男だけのクエストに、スパイスを効かせて ……2
平原は見渡しがいいから比較的安全だったが、森に入るにあたっては注意を払わなければならない。木々や茂みといった障害物が多く、どこに魔物が潜んでいるか分からない上に、日差しが遮られて常に薄暗く、視界も悪い。発見が遅れて懐に入られてしまえば、命取りとなる。
そんなことを考えているフェンネルの後ろから、ノーブルが話しかけてきた。
「なあ」
「……っ! どうした。何かあったか?」
警戒していたところに声がかかったので、フェンネルは少々面食らった。慌てて辺りを見回すが、特に変わった様子はない。
フェンネルの緊張などよそに、ノーブルは話を続ける。
「ギルドからは、最近、町の近くに魔物が出て、畑の作物とか、牧畜が荒らされるようになったと聞いたんだが、まだ一体も見かけないな」
「なんだ。そういう話か……」
魔物を見つけたのではないと分かり、安堵するフェンネル。
「まあ、確かにな。魔物は、森の奥の古城から来ている。本拠地の近くでこれは、おかしい。町にまでやってくるのだから、この辺りはもう、魔物であふれかえっていそうなものだ」
魔物の動向については、あらかじめギルドから情報をもらっている。いつの間にか森で増えた魔物は、人の生活圏にまでテリトリーを広げてきている。
「だよなあ、増えてると聞いたから来たのに……。退屈だ。そこら辺からぽこぽこ生えてこないものか」
ノーブルはそう愚痴る。
穏やかではない話に、フェンネルは顔をゆがめつつ、律儀に答えを返していく。
「魔物は普通、自然には発生しないそうだ。必ず原因があって魔物は生まれる。だから古城に行って、その原因を排除する。それが今回の仕事だな。何があるのかは現地に行くまで分からないが」
さすがのギルドも全ての状況を把握出来はしなかった。
ちなみに、魔物による被害は世界各地で多発している。初めの内こそ国家が軍隊を動かしていたが、次第に、手に負えなくなっていった。そこで民間から魔物に対応する組織がいくつか立ち上がった。代表的なのが、未知に挑む冒険者を集めた冒険者ギルドである。
フェンネルが所属する傭兵ギルドも、時勢の流れに乗ってそのあり方を変えた。戦争に荷担する商売を主としていたのだが、魔物と戦う組織になった。これは、人同士で戦争することが少なくなったからで、仕方なくだった。
ギルドの一員として、フェンネルは従軍経験をそれなりに積んでいた。そんな彼でも、未だに魔物を相手取るのは苦手意識があった。
「正直こんなに楽に進めるとは思っていなかったな。魔物との接敵は少ないに越したことはない。ラッキーというものだ」
「…………」
ノーブルは黙ってしまった。
フェンネルも特に返事を期待していなかったから、何も思うことなく、そのまま二人は森の中を歩き続けていく。鬱蒼と茂って暗かった景色も、だんだんと明るく変化してきて、ついに開けた場所まで出てきた。
「古城っていうのは、これだよな」
ノーブルが指さし、言った。
前を歩いていたフェンネルも気づいていた。
深い森を割って、日差しに照らされた古城が、二人の前に、静かに佇んでいる。
「結局、何も起きないまま目的地までたどり着いてしまった……。別に悪いことではないのだが」
ずっと緊張していたフェンネルにとってこれは、拍子抜けだった。
隣を見やると、脳天気に古城を見上げるノーブルの姿がある。何を考えているかわからない。見ている側まで気が緩んできそうだ。
思えば森を歩いていた時も、ノーブルはずっとこんな調子だった。表情には出なくとも自分と同じく緊張しているんじゃないか。そうフェンネルは考えていたのだが、これは本物のアレか、とんでもない大物かのどちらかだと今なら思う。
「……腹が減ったな」
フェンネルは腹をさすった。町を出てから歩き通しで、とっくに胃は空っぽになっていた。
ずっと警戒を続けてきたから、空腹を感じる余裕もなかったらしい。集中が切れた途端にこれだ。なぜなのかフェンネルにもわからないが、ため息が漏れてきた。
腰の革袋に、フェンネルは無造作に手を突っ込んだ。大して物が入っている訳でもないから、すぐに目的のパンが取り出せた。とりあえずこれで腹を満たすつもりだ。
保存を利かせるために硬く焼き締めたパン。味は、当然のようにまずい。フェンネルは気にせず口にしようとするが、思わぬ制止が入った。
「まてまてまて、ちょっとそれ俺に貸してみ」
「は? おい何をする!」
突然、ノーブルにパンを横からかっさわれてしまった。
あまり怒らないフェンネルでも、食べ物が取られたとあっては頭に血が上りかかる。反射的に手が出そうになるが、ノーブルの手元に異変を見つけて動きを止めた。
パンが、浮きながら回っている。
どうやらノーブルが何かしているらしい。ノーブルの手が不自然な光を帯びて、パンに何かしらの干渉を行っている風な様子から、フェンネルはそれが分かった。
「ノーブル、魔法使い……だったのか?」
呆気にとられるフェンネル。魔法というものを聞いた事があっても、実際に見るのは初めてだった。それだけ魔法使いは少なく、人前に出てくることもない。
「魔法か……巷ではそう呼ばれるらしいな。それより、ほれ」
ノーブルはパンを差し出した。
フェンネルには、パンに湯気が立っているように見えた。魔法を見た衝撃が強くて目がおかしくなったのかと、気にせず受け取ろうとする。
「……熱っ!? なんだどうなって……あっ、柔らかい!?」
驚きのあまりフェンネルは危うくパンを取り落としそうになった。あの湯気は実際に熱いから出ていたのだ。慌ててつかみ直せば、カチカチだったはずのパンに、ふんわりと指がめり込む。これにはまた驚かされてしまった。
「ぼーっとしてないで、早く食え。冷めちまうよ」
「あ、ああ、そうだな……」
呆然とパンを見つめていたフェンネル。急かされて、自分はこれを食べるつもりだったのを思い出した。おそるおそる、パンを口へ近づけて、かじった。
「っ!? ……う、うまい」
二口、三口とパンにかじりつくフェンネル。
食感が、柔らかいのは分かっていた。硬いパンがまずい理由は、とにかくぼそぼそとした口触りだ。噛むたびにもちもちするというのは、心地いいだけでなくおいしさを引き立てる。
そして温度。人の体温に近いほど味をよく感じられると言う。温かいパンは、ほんのりと甘い。
フェンネルは、温かいものを口にするのが、実はもう思い返すのも難しいくらい前のことになる。料理と言えば、酒場で出される冷めたもの。それに慣れてしまっていたので、たかがパン一つに感動を覚えていた。
「おおげさだな。冷めたのよりはマシだろうが、そこまでか?」
フェンネルがパンをむさぼり食う様子を、呆れ顔でノーブルは見守っている。やがて最後の一口を、フェンネルはゆっくりと飲み込んだ。
「……私の人生で一番のパンだった」
「いやいや、ただのパンだろ」
「そんなことないさ。なあノーブル、さっきのは何だ? 火……ではないのだろうが。いったいどんな魔法を使ったのだ?」
「どんなって、言っても分からんと思うけど……、エレクトリックフィールドを作り出しているんだよ。そんで水のエレメントを振動させてな……」
「待った、そこまででいい。すまんかった」
フェンネルには理解出来なかった。説明を遮られたノーブルはほんの少しだけ残念そうだ。
「ところでノーブルは、何か食わなくてもいいのか? 悪いが……私の手持ちはもうなくて分けられないのだが」
腹が満ち落ち着いたフェンネルは、ノーブルを気遣う。一度パンを取られて怒ったことは、棚に上げて。
「気にするな、俺は大丈夫だ」
フェンネルが見た限り、強がりとかではなさそうだ。ノーブルは、今もあくびを漏らしているように、一貫して安穏と構えている。魔法を見た後だと、フェンネルはこの態度に対して、心強さを感じるようになった。
「なら、行くか。ここからが本題だ」
フェンネルは古城に向き直った。
苔むした扉は、長く誰も訪れていない証だ。二人して、その朽ちた扉へ向かい、中へ入っていった。