、実は・・・・」
どうやら例の地主の妻は、何と亡くなった前妻によく似ており、息子が尋ねた理由の一つだと言う
「そうか、あやつは未だに亡き母を思うておったのか。」
「ええ、地主の妻と二人だけになりたいと、側近たちを追い出したそうです。」
「まさか、その妻に横恋慕したのではあるまいな。」
「それは違うと思います。側近たちは亡き奥方様への思慕だけで決して横恋慕しているわけではないとのことです。」
「それは良かった。もし横恋慕などをしておったら、我がアルンフェン公爵家の名に傷がつく。」
公爵は着替え終わり、食事の間に向かった。食事の間には既に後妻である公爵夫人と、息子のクロスが座っていた。使用人が椅子を動かすと同時に公爵も座った。そこから食事が始める
「クロスよ。」
「はい。」
「向こうで何かあったのか。」
「いいえ、ただ礼を言いに行っただけです。」
「クロスよ。」
「はい。」
「もう二度とそこへ行くな。」
公爵の口から出た言葉にクロスは手を止めた。それを知ってか知らずか話を続けた
「側近たちから話を聞いた。分かっておろうが、地主の妻はお前の亡き母ではない。これ以上、地主に迷惑をかけるな。」
「・・・・」
「返事は?」
「・・・・はい。」
クロスは口では相槌を打つが、内心は鬱屈した思いにあふれていた。その様子を傍から見ていた公爵は息子の本心に気付きつつも、これ以上、入れ込みすぎてはいけないと釘を刺したのである。食事が終わった後、クロスは部屋に戻り、再びペンダントを開き、亡き母の写真を眺めた後、窓を開けて、ペンダントを投げ捨てた
「これで良かったんだ、これで・・・・」
ペンダントを投げ捨てたのは、自分自身に潜む亡き母への思い、そしてアリーナへの思いだった。クロスは自分の気持ちに気付いていないかもしれないが、アリーナへの恋慕があった。だが相手は地主の妻であり、1児の母親でもある
「ぐすっ、会わなきゃ良かった。」
クロスは後悔の涙を流しつつ、亡き母とアリーナの思いをかなぐり捨てると同時に新たに決意するのである
「僕はアルンフェン公爵家の跡取りだ!僕は誰にも甘えず、弱音も吐くものか!誰が相手であろうが僕は頂点に立ってやる!」
その後のクロス・アルンフェンはというと、史書によれば、実の父であるアルンフェン公爵を謀略によって失脚させた後、家督を奪い取り、公爵を幽閉し、当主の座に座った。後にアルンフェン元公爵は「息子の教育を間違えた」と後悔しており、臨終間近の時でもクロスは顔を出さず、葬式も簡素なものだったらしい。あまりの仕打ちにクロスへの不満と不信を募らせた親族たちはクロス失脚を狙うようになる。クロスが当主になった後は、国の宰相として辣腕を振るいつつ、自分の異母妹の娘(姪)を王太子に嫁がせ、次期国王の外戚として権力を握り、やがては国王以上の権力を保持するようになったが、あまりにも独断専行な振る舞いが目立ち、義理の弟である王太子と異母妹が事故で亡くなったことで権力基盤が揺らぎ始め、反アルンフェン公爵家の一派と身内であるアルンフェン公爵家の親族たちの謀略によってクロス・アルンフェンは失脚し、強制的に隠居され、幽閉処分となったのである。幽閉の身になったクロスは後にこう周囲に語っている
「私の人生は2人の女によって決められてしまった。だが後悔はしていない。」
その言葉のみを残し、クロス・アルンフェンは歴史の闇へ消え去ったのであった




