1:Xxxx, Despair, Xxxxless
頑張って完結してみたいものです。
幸せな人生を歩みたい。
それは誰しもが持つ願いに違いない。
向こうの方に住んでいたジャックだって、私の母だって、そんな願いを持っていたはずだ。
しかし、運命というものはそんな簡単にはではない。
ジャックの母は流行り病で死んだ。ジャックの父は増水した水路を見に行き、まだ帰っていない。そして当のジャックは餓死した。
父の話によれば、ジャックの家は荒れ放題でゴミが散乱し、ありとあらゆるものが――食料だけでなく衣服もが――カビで覆われていたという。床には汚物が散乱し、汚臭が家に入る者全てを拒んでいた。それでも部屋の奥へと進むと、人形のようなものにゴミが付着したものがあったという。それをがさつに取り除き進もうとすると、一片の肉塊が床に落ち、虫が這いだしてきた。そこで皆、気付いたという。それがジャックであったということに。
吐き出す者、逃げ出す者、様々居たらしいがそれでも正気を保とうとする者がいた。だが、壁面に書かれた血文字を見た時、誰もが恐怖し足がすくんだ、らしい。
そこに何が書かれていたのか、それを言うのはやめておこう。あれは言うだけでも気分が悪くなる。
この事件を耳にした父は、数日間、母に執拗に家を清潔にするように言いつけた。不潔は凄惨な死の要因と成りかねないというわけだ。しかし、父自らが率先して何かをやることはなかった。俺はあんなにも酷いものを聞いたのだと、まるで重大な何事かを成したかのように、酒とつまみをむさぼっていただけだ。
ジャックに関して父がしたことは何もない。ジャックの様子を見ないから心配だと、畑仕事の友人と話していたくらいでしかない。父は現場すら見ていない。父の友人が震えるままに話したことが、父の耳と口を通して私に届いているに過ぎない。
そして、父はこういう蛇足も付け加えた。
「人間ってのは拠り所がいなくなったら終わりだな。その点、俺は恵まれている。なんたって、お前がいるからな。なあ?」
母はこう言われ、微笑んでいた。ボロボロになった手で雑巾を握りながら、微笑んでいた。
それを見た私が何かを感じることはない。いつも通りの光景だ。
どうせ何もできることはない。私は母に干渉できない。それがこの家の愚かしきルールだった。
父は最低なことに傲慢であり、且つ、暴力的だ。そして非合理的な直情思考を有している。言い出したら何事も止まらない、と言えば理解しやすいだろうか。
そんな父は私が母の手伝いをすることを許さなかった。
これといった理由もなく発せられた、なんと意味のない号令か。私が家事をすることの何が良くないのだろう。しかし、私と母は呆れかえる命令に従わざるを得なかった。
この家では父は暴虐なる君主であった。父は暴力による単純支配の絶対王政を敷いていた。それに逆らおうものなら制裁の拳が降りかかる。その罰は父の満足のいくまで――例え、母が気絶したとしても――続くのだった。
私は母の反抗する姿を一度も見たことがない。母は、父という王に仕える家臣の如く、いつもペコペコと命令に従うのだ。どんなに不可解であろうと、どんなに理不尽であろうと必ず命令に従い、一昼夜、決して休むことなく働き続けるのだ。
そんな母の姿は哀れだった。
父が寝静まってから、咽び泣く母の姿を見ない日は無かった。私はそっと母に近付き、抱きしめる。そうすると、母は泣き止むのだ。それから、私は母が泣いているのを見ると、必ず抱きしめるようになった。
だから今夜もそうするべきであったのだろう。
リビングで泣く母を、何故か今日だけは抱きしめることができなかった。
どうしてだろう。どうして母を抱きしめることができなかったのだろう。
どうして泣く母を抱きしめることができなかったのだろう。
どうしてだろう。どうしてできなかったのだろう。
どうして。
お母さんはそんなに笑っているの。
私には分からない。どうしてお母さんがあんなに笑っているのかを。
どうしてあんなに涙を流しているのかを。
この答えを私が知ることは決してないのだろう。
涙で腫れた目が私を見つける。
涙で腫れた目が私を見つめる。
やめて。
それを下ろして。
お母さん――――――。