ミノタウロスとミルク ……4
とんとん、と小気味いい音が聞こえてくる。
てきぱきと包丁で野菜を刻むのは、ミロ。
魔王から飾り気のないエプロンを借りて、身につけている。
はじめこそおぼつかない手つきで、それを魔王はひやひやしながら見守っていたが、ミロの包丁使いは一瞬で上達した。それはもう、長年包丁を握ってきた魔王をしのぐほどに。
時々、ミロはどうですかとばかりに振り向いてくる。
魔王は嬉しいやら悲しいやら、苦笑いするしかない。
意気消沈のミロを元気づけてあげたいと思って、魔王はミロを連れて、厨房に来ていた。
おいしいものを食べれば元気が出るだろう、と。
料理脳の魔王らしい考え方だ。
しかし魔王が包丁を握るより先に、急に何か思いついたらしいミロが、自分に料理をさせてほしいと頼んできて、魔王は怪しみながらもそれを了承した。
「料理は初めてみたいだけど、何で急に?」
ミロが野菜を切り終えたのを見計らい、魔王は聞いた。
振り向くミロの表情は、愛想が悪いのは変わらないが、どこかやる気を感じさせるものだ。
「差し出がましい真似をお許しください」
「いや、好きにしてもらっていいんだけどね。気づけば元気になっているようだし……」
久しぶりにちゃんとした料理を振る舞う機会が来たかと、魔王はひそかに張り切っていただけに、ミロにお株を奪われて拍子抜けした様子だ。
「はあ、私は元気ですが。落ち込んだように見えましたか? それよりも魔王様、これから身の回りのお世話は私にお任せくださいね。手始めとして、お食事の用意です」
「ああ、そういう……」
「はい、私のミルクを出す最後の希望が先ほど絶たれてしまったので、魔王様のお役に立つためには、こうするしかないと思いまして」
「お、おお。たすかる、なあ」
魔王は一人身だがそれで困っていないので、いまいち喜びきれない。
張り切っているミロは、話しの間に皮付きの鶏肉をさっと細かく切り分けていた。
「それで魔王様、次は……」
ミロが料理の手順を聞いて、魔王はその背後から指示をする。
「あーはいはい、そしたら下ごしらえした具材を炒めていくぞ。まずは、肉から。野菜は、本当は火を通す順番とかもあるけど……この後で煮るから全部一緒でいいかな。ほら、鍋にバターを溶かして……」
かまどに火は入っている。
ミロは、一口サイズに切られた肉を鍋で炒めだした。
バターのいい香りと、肉と油のはじけるようないい音が厨房を満たしていく。
「焦げつかないように、木べらで混ぜるんだ」
「はい、焦げないように……ですね」
布巾を手にし、鉄鍋の取っ手をつかんだミロは、指示通りに中身をへらでかき混ぜながら、時折、鍋をゆすった。
鍋の中で肉が踊る。全体に熱が回って、肉に早く火が通り、うまみを逃さない。
自然に、華麗な鍋振りを見せるミロに対し、魔王は感嘆のあまり「おぉ」とうなった。
底が丸いでもないただの寸胴鍋なのに、やはり料理初心者というのは嘘なのではないか。
魔王は料理で一番になりたいとかではないのだが、こうも才能を見せつけられると、多少はねたましくなる。
そんな魔王に、手を止めて振り向いたミロは不安そうに聞いてくる。
「あの、何かまずかったでしょうか?」
「あぁごめん、問題ないよ。ちょっと驚いただけ……おっとそろそろ肉がよさそうだ。野菜を投入しよう」
「はい」
ミロは、先ほど切ったじゃがいも、にんじん、たまねぎ、マッシュルームを鍋に入れた。
実はかまどには少し強めの火が入っていたのだが、ミロの手際がいいあまり魔王はそれを忘れていた。この分なら薪を抜いて火を弱める必要もなさそうだ。
縦横無尽に火が入るミロの鍋においては、野菜の芯などないに等しかった。
「もう火が通ったか……」
「そのようですね」
「じゃあ小麦粉を入れて軽く炒め合わせて……」
「はい、水を入れて一煮立ちさせたのち、ミルクと濃縮ブイヨンを加えてとろみがつくまで煮込む……で、良かったでしょうか」
「そうだけど……どうして知ってるんだ?」
「魔王様に目の前で作って頂いた物ですから。この後の手順は見ましたので覚えております」
「そう、なんだ。ミロは寒さでかなり弱ってたと思うけど、見てたのか」
「もちろんです。あの時頂いたミルクスープの優しく温まる味にはとても感銘を受けましたので、初めて作るなら、これが良いと思いました」
にこやかに話すミロ。
対してほめられた魔王は浮かない顔だ。
「……あんな粗末なので悪かった」
簡単な物で感動しているミロに悪い気がして、あの場でも、どうにかしてちゃんとした物を作るべきだったと魔王は考えるが、ミロには違ったようだった。
「あんな、などと言わないでください。私にはあれが良かったんです。それに具の入った食べ応えのあるスープは、こうして私が作っておりますよ」
ミロに改めて言われた、自分の料理への感想。
一人で作って食べるのでは感じなかった、新しい感覚を覚える。
笑みを見せるミロの純真さに当てられてか、魔王は顔を背けてしまった。
「もう煮込むだけだし、指示することもなさそうだ。俺はちょっと部屋を出るから、ちゃんと鍋を見ておくんだよ」
この場から逃げるためにそんなことを言う魔王。
「あ……はい。わかりました。魔王様、ありがとうございました」
後ろにいた魔王が離れていくのを感じて、ミロの表情に陰が落ちた。
しかし言いつけられた通りに、ぐつぐつと煮立つ鍋を見つめ続けた。