0時間
特段変わったこともなく今日も一日が終わるはずだった。
「ちょっと来てもらおうか」
仕事帰りにいつものようにちょっと街中をぶらぶらと歩いていたら、そう声をかけられて立ち止まった。
ちょっと強面のガタイのよい男性に思わずびくりと身体を震わせた。
「分かっているよね」
凄みをきかせてそう言って間合いを詰められるが、何のことかわからないし、恐怖でしかない。
思わず僕は方向転換し、男から逃げるべく走り出した。
男がふっと笑った気がした。
僕は、人混みの中走り出した。が、すぐに人にぶつかってしまう。そんなに激しくぶつかった気はしなかったが、相手は尻餅をついてしまった。
慌てて、ごめんなさい、と言いながら立ち止まり手を差し伸べた。
ガチャリ。
そんな僕の手には、気がつけば冷たい金属がはめられていた。
「さあ、来てもらおうか」
いつのまにか僕は複数の男たちに囲まれていて、漆黒の馬車に押し込まれた。
どうしてこうなった?
手には冷たく重い手錠。
どう考えても、僕の今の状況は、逮捕。
一体、何の容疑なのか、隣に座った男は口を一文字に結んでいて教えてくれそうな気配もない。
そして、気がつけば無機質な一室に放り込まれていた。
「名前は?」
強面の男が向かいの席に座り、座るなりジロリと僕を見てそう聞いてきた。少し離れた場所では、僕とそんなに歳が変わらなさそうな男が、何やらペンを持って書きつけている。
なんでこんなことになっているか、僕には全く想像もつかない。目の前の男の態度にムッとして、僕は唇をキッと結んだ。
僕のそんな様子に男は目つきを一層きつくした。正直、もう足がガタガタと震えそうだ。
「フンッ」
男は不機嫌さを全面に出す。
「お前が名乗らなくても、全て分かっているがな」
なら、聴かなくていいじゃないか、と思うが、何か言葉を発すれば涙が溢れそうだ。
「ハルキ、食堂の下働きだな」
間違いない。間違いないが、頷く気にもなれない。
「ハルキ、マエカを殺したのはお前だな」
男の言葉に僕は目を丸くした。
まさかの殺人容疑?殺人って!?
しかもマエカって誰だ?
僕は慌てて首を横に振ったが、ただ強く睨み返された。
もちろん、睨み合いで終了、というわけにはいかなかった。
男は、事件の概要を話しながら、お前がやったんだろう、と圧をかけてくる。男の口から語られるのは、僕が全く身に覚えがないことばかり。
「違う!」
僕は思わずそう叫んだが、男が睨みつける力が弱まることもなく、むしろ強まった。
「ほう、何が違うんだ?」
男は軽く伸びた彼の顎髭を撫でながらそう言った。
「何もかもだ!」
叫びながら、それまで堪えていた涙がこぼれ落ちた。
「ふうん、じゃあ、お前はハルキではないというのか?」
いや、それは合っているけれど。
「お前はハルキだよなぁ」
取り上げられた荷物からいつのまにか取り出されたらしい身分証を机の上に出されながら凄まれた。
「そ、それはそうだけど…」
思わず声が小さくなる。
「そうだよなぁ。お前はハルキだ。そして、ハルキ、お前がマエカをやったんだ!」
「それは違う!マエカさんという人は会ったこともない!」
僕が思わず立ち上がると、それまで黙って座っていたもう一人の若い男が近づいてきて僕の両肩に手を置いて力を入れた。
「座れ」
冷たいその言葉と、力により僕は仕方なく腰を下ろした。それを確認すると若い男はスタスタと元の場所に戻った。
「会ったこともない?それはおかしいなあ」
強面の男がニヤリと笑った。
机の上に新たに写真が載せられる。食事会の時に撮ったらしい写真だ。
写真なんて、そんな貴重なもの、お貴族様のものじゃないのか。あまりの珍しさについ手にとりそうになり、貴重品を傷つけてはいけない、と慌てて離れた。
貴重な写真というものがなぜたかが庶民の食事会ごときで撮られていたのか、不思議でならない。そして、なぜこんなものを見せられるのだろう、という僕の疑問に答えるかのように男は写真の中を指差した。
「これはお前だな」
男が写真の中の僕を指差しながらそう言ったので、そこを見ると、確かに僕だ。僕は仕方なく頷いた。そんな僕を見て、男は満足そうに頷いた。
「そして、これがマエカだ、な」
写真の中の僕からだいぶ離れたところに写っていた一人の女性が指差された。
「会ったことがない、なんて嘘だな、こうして証拠があるんだ。ハルキ、お前が言うことは嘘ばかりだな。そろそろ正直になろうか」
勝ち誇ったように男がそう言う。
僕は気がついたら考え込んでいた。
本当にマエカさんとの接点など記憶にない。あの写真はいつのだろう。
僕だってもう19だ。それなりに出会いはほしい。だからいろんな人に会える食事会は嫌いじゃないし、呼ばれればそれなりに行った。
写真の食事会は少なくとも10人以上は写っているから、それなりの規模の食事会だったはずだ。ここ最近はそんなに大人数のものには行ってないから、結構前?記憶をひっくり返そうにも上手くいかない。
マエカさんは写真で見る感じではきれいな人だ。話をしたりしていれば記憶に残っているはずだが、全く思い出せない。
考え込んでもどうにもならず仕方なく前を向くと、男が満足そうに頷いた。
「ハルキ、お前が殺したんだろう」
「違う!」
僕はもう何度目かわからない否定の言葉を叫んだ。
「まぁ、時間はたっぷりあるんだ。ゆっくりやろうじゃないか」
男はそう言うと余裕の笑みを浮かべた。