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淪命世ーしずみよー  作者: 火之香
命にすがれど
17/36

濡れる

 薫は会社で原稿を書いていたが、あまり集中できなかった。昨日の出来事のせいで、よみとミラとナキメが精神的ショックを受けたらしいことが気がかりとなっていたからだ。その後、皆は元気を取り戻したかのように見えたが、ナキメから軽い口調が出なくなったことに気が付かないわけにはいかなかった。


 ナキメの言っていた話しではどうやら薫の部屋に集まったのは、取材に行ったときに出くわした霊たちであるらしかった。どうして薫の部屋に集まってきたのかという疑問もあったが、それ以上におかしかったのはナキメの言動だった。


『あそこにいたはずがないんだ。あいつらは、僕が黙らせたからもう心配なかったはずなんだ。あいつらがあそこで、あの山で死んだはずがないっ……』




(そう言えば、あの山から下山した後、ナキメの様子がおかしかったな……。あの道を通りたくないような感じだった。そしてその後、よみが何もいないのに怖がりだしたんだっけ。昨日のことと何か関係があるのかな……。やっぱり、このことを記事にしちゃいけないような気がする。やっぱりナキメはこのことに関して何か隠しているんじゃないかな……)


 薫は考え込んでしまった挙句、一行も書けないまま就業時間を過ぎてしまった。その様子を上司に見とがめられ、こっぴどく叱られてしまったが、薫は叱られても上の空状態でそれがまた上司の怒りに油を注いだ。


「白山はもう新人じゃないんだから、このようなことはあってはならないんだよ! わかっているとは思うが、記事をただ書くだけの気楽な作業だと考えてもらっては困る。何か他の考え事をしながらでは作業が捗らないことぐらいわかっているだろう!」


「……ちょっと、言いすぎじゃ……」


「君は黙っててくれないか」


 上司は薫の先輩であり、編集者の桃井美海(愛称ミミ)から止められても、怒りは収まる気配はなかった。


「まったく……。これからは気持ちを切り替えて仕事にあたるようにっ」


「はい、以後気をつけます……」


薫は上司から叱られた事も相まって気持ちが一気に急降下してしまった。まさに泣きっ面に蜂だ。だからなのか、帰るころになってもいつもなら来るはずのナキメたちが会社の前に現れなくても、何の疑問もわかなかった。


「……よみ、歩きづらそうにしていたし、もう来させないほうがいいのかもしれないな……」


 薫は気持ちを何とか切り替えてから、一人でアパートに帰ることとなった。しかし、いつも周りが騒がしいせいでこの言いようのない静けさは薫を落ち着かなくさせた。


 いつもなら、あのポストのあたりでナキメに後ろから体当たりされたり、あの惣菜店の前でミラがよだれを垂らして動かなくなってしまうのを何とか歩かそうとしたり、そしてあの橋のあたりでよみにすり寄られながら歩きにくい状態になってしまったりしていたはずなのに。普通なら薫をイライラさせるそれらのことがないことが、かえって薫の気持ちを沈みこませるようなこととなってしまうとは。


 その時、薫は頬にかすかに何かが当たるのを感じた。


「……雨だ。傘持ってきてないな」


 しかし、幸いなことに小雨だったので、ずぶぬれにならずに済みそうだった。


「まったく、本当に今日はついてないよな……」


 薫が速足で歩いていると、目の前に女の人が立っていることに気が付いた。しかも、傘をさしていない。しかも濡れるのも構わず、雨宿りしようとするそぶりは見せなかった。薫は急いではなかったので、その女性にちょっと、声をかけてみることにした。


「……あの、雨宿りはしないんですか?」


 薫の問いかけに女性が振り向いた。うりざね顔で長い髪がきれいな女性だ。薫は近づいてみて妙なことに気が付いた。


(この人、若いのに来ている服がお母さんが着ているのに似ている……)


 女性は薫の問いかけに不思議そうな顔をした。


「雨宿りだなんて……。せっかくの豊饒の雨ですよ。喜ばなくては」


 何だか不思議な感性の人だなと思ったら、今度は女性が薫に聞いてきた。


「あなたは、雨はお嫌いなの?」


「いや、嫌いっていうか……。雨が降ると外出は控えたくなっちゃうかな……」


 薫の答えを聞くなりその女性はがっかりしたような顔をした。


「……そう。それは残念。ところで今日はお友達とご一緒ではないんですね」


 薫はそれを聞いてこの人とどこかで会ったっけと思ったが、友達という言葉に引っかかりを感じた。


(夏未とは一緒に帰ったことはないし、まして卓と一緒に帰ることなんてないのに……。もしかして……)


「友達って、黒犬のことかな」


「あら、ほかにも一緒に帰られてる子たちがいるじゃないですか」


 この人は霊が見える人なんだと思った。しかし、どうしてそれをわざわざ薫に言う必要があるのだろうか。


「もしかして見え、てる?」


 女性の答えは、薫が考えていたのとは違っていた。


「見えるも何も、私も霊の端くれですから」


「え、でも……」


「生きているようにしか見えないって、そう言いたいのでしょう?」


 そう言って女性は微笑んだ。雨に濡れて髪は頬に張り付いていたが、それでもきれいに見えた。


「うん……。そう、そう見えるよ」


 幽霊に見え無い幽霊なんてつい話しかけてしまってもおかしくはない、その幽霊が見えたらの話だけど、などと失礼なことをうかつにも考えてしまった薫だが、その女性と話しているうちに仕事での嫌なことを忘れていた。それぐらい彼女の話し方は相手のストレスを軽減させるものがあったということなのだろう。


「……あ、そう言えばあなたはご自宅に戻られるところでしたよね。私も帰らなくては。……それでは」


 そう言ってその女性は踵を返そうとした。


「ちょっと待って!」


 薫は思わず女性を引き留めた。自分でもなぜそうしたのか分からなかった。が、どうしてかもう少し話していたいと思っていた。


「何かしら?」


 女性は振り返りながら聞いた。薫は思わず喉が詰まりそうになった。


「……また、会える?」


 何言ってるんだろう。相手は幽霊だって言うのに。女性は微笑しながら答えた。


「じゃあ、雨が降ったら、会いましょう」


 雨が降ったら。ああ、この人、いやこの霊は雨女なんだ。薫はうっすらとそんなことを考えながらその女性と別れた。


「……そういえばあの人の名前、聞かなかったな」






 薫のアパートでは、ラッちゃんに喚かれながらよみとミラがはしゃぎまくって(部屋の中を破壊して)いるのをしり目にナキメは昨晩のことを考えていた。


(どうしよう。このままだといつか薫にまたあのことを聞かれてしまう。薫に、本当のことを言うべきだろうか。……いや、ダメだ。まだ決心がつかない。僕が薫について行った理由を……)


「わんわん!(もうやめていい?)」


 よみは足を引きずりながらミラに聞いた。ようは動かなくなってきた足を労わりたいのだ。


「親分候補は特訓しないといけないんだ。足が動かなくなってきたからといって甘えてたら、しまいには寝たきりになっちまうぞ。そうしたら親分候補は親分に昇格できねえ」


 ミラはこぶしを振り上げながら力説していた。とりあえずミラとしては、よみに強くあってほしいらしい。


「ちょっと! もう少し静かにできないの? うるさくてかなわないよ」


 ナキメは文句を言うやいなや、ミラが言い返した。


「なんだよ、お前。人間と長く暮らしてしまったから良い子になっちまったんじゃねえかよ。それじゃお化けの意味がねえだろ」


「あのねえ。それとこれとは全く違うと思うんだけど。お化けって言うのは人を驚かしてこそ意味があるんだ。ただ周りのものを破壊してるのは人間にだってできるよ」


「ただいまー」


 ミラが言い返そうとした時、ちょうど薫が帰ってきた。雨に振られたせいで服はびしょびしょになっていた。


「あ、薫。おかえりなさい」


「わん!(おかえりっ)」


 よみは薫に駆けよっていったが、いかんせん足が不自由なためナキメに抜かれてしまった


「よみ、いい子にお留守番してた?」


 薫はこれから皆に迎えに来てもらうのをやめることになるかもしれないと考え、そう言った。


「良い子、ねえ……」


 よみは薫が帰って来た喜びをしっぽを振ることによって爆発させていた。よみの足が不自由でなかったらよみは薫を押し倒していたかもしれない。


「わん! わんわん!(あれ、薫他の犬と遊んだの?)」


「え? 何を言ってるの。僕がよみ以外の犬に触るわけないじゃない」


 薫は服をタオルで拭いて嗅いでみたがそれらしい匂いはしない。


「なにやってるの。犬が感じ取れる匂いと人間が感じ取れる匂いには開きがあるんだよ。薫が嗅いだってわかるはずがないじゃない」


 ナキメは薫はもともと犬が苦手なので確かに他の犬の匂いがするということに違和感を感じながらも薫にそう言った。


「ひひっ、こいつ犬のニオイがするのか。でもこいつはどっちかって言うと、犬というより狐っぽい顔してるよな」


「わんわん! わんわんわん!(確かに狐っぽい。そういや匂いも犬というより狐っぽいかも)」


「はぁっ、よみまで何を言いだすんだよ。僕はれっきとした人間……」


 薫はそう言いながらも、妙な落ち着かなさを感じた。


(そういや、あの時天狗は何を言いかけたのだろ。僕に何かあるみたいな言い方をしたな……)


 妙な胸のざわめきは寝る頃になっても消えることはなかった。


「ねえ、早く着替えたほうがいいんじゃないの?」






 薫のアパートのすぐそばに一羽のフクロウがとまっていた。そこにミドちゃんがやってきた。


「ピーピー(まだそこにおるのかね)」


 話しかけられたフクロウはミドちゃんの姿を見るなりハッとした。


「ホー、ホー(別に、構わないでしょう)」


 ミドちゃんはその言葉を聞いて少し残念そうな顔をした。


「ピーピー、ピーピー(何度やっても、結果は変わらんぞ)」


「……ホー ホー(……心配なんですよ)」


 フクロウは薫のアパートを見やりながらつぶやいた。フクロウにはなにか訳があるようだった。


「ピーピー、ピーピー。ピー……(お前さんが、言いたいことはわかる。しかし……)」


「ホー、ホーホー(僕の、子孫の運命がかかっているんです)」


「ピー……(ノール……)」


「ホー ホー(あいつを、止めなきゃ……)」


 その時、小雨になっていた雨が突然土砂降りに変わった。すさまじい暴風雨が吹き荒れ始め、ミドちゃんとフクロウは飛ばされそうになった。


「ピーピー!(雨女に何かあったに違いない!)」


 そう言うやミドちゃんは自分とフクロウの周りに結界を張り始めた。すると、雨はミドちゃんとフクロウを避け始めた。


「ホーッ(一体何がっ)」


「ピーピー!(見てくる!)」






「ダマレ!」


「雨、ひどくなってきたな……。大丈夫だよ。ラッちゃん。すぐに止むと思うから」


 薫はラッちゃんにそう言い聞かせた。あまりにもひどい雨の降り方に窓ガラスがかなり揺さぶられていた。


「雨戸、閉めたほうがいいよ。窓が割れちゃうかもね」


 ナキメが不穏なことを言うと、よみは嫌そうな顔をした。


「わんわん!(ちょっと不吉なことを言わないでよ)」


「窓が割れたら、それはそれでおもしれえっ」


 ミラは窓が割れたときのことを想像してニヤニヤし始めた。ミラは小心者だが、こういうことにはワクワクするほうであるらしい。その間にも、雨はすさまじく窓を叩きつけていた。


 いや、激しい雨の中に混じって何か別の音が聞こえる。薫はその音がした部屋へ向かっていくと愕然とした。夕方に出会った雨女が窓の外に立っていたのだ。別の音とは、雨女が窓を叩いている音だったのである。薫は慌てて窓を開けて、雨女を中に入れた。窓を開けたせいで、部屋の中に雨が入りこみ、畳がびしょびしょに濡れてしまった。


「どうしたのっ。なにがあったの?」


 薫は雨女に聞いてきたが、雨女は激しく首を振った。よくよく見ると、泣いている。雨女が激しく嗚咽おえつを漏らすたび雷鳴がとどろいた。この大雨は雨女が降らせたものだと、薫は気づいた。


「わっ。誰かいると思ったら雨女じゃないの。どうしたの。ここまで来るなんて」


 ナキメが雨女のことを知っていることに薫は驚いたが、今は雨女を泣き止ませるのほうが先だと思い直した。雨女はナキメの問いかけに答えようとしたが、話そうとするたび、涙がとめどなく流れ話すのもままならない状況だった。薫は雨女を泣き止ませようとしたが、泣いている理由がわからない以上、どうやって声をかければいいかわからなかった。


 ミラが雨女にちょっかいをかけようとしたり、よみが雨女の匂いを嗅ごうとするたび、薫はそれをやめさせた。よみたちが変な行動をとって雨女をさらに泣かせてしまうのは賢明とは言えないからだった。しばらくまっていると、雨女がすすり泣きながらも話し始めた。


「……み、見て、しまったんです……。ひっく」


「な、何を?」


「ひっく、ひっく……。何を言って、いるか、聞こえなかった……。けど、確かに見た、んです……」


 そう言うと雨女はさっきより激しく鳴き始めてしまった。強烈な雷鳴があたりに鳴り響いた。窓ガラスが割れてしまいそうなほど雨が激しく窓を叩きつける。雨女はひとしきり泣くと、ようやくか細い声で見たものを言った。


「                 」


 薫たちはそれを聞いてしばらくの間、絶句した。

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