男子高校生とモーニング
朝ごはんは米派です。
その日の朝は清々しいものだった。
ベッドを抜け出て窓を開き外を覗き見れば、雲ひとつない晴天。照り付ける陽光はアスファルトに残っていたはずの色濃い黒色を焼き、元の冴えない、ぼーっとした灰色へと戻した。前日の大雨の跡がまるでなくなっていた。
爽やかな風も吹いて、夏とはいえど、ことこの日に限ってはそれを感じさせることのないほどに涼やかな始まりを迎えたのだった。額に浮き出る汗すらも青春を彩る一種のスパイスとして機能している。今日はもはや何物にも寛容になれそうである。
「そろそろ準備するか」
さて、いつも通りの一日が始まる。
今日はなんでも受け入れられそうではあるが、しかしもともとの多忙が消え去るわけではない。ひとり暮らしである彼は家政婦など雇っていない。つまり家のことは自分でするしかないのだ。
家族のおかげでマンションの高層に住めているので特に文句などないが。
ベッドから身を起こし、キッチンへと足を向ける。
「えーと……なにがあったかな。確か期限ギリギリの卵と……あぁ、ベーコン」
ひとり暮らしですっかり培われた独り言を呟きながら、手慣れた様子で家事を進める。
この生活が彼の振るうフライパンの中には白く色づき始めた卵ふたつとカリカリのベーコンが揺れる。彼はひとり暮らし歴が結構長い。ゆえにこの程度の簡単な料理なら完璧に遂行できる。
「うん、うまくできた」
フライパンから皿に卵を移す。こつこつとパンを買ってようやく手に入れた皿だ。
完璧に焼けた目玉焼きは文句のつけようがないほど美しかった。
そういえば、と思い出す。皿を交換するために買った食パンがまだひとつ余っていたはずだ。
「確か冷凍庫に……あった。カビてないな」
食パンをレンジで解凍にかけて、先ほど目玉焼きを焼いたフライパンをペーパーで拭いて移し替える。
百均で手に入れてから比較的長く愛用しているフライパンだが、幸いまだ料理するたびに焦げ付くなどということはない。フライパンの表面を軽くキッチンペーパーで拭いてやれば連続で使える。
「バター使っちゃうか」
彼は冷蔵庫を漁ったときについでに見つけていたバターで食パンを焼くことにした。
せっかく最高の天気なので少しは贅沢に過ごすことに決めたのだ。普段はトースターで焼く食パンを、バターで焼き上げるという、小さいが満足のいく贅沢。
包丁で切ったバターを菜箸でフライパンの面に塗り広げる。しばらくするとじんわりと空間に匂いが沸き立つ。食欲を誘われ、匂いだけでおいしいと感じる。ほのかに匂いが立つようになってきたらフライパンに食パンを入れてじっくり焼いていく。
バターの垂涎を促す匂いと、パンを焼いたとき特有の小麦が焼ける香ばしい香りが混ざり合って腹の虫が鳴る。
「うし、綺麗に焼けたな」
フライパンから食パンを引き上げて二枚目の皿に広げる。
こんがりとつけられた焼き目は一切のムラなく、日焼けのように万遍なく焼かれたことを教えてくれた。
もはやこれ以上に贅沢な朝食などこの世には存在しないのではないだろうか。このパンの焼け具合もそうだが、先の目玉焼きもかなりの出来栄えだと自負している。待遇次第では店先でこれだけを焼く機械になってもいいと思えるほどに。
リビングの机に皿を運び、椅子に腰かける。
ここからは実食タイムだ。毎朝料理の後にのみ行われる自省と自賛、両方を行うための時間。無論、その評価に手抜きなど存在しない。一口すら吟味に吟味を重ねて評価する――まあ、それでもだいぶ自分に有利な評価をつけてしまいがちだが。
まずは目玉焼きから口をつけることにした。
一口目は食材の味を純粋に楽しむという信念のもと調味料はなしだ。
白身を箸で切りわけ口に運ぶ。
「うっっっめぇ」
驚いた。
純粋な塩コショウのみで味付けをした白身。ただの白身に過ぎないのにとてつもない旨味を持ち合わせている。
例えるならただ炊いただけの米に感動するようなものだが、しかしこの白身はそうではない。決して塩コショウのみの味ではない。
一緒にベーコンを焼いたときにでた油を吸っているのだ。なるほど、それはうまいに決まっているだろう。
次はベーコンを齧った。
「!」
思った通りだった。
こちらは本当にただのベーコンでしかないが、同じ味が白身からもした。しかし白身とは違いカリカリに仕上がっているので白身の時とは味以外で変化がついている。長く焼いたことで少し焦げ端が黒くなっているものの、それが逆にうまさを引き立てている。
ここで気付く。
――ベーコンと白身でこれだけうまいなら黄身は?
もはや食べる前から答えは決まっている。
決まっているが、気になってしまえばもう止まることなどできはしない。喉が鳴る。いくつかの間を置いたのち、黄身に箸を差し込んだ。
トロリ。
一度割ったなら、その黄身は止め処なく溢れ、その勢いは爽快の一言に尽きる。やがて流れが力を失う頃には黄色い泉とでもいえるものが出来上がっていた。
割った際に箸に付着した黄身を舐めとる。
「もうノーベル賞ものだよこれは。これを食べれば人類は世界平和を果たせるよ」
思わぬうちにそんな妄言にも等しい言葉がでてきた。
黄身自体の調味は行っていなくても、完璧な半熟というのはそれだけで価値を見出せるものなのだと思い知る。ならばこの黄身にベーコンや白身を浸ければ……。
全身がぞくりと粟立つ。
その発想は、某漫画の言葉を借りるならまさに悪魔的。人間を堕落させる背徳の発想だった。だが古来より人間はその悪魔のような欲求には逆らえない。
いつの間にか箸がベーコンと白身をひとまとめに掴み上げ、黄金の女神の泉に叩き落していた。
「うっま! なんだよこれ! うまい!」
語彙力の消え失せるほどの旨味の暴力。
女神の泉から拾い上げた金と銀の斧ならぬ黄金のベーコンと白身は、それぞれの足りない味を補い合って、シンプルながら複雑な味を生み出していた。その味たるや、脳すら溶かしてしまうほどである。
さて、目玉焼きは前座のはずなのに、いつの間にかすっかり味わってしまっていた。
次こそが本命。食パンだ。
少し時間が経っているが、宿す熱は全く変わっていない。厚切りのパンだがしっかりと中まで火が通っている証拠だ。そんな食パンをどう味わうか。一口目はもちろんプレーン、なにも付けずに食べる。だがこの完璧な食パンをどんな味付けで味わったものだろうか。
悩みに悩んだ末、王道のいちごジャムで食べることにした。結局のところ、これに原点回帰するのだ。
とりあえず、まっさらな状態で一口。
「あぁ……コーヒーが欲しい」
なんだろう。揚げてもいないのにドーナツを食している気分を疑似体験した。
完璧に焼けた食パンは、穴の開いていないドーナツに似た触感らしい。
お次はいちごジャムを食パン自体に満遍なく塗り広げる。バター、小麦、いちごの香りが混じりあって、なにか上等な香水のようにも思えてくる。流れるまま、食パンを噛み千切った。
「はあああ」
日頃のストレスが抜けていくようだ。いちごのジャムの甘み、バターの香ばしさ、パン自体の味わい深いのとが重なり合って幸福を感じる。
朝食にバターを使った甲斐がある。なんというか、しっかり贅沢している感じだ。
「……ん? 待てよ」
食パンと目玉焼きを見比べながらそう呟く。
食パンは、ジャム抜きでも香ばしさだけでとてもうまい。あまりのうまさに日頃からのストレスが少し軽減されるのだからその効能、そして味は推して知るべし。
目玉焼きは、もう全体を通して神だ。語彙力を溶かしきる黄金の泉は、舌を異様なほど肥えさせた。
もし、もしもだ。
……そのふたつを同時に食したならば?
仮定の話にはなるものの、その先は天国でしかないだろう。
ここまで来たのなら引くこと能わず。前進あるのみだ。いざゆかん、アヴァロンへ。
「こ、これはァ!」
箸で食パンの上にベーコンごと目玉焼きを移し、実食。
瞬間気付いた。なんらかの違和感。今までとは違う感覚。違う感情。
人生ではじめての感覚だ。こんなこと今まで一度たりとなかった。今まで当たり前のように噛み締めていた食物たちに、改まって感謝と敬意の念を送りたくなる。情操教育の一環で知ることのない感情。
そうか。これが、これが――
「尊いというものか」
マンションの一室、男子高校生が天井を仰ぎ手で顔を覆い隠し、深く、味わうようにそう言った。
ちなみにこれは高校の始業時刻回って数十分経ってからの出来事である。
モーニング。
そう言われて想像するのはなんでしょうか。モーニングといえば直訳で朝食になるわけですけれど、一般的には軽めの朝飯を想像する方は少なくないんじゃないでしょうか。
それこそ、米に魚に味噌汁に――なんて日本の食事そのものみたいなのはモーニングとは言わないでしょう。しかし、相対的に見れば日本人の朝食はそういうもののほうが多いのは事実です。
外国人と違い、朝から食事のクオリティを求める日本人は、朝食はわりかししっかりと食べます。それこそ調理に時間がかかるような食材すら使って。
ですが、近年その傾向も薄れてきて、若い子たちは一様に朝は食べなかったり、ダイエットで食事を抜いたり……ただ食べ損ねるよりよほど健康に響くようなことをしています。
昔から言われていることですが、朝ごはんは1日のエネルギー源です。ここでしっかりと補給を行っておくことで、その日1日を乗り切る活力を得られるのです。
そう考えると、モーニングは理にかなっている構造ですよね。
手早く作れて、必要な栄養を取れて、カフェインで頭を覚醒させられる。最近は朝から忙しいなんてのもよく聞くけど、だからこそそんな人たちには軽くでもいいのでなにか食べて欲しいです。