桃色苦労婆 乙5
ケイは命がけで攻撃を仕掛けた後、事切れるようにその場に倒れこんでしまった。ケイの右腕はとくに鈍い金属音を立てて床へ落下し、もの悲しい音色を部屋へと響かせる。
そして、乙葉の磁力結界はいつの間にか解かれているにも関わらず、その場に動くものは誰もいなかった。先ほどの乙葉の魔術やケイの銃撃でボロボロになった壁や天井が、パラパラと音を立てて崩れていく。
「…グフうっ! ぅうううつう」
先に起き上がったのは、乙葉だった。
乙葉は腹部を抑えながら何とか立ち上がると、辺りを少し見回してから床に仰向きに倒れているケイへと歩みよる。そのフラフラとした足取りからはケイの渾身の一撃が乙葉へ確かにダメージを与えていたことを示していたが、致命傷にはほど遠いようなそぶりであった。乙葉はケイを見下ろす様に立ち、懐から出した短杖をケイへ向けながらゆっくりとした調子で喋り始めた。
「高度な科学技術と磁力魔術を操る少年よ、聞こえますか? 私は今までお主のような前世持ちと11人会いました。彼らが持つ知識や技術は様々でした、例えば政治学、経済学、心理学、はたまた芸術なんてのもありましたが、全員が漏れなく旧世代の知識をいいように振りかざし、好き放題にやっていました。」
乙葉の呼び声は床でのびるケイの微かに残った意識へと届いていたが、全身の力が入らないケイは抵抗に殺気を込めた視線を乙葉へ向けるにとどまっている。
「彼らは、お主同様にこの世界は異世界だとでも思っていたのでしょうか、どこか他人ごとのように快楽的にこの世界を生きていました。強力な力でもって気に入らないやつを蹂躙し、自分がさも特別な物語の主人公だといいたげにです。知識とは、力です。ただ偶然もらっただけの身の丈に合わない力を自分の力と勘違いし、全能感に溺れた彼らは、面白いことにもれなく私達にちょっかいを出してきました。あなたのようにね」
「……」
今だって燃え上がるほどの殺気はこの胸に灯っている。だが、同時に乙葉の言うことが正しいことも痛いほど理解できた。この2年、自分の軽率な行動により大事な友達を2人傷つけてしまったことを悔やまなかった日はないのだから。
「自分なら特別な力で何とかできる、悪の組織からだって皆を守ることが出来る、そう思っちゃうんですかね。現実はそんな甘くないし、甘ちゃんが思うほど悪の組織はバカでもないんですがね。あ、愚痴っぽくなってしまいました。ここからが本題です、そういう前世持ちの中に稀に本物の悪意が紛れこんでいることがあるそうです。例えば、あなたの様に旧世代の技術を具現化でき、かつ圧倒的な残虐性と支配欲を持つ者がいたらどうなるでしょうか。そういう世界を自分の好きなように書き換えようとする者を過去より、“魔王の器”と呼んでいます」
「……」
…こいつは何が言いたい? 殺すんじゃないのか?
「魔王の器はこの世界にとっての癌で、すぐに取り除かないといけない。 特にお主の様に旧世代の高度な技術を生み出す者はすこぶる危険だ、何をしてもおかしくない。……だが私は器は“器”でしかないと思うんじゃ。魔王になるか、はたまた別の何かになるかは器の中身の問題だと思う。こんなところで自分だけが犠牲になってればよい、なんて息巻くお主には魔王になる素質があるとは私は思えない。今ここでお主を殺してその後お主の仲間をー人づつ生きたまま皮を剥がしていくのは簡単だ、だが、私はお主の中に真心を見た。ここでお主を許し、外の世界との調停を頼むという選択肢も十二分に残っている。」
「……どういう意味だ」
「そのままさ、今日の世界でドウルジ教徒は外の世界ではのうのうと生きていけない、それは色々なしがらみがあるからな。そこで、私は私の手に握られたお主達の命と対価にこの柵をどうにかしてくれないかと思っているということさ。さらに優しいことに、お主が受けてくれるというなら我々はお主とお主の仲間からすぐにでも手を引こう、それがお前の望みだろう?」
「お前ひとりの意志ではこの復習の連鎖は切れない、俺は相当数を殺してしまっている。……人間はそんなに物分りはいいものじやない」
「いいや、我らは全体主義を貫くさ。なぜなら、お前が殺した同胞と比べられない数の前世持ちとその仲間を我々は殺してきている。殺っていいのは殺られてもいいやつだけさ、我々は復讐心を凌駕する覚悟を心に日々生きているのさ。それにお主は、……極力殺しはやらなかった。それがビビリか善意かはしらないが、その無駄な努力が実を結んだと思えばいいさ。まあお前が我らを許せたらだがな」
圧倒的優位な状況下で、なぜか対等の条件を突き出してくるこの妙齢の女性が不思議な生き物のように見えた。何を考えているのか皆目検討がつかない。僕はかすれた声を振り絞り、信頼できるはずもない乙葉の答えを再度聞く。
「……本当なのか、手を引くのか?」
「約束しよう、お主の故郷にも手を出さぬようにとり図る。まあこの1年でお主が好き放題暴れてくれたせいで、サボン国からは殆ど撤退状態だけどな。皮肉なことだが、お主は自分を過信しすぎないし自らを犠牲にできる強さを持っていることが敵だったからこそ解る。それはすごく好感が持てる。まあ約束すると言っても、私の独断先行だから内部調整があるが、な……。ああ忘れとった、お主ら早く逃げる用意しろ」
急に何か大事なことを思いだしたように乙葉の表情が焦り始めた。
「へ」
「いや全体主義のつらいところはな、トップダウンできないところでな。ちょっと首長会議とかしないとだめなんだな、これが。マチコをつれて行ってくれていいから地上まで頑張って逃げてくれ。この建物の奥に地上まで続くエレベーターあるから使うといい」
「いええええええええ」
マチコちゃんから悲鳴があがった。それはそうだろう、なんかドゥルジのすごい話をさらっとすませたし、自ら人質になれとか無茶ぶりだろう。さっきまでの緊迫はどこいったんだろうか。乙葉はすっかり砕けた雰囲気になりマチコちゃんとダフネに諭すように話かけた。
「マチコとダフネは今の話しは初めてだったね、なかなか重たい内容だけどいつかは知ること。だから今気合で受け入れな。後、さっきは結界にに閉じ込めてすまなかったね、今度埋め合わせをさせてもらうよ。そして、マチコは人質役として2、3年はこの男のところに居ついておいで、この男のところにいれば電子工学と人類学についてかなりの勉強になるし、連絡役もお願いしたいしね。」
「いええええええええ」
それだけいうと手をしっしっと振って、ようやく立ち上がった僕らを急がせようとする。ただその様子からかなり本気度が伺え、僕もギギギもマチコちゃんもどうしようもなくエレベーターを目指すこととなった。マチコちゃんに案内された先には、本当に金属の箱でできたエレベータが待っており、本当になんでもあるなと思いながら3人で乗り込み、ガコンガコンと地上へ向かって引き上げられた。
残された乙葉とダフネは、ボロボロになった研究室で呆然と脱力して佇んでいる。乙葉はマチコ達が消えた建物奥を幹ながらポツリとダフネへとつぶやいた。
「はあああ、まったく早く立派な跡継ぎになって私の苦労を軽くしてほしいもんだい。ダフネや、すぐに細胞鎮静化溶液と細胞再生溶液を用意してくれるかい? 今回はなかなかに骨が折れたよ」
「はいオツハ様、すぐに用意します。マチコちゃんは大丈夫かな?」
「なんとかするだろう、あれでも人類学者を目指しているんだ。」




