男だけのクエストに、スパイスを効かせて ……5
旅装からエプロンに着替えたノーブルは、手に入れたばかりのスパイスを使った料理を作っていた。
東の国では料理の基本であるスパイスも、フェンネルやノーブルの国では、あまりにも価値が高く一般にはほとんど浸透していない。ノーブルもその例に漏れず、実際に料理に使ったことは実はそれほど多くなかった。
「慣れないものは、奇をてらうよりまず基本で攻めろ……というわけで、スパイスの料理と言えば、カレーだよな」
スパイスを手に入れるために東の国を訪れた際に、そのものを食べた事はあるし、レシピも学んでいた。
「まずターメリック、クミン、カルダモン、コリアンダー、オールスパイス、カイエンペッパー……」
スパイスを磨りつぶし調合していく。この辺りの作業はノーブルにとって慣れたものだ。錬金術や魔法においても同じようなことをする。
「せっかくだから、胡椒と、フェンネルシードも使おう」
実はフェンネルの名前を聞いたときから、このレシピを考えていた。もちろんその時はごちそうするつもりはなかったが。
ノーブルは身につけていた包丁を、鞘から抜いて、手に取った。
「ミノタウロスの肉とタマネギ、トマトを切って、と」
肉は大きめに、野菜は荒くみじん切りにしていく。
「……少し肉が固いな。すり下ろしたニンニクとショウガ、オールスパイスも入れておくか、そしてワインで揉んで熟成の魔法だ」
休ませて味をなじませる所だが、時間が必要な工程も魔法で短縮出来る。
ちなみに肉などの採取したばかりの素材は、必要に応じて魔法で、乾燥や熟成を済ませている。
「魔法を覚えた甲斐もあるってもんだ」
料理というものは下準備に時間がかかるもの。そのために魔法を覚えたのでは、さすがにないが、現在、ノーブルにとっての魔法とは料理のためのものだった。
かまどに火を入れ、鉄鍋を熱する。
牛脂を放り込んで溶けるのを待つ。
「おし、タマネギを投入。色づくまで炒めていったん皿に空ける」
タマネギが油を吸ったので、再度牛脂を鉄鍋に入れて溶かす。
「次は肉だ。じっくり炒めて焼き目が付いたら、トマトを入れて、とろみが付くまで熱する。そこにタマネギを戻して、調合したスパイスを加え、炒める」
熱されたスパイスから香りが立ちこめる。
この香りが、ほろ酔いのフェンネルまで届いていた。
塩で味を調え、それを小さじですくい口に運ぶと、ノーブルは頷いた。
「こんなところか……おっと、そろそろあれも焼ける頃だな」
ノーブルは別の窯へ向かい、先に焼いていたものを取り出した。
カレーとはまた違う香気。平たく伸ばされ、焼かれたそれは、
「うん、ナンもいい出来だ。カレーだけではもの足りないしな。酒があると言っても、やはりカレーとナンの取り合わせは格別なんだ」
今焼けたナンと、カレーをそれぞれ鉄の器に盛りつけ、ノーブルは食卓へ向かった。
「お待たせー」
「おお、できたのか! やけにいい匂いがしてて、もう辛抱たまらなかったのだ」
ノーブルの手で、食卓に湯気の立つ皿が二つ置かれた。
「ミノタウロスカレーとナンだ。別々でもおいしいけど、一緒に食べるとさらにおいしいから試してみてくれ」
黄金を思わせる色合いと輝きを放つ、カレー。ナンは白く、油分がにじんで光り、所々きつね色に焼き目が付いている。
目前にすると、それはあまりなじみのない料理だったが、香りと見た目によって、フェンネルの口によだれがたまってきた。
俄然、期待も高まる。
フェンネルは鉄のスプーンを手に取った。
「肉料理なのか? ミノタウロスとか言っていたが……、いや、気にせず食べよう」
いろいろ言うフェンネルだが、スプーンに乗せたカレーを早く口に運びたくて仕方がない様子。そしてアツアツのカレーを一口。
「はふはふ、はー、熱い。だが……うまい!」
ミノタウロス肉の脂が、鮮烈な味を伴って炸裂してくる。同時に、口を開くたびに湯気が漏れるくらいの熱さも襲う。
「肉のうまみすごいな。しかしこの味付け、からいが、それだけではないのだ。鼻から抜ける独特の香りといい、新しい味に出会った」
エスニック風味がクセになる。
味の濃い物を食べれば、酒が欲しくなる。フェンネルはジョッキを手に取り、のどを鳴らして飲んだ。
「ああーっ、これはいい! 蒸留酒と合わせてもいいかもしれん」
エールが口の中をさっぱりさせてくれるので、今度はまたカレーが食べたくなる。
「止まらんなあ」
二回、三回と繰り返したところで、フェンネルはナンの存在を思い出した。
「そういえばこれもあったな……」
フェンネルはナンを一口大にちぎった。
所詮はパンだと思ってある程度味が想像できるし、期待はしないまま、食べた。
「む、これはなかなか」
素材由来の甘さ。香ばしくて後を引く。焼きたてだからというのもあるだろう。
無意識のうちに二口目をちぎっている。
カレーと一緒に食べるようにノーブルが言っていたので、フェンネルは素直にそれを実行する。カレーを口に含み、続けてナンを放り込んだ。
「おお、確かに合う! すごいなノーブル! うまいぞ!」
「それはなによりだ」
ノーブルは、ほほえみを浮かべて言った。
何も言わず、傍らに立って食べる様子を見守り続けている。
それからフェンネルは無心に食べ続けた。食堂には食器の音と、咀嚼する音だけが鳴っていた。フェンネルにとって至上の幸せが、ここにあった。
しかし何事も必ず終わりはやってくるもので、カレーも、最後の一口を残すばかりとなった。フェンネルはそれをスプーンですくい集め、惜しみながら味わった。空になった器にカランとスプーンが落ち、飲み干されたジョッキは机にドンと音を立てた。
「はああ……」
余韻に浸るように、フェンネルは長いため息をついて、
「あー……、ごちそうさん。うまかった」
傍らのノーブルに向かって言った。
「すごい喜んでくれてるようで、俺も嬉しいよ」
「あんなうまいの、作れるものなのだな。私の行きつけの酒場なんかとは比べるべくもない。なあ、町に店を出したらどうだ? 間違いなく繁盛するし、そうしたらいつでも食べられて私も嬉しいのだが」
「店? んー、考えたこともなかったけど、店ねぇ……やる気がまったくわかないな」
ほめられたのはまんざらでもない様子のノーブル。ただフェンネルの提案はあまり迷いもせず断った。
フェンネルは本気でノーブルに店を開いて欲しがっていたので、純粋に残念に思った。
魔物のことなどはとうに忘れてしまっている。
「な、なぜだ……。魔法使いの仕事? が、急がしいのか?」
「いや、誰かのために働いてる訳でもないし、時間は腐るほどある。しかしなあ、店を出すほどの覚悟が、俺にない」
「覚悟、か……。そんなに料理が上手くても、だめなのか」
「自炊の楽しさに目覚めて、それからいろいろと手を出してる内に、それなりには作れるようになってるとは思うけど、店を構えるとなると、仕事になるだろ? そのつもりでやってきたわけじゃないしな」
「うぬぅ、そうか……。さすがに無理強いはできんか」
一応、納得するものの、フェンネルの落胆が隠しきれない。
「悪いな。ただ……人に食べてもらう良さっていうのか、嬉しくなったのは本当だから。もしかしたら、いずれは、店をやってもいい、のかもしれない」
「本当か!?」
「気が変わったらだけどな。期待はしないでくれよ」
ノーブルは食器を片付け始めた。重ねた食器を両手で持ち、キッチンへ行こうとして、途中で立ち止まった。
「そうだ、フェンネルが店を出せばいいんじゃないか?」
「は? 待て待て、なぜそうなる」
「店、出したいんだろ?」
提案の意図が分からず、キョトンとしているフェンネルに対し、当然という顔のノーブルは、これの何が不思議なのか、逆に疑問に思った。
「あれ、何か違ったか?」
「いやまあ、お前さんにそう提案はしたが、どうして私の話になっているのか……。言っておくが、私は料理ができない。剣を握ること多しとはいえ、包丁には一度も触れたことがないしな。そんな私が店を開けるはずもないだろう」
「あ、あー、そうなの? まあ店はともかく、料理ができないって決めつけなくていい。今日作ったカレーは手間がかかるけど、技量もそんなにいらないし、料理したことなくても作れると思うぞ。フェンネルも気に入ったみたいだし、一度作ってみれば?」
簡単そうにノーブルが言うので、フェンネルもついその気になる。
「そうなのか……私でもアレが……」
「もしその気なら後でレシピ渡すよ。なんなら材料もあげるし、たくさん余ってるから。……じゃあ俺は、後片付けに戻るか」
今度こそ、ノーブルはキッチンに向かった。
自分で作れたら、当然毎日食べることができる。そればかりか、一度は否定した店を開くのだって、夢ではない。
あの味を再現した日には、町一番の食堂になっていることだろう。
そんな未来もいいかもしれない。元々好きで傭兵を続けていたのでもないフェンネルはそう思った。
ここまで前日譚でした。
次回からサブタイトルも変えて、本編を書いていきます。
世界観とか先に提示しやすいかと思って書き始めましたが、正直、狙いは失敗に終わったような気がします。