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一杯の液体

作者: 紅之模糊

 さびれた一軒のお店。

 ボロ家だのあばら家だのそんなあだ名をつけるお客さんもいるが、昔からの常連さんは、レトロで落ち着きのある店だと賞賛してくれる。

 こじんまりとしているがマスターの人柄がよく、また高速道路に合流する道の近くにあるからか、県外からも足しげく通う人もいる。

 この香ばしいにおいが人を引き付けるのだろう。

 私はそんなお店でマスターとともに今日もお客さんを待っている、一杯の液体だ。

 フルーティーなオレンジ色をし、目を覚ます程の強い香りが特徴な私は、人間様の生活には欠かせない一杯となっているらしい。

 夜に私の香りをかいだり、飲んだりすると気持ちが落ち着き、ふわふわと快眠できると絶賛してくれる方もいる。

 なんでも、休日には私を求めて色々な店を巡るもの好きもいるらしい。行列ができて何十分も待ったり、私を買って出かける人もいるのだそうだ。

 それに冬の死にそうなくらい寒い時期には平時の倍はお店が繁盛する。

 なんでも、ダンボウ? を求めに来るらしい。

 そんな話をしていたら、ほぅら。今日も又一人、お客さんが来たようです。


 カランコロンカラン。

 蝶番を軋ませ、少しさびたドアが閉まる。

 「こんばんはマスター。今日は一段と冷えますね。」

 「こんばんは美紀ちゃん。明日は積もるみたいよ。雪。……あれ、今日はお洒落さんだね。どこか出かけてきたの?」

 「いいえ。明日はサークルの皆で温泉旅行に行くんです。それでこれからみんなを迎えに行くんで、ちょっとお洒落しちゃいました」

 「へぇ、青春だねぇ。おや、そのネックレス……。もしかしてうわさの彼氏さんも来るわけ?」

 「ちょっと~。からかわないでください。翔君は友達ですよ。いつも抜けてるとこがありますし、この前だって翔君がショートが好きっていうからバッサリ切ったのに、全然気づいてないし、買ってくれたこのネックレスだって掛けても『似合ってるね』の一言もないし、これじゃ私ただ首元を冷やしただけじゃないですか。それに酔った勢いなのか分からないですけど、いきなり後ろから抱き着いてきて、何してるの?! って聞いたら、寒そうだったからって! 皮肉ですかそれは! ひっぱたきたくなりましたよ」

 「ふぉ~ん。今晩はご飯を美味しく頂けそうだな」

 「ん? 何か言いました?」

 「いやいや、こっちの話。で、今日はどうするの?」

 「あ、そうでしたね。すみません注文もせずに長々とお話だけしちゃって」

 「いやいやいいんだよ。こんな寒い日に心が温まる話が聞けたし」

 「マスターったら、口達者なんだからぁ」

 「あははは。で、どうする?」

 「レギュラーで」

 「はい。いつものレギュラーね。自分で入れる?」

 「入れれますけど、この前失敗してかかっちゃったんです。だから今日はマスターにお願いします」

 「了解。サービスで追加しちゃおっか」

 「溢れ出ちゃいますって。いつも通りでいいです」

 「了解了解」

 そう言うとマスターは私を慣れた手つきで入れ始めました。このトクトクと鳴りながら入れられるのが私は快感なのです。

 もっと言うと、今からこの体の一部になれるんだと思う飲まれる瞬間が、最高の夢心地なのです。

 美紀さんは温泉旅行に行くと言っていましたね。箱根でしょうか、草津でしょうか。はたまた指宿かもしれません。

 いずれにしても旅行先のいろんな景色を見られると思うと堪りません。美紀さん、早く出かけましょうよ!

 「はい完了。そうだ美紀ちゃん。雪で道が滑るから、タイヤもスタッドレスにしたらどう?」

 「そうですね。盛岡までの雪道、心配ですから変えていただけますか?」

 「美紀ちゃんのお願いだもん。サービスしちゃうよ!」

 「いつもすみません」

 そしてマスターは店の奥からスタッドレスタイヤを取り出し、元のタイヤと交換しました。

 その手つきはさながら千手観音のようでした。

 「おっけー。これで準備完了。美紀ちゃん乗ってみな」

 「うん」

 美紀さんはカギを回しエンジンをかけ、エアコンをつけました。

 「はぁ。生き返るぅ~。そろそろガス欠になりそうだったんで、暖房を切ったまま来たんですよ。」

 「そうだったんだね。じゃあ、これで盛岡まではもう大丈夫そうだね」

 「はい。お世話になりました。お題は一括で」

 「はいよ。これレシート。それじゃ、そこまで送るからシートベルト付けておいて」

 そういうとマスターランクの名札を付けたツナギ服の店員さんは、車の後ろに回り、油で少し汚れた手を大きく掲げこう言いました。

 「オーラ―イ。オーラーイ」


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