桃色苦労婆 乙4
「なんといった?」
「この世界はお主の記憶の中にある世界と同ーといったんだ。まあ正しくは未来の姿じゃがな」
「……嘘だっ?! 地球は自然環境だってこんな厳しくないし、文明だってずっと進歩していた。魔術なんて超常の現象だってない世界で、この世界とは全然違う! 僕みたいな記憶持ちが少なからずいるんだろっ? お前だって、きっと……」
「何をそんな癖癖を起こすことがあるんだい? 太陽があって月があって、水があって空気があって、動物は酸素を吸って二酸化炭素をはく。元素の周期も同じなら物理法則だって同じ世界だ、そんな世界が二つも三つも存在する可能性はあると思うのかい? そんなことを考えるのは人間史上主義の自己中野郎だけさ。お前だってそれがわかってたから、ここまでのこのこ来たんだろう?」
「……お前も前世持ちか?」
「いいや違うよ。私はただの”人類学者"、歴史を繋ぐ血族さ。お主はきっとそれもでっちあげだと言うだろう、ただ私は私がいったことの正当性を証明できる自信があるとだけ言っておくよ」
僕がこの世界に生まれてからそんなに長く生きたわけじゃないけど、ここが異世界じゃないかもしれないという疑念は年を重ねるほどに膨れていた。偶然地球とほぼ同じ環境の惑星が生まれて、そこに生まれた生態系もまた地球と同じように進化するのはあり得ないほどの奇跡であることは理解していたからだ。乙葉の言ったことはきっと概ね否定できるものでない。
「お前の言うことを正しいとしよう、だが魔術はどう説明する?」
「なあお主、なぜ見ず知らずの人間に懇切丁寧に我々が繋いだ歴史を無料で教えないといけないんだい? ああ、それはそうと私がここに来たのには目的があったんだ。ここ1年ほど我々の拠点や同胞を襲いまくってきたー人の青年が、何を考えて動いているのかを知れないかと思ってね。それと交換になら、この世界の秘密の一端を教えてやってもいいよ、ああ、私はなんて優しんだろうね」
「何が優しいもんか」
僕はレールガンを最短でチャージすると同時にオツハへ向けて高速の弾丸を放った。弾丸は乾いた音を上げて10メートルも離れていないオツハの肩へ目にも留まらぬ速さで向かっていく。
ースッ
だが弾丸は着弾の直前で急激な失速を見せて、空中に静止したかと思うとポトリと地面へと落下した。
「あっははは、これは見くびられたものだね、私はお主が殺す気でも殺されやしないから安心おし。私の名は“乙葉”、闘う人類学者をなめるんじゃあないよ!」
乙葉は右手に持つ長い杖を首切り斧のようにその場でブンッと振り下ろした。
ーグンッ
体が目に見えない力に押し付けられ、抵抗できないまま床へと腹ばいにたたき付けられた。マチコや、ギギギ、ダフネも僕と同じ様に床へと伏してしまっている。床に張り付いた金属製のレールガンはまるで地面から生えているように動かないことを見ると、おそらく僕と同じ磁力なんかを制御する魔術系統だ。
頭上からはこの場で唯一平然としている乙葉が喋り続ける声だけが聞こえる。
「またふと思い出したんだが、隣国にも私と同じような磁力を操れる少年がいたと報告を受けたことがあるなあ? 確かテイとかセイとかいう名前だったような?」
僕は全身の金属という金属を毟り取るように外し、長年愛用してきた短杖と魔術抄本を取り出して、手当たりしだいに魔術を乙葉へと放つ。不格好な形の炎柱が杖の先端から膨れ上がるように乙葉へとほとばしるも、乙葉は振り下ろしていた長杖を今度は振り上げて爆炎を二つに割った。二つに破られた爆炎の間からは、乙葉がにっこりと笑みをこちらへと投げかけていた。
「報告によるとその隣国の少年は、怪しげな魔術道具を操って我らに余計なちょっかいを出してしまい、それは手痛い報復の凶刃にさらされたということでしたね。記憶を失い廃人となったのか、はたまた近くの人間を盾にでもして生き延びたのか、今頃どうしているんでしょうね。 ……ところで何でそんなに怖い顔をしているんですか?」
目の前のこの魔術師は何故か僕の過去を漏れなく知っている、そしてそれは最も避けねばならない現実であったはずだ。頭の中の細胞が一斉にざわつき自分が分裂するような感覚に陥る。
“留子雷刃”
右手に握りしめた短杖の先端から一m程の高電流の雷を刃の様に発生させ、全速力で乙葉へと切りかかっていた。短杖の先端はブスブスと嫌な臭いを立てて少しつつ炭化していくが、そんなこと今は全く構わなかった。底知れない乙葉の言葉を、脅迫をこれ以上聴きたくないという気持ちだけで獣の様に雷刃を乙葉へ打つけた。
ーヴァザザザザザザザザザザ
怒りにまかせて振りぬいた超高電流の雷刃は乙葉を捉えたかに見えたが、杖の先端からほとばしる雷の刃は直前で空中へ吸い取られるように霧散してしまった。ただ杖を振り抜いただけの自分を、乙葉は相も変わらず涼しげな顔で眺める。
「電位とは川の流れ、轟く激流もただ高きから低きに流れる川の一部でしかありません。お仕置きマイナス電位アタックです!」
乙葉は流麗な手さばきで長杖を振り回し、捉えどころのない軌道を描く杖の先端を僕の顔へ強かに打ちつけた。
「さてケイ君、ここで再び問いましょう。あなたは、なぜ我々の拠点や同胞を襲うのですか? 何をそんなに手当たり次第に壊すのですか? 報告書によれば、あなたが隣国の王立魔術学院から離れてもう2年です。このまま我らと戦い続けて、万が一にも勝った先に何を求めるというんですか?」
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「ゲほっ、お前らを潰す! 徹底的に潰さないと友達が、家族が俺のせいで不幸な目にあうんだっ! お前らを壊して、捕えて、殺して、お前らの膨れ上がる憎悪を糧に、俺は生きていくんだよっ! 未来なんか知るかボケ、このストーカー野郎おおおお! 鉄腕生成」
燃え尽きかけた杖を右手に握りながら床を思い切り殴りつける。だが堅そうな石床は僕の拳を割ることなく水たまりのように僕の腕を肘くらいまで飲み込んだ。僕は床にできた真っ黒な水たまりから右腕をずぶずぶと引き抜く、その先には真っ黒で太く硬くなった黒鉄の右腕がぬらぬらと光り輝いていた。
「“高次磁界生成”」
鉄腕とよぶにはあまりにも不細工な鉄の塊を力まかせに乙葉へと振りぬく。ただそのスピードは僕の筋肉の耐力を大幅に超えていた。腕の筋繊維が千切れ、骨をきしませながら右腕は不敵な笑みを未だ浮かべている乙葉の顔面へと迫る。鉄腕の少し先の中空に生じた強力な磁力渦が、右腕の鉄塊を視認できない程の速度まで加速させていた。
—ガりりりりりりりいいい
乙葉の構える長杖がと鉄塊は衝突し、互いにめきめきと砕け散る。
「ぁああああ、高次磁界生成っ!」
懇親の一撃を停められたなら、来世分の魂でもこめたらいい。
飛びそうな意識の中で繰り返し思う、ここでこいつを生かしたら僕の大切な人達はみんなもれなく凄惨な人生を辿るだろう。
最早痛みなど感じなくなった右腕に魔力を無理やり流し、磁力でもって重鈍な右腕を制御して、再び高速の右ストレートを眼前の乙葉へと放つ。
—がりりりりいいいいいい、びちんっ
今度は乙葉の杖を砕き切り、鉄塊を破片もろとも乙葉へとたたきつけられた。ただ反ベクトルの磁場で相殺された鉄の拳は、乙葉を2メートルほど飛ばしただけだった。




