桃色苦労婆 乙3
威勢よく開かれた研究室の扉の向こうには桃色の着物を纏ったオツハが凛々しい表情で立っていた。当然ケイはオツハが自分の正体をほとんど知るものだとは思っておらず、必要以上の警戒態勢はとらなかった。オツハはさも偶然やってきたかのように振る舞い、この地下都市において純粋な不純物であるケイへと視線を移した。ナカツクニ連邦におけるドゥルジ教のトップとドゥルジ徒殲滅を願う青年は地下都市の奥深くで初めての邂逅を果たした。
「マチコ、こちらの方々は見ない顔ですね。どこの方ですか?」
「えーと、南にある同胞の村から避難してきた方々みたいです。街の人工太陽光発生装置に興味を持ってくれて、わざわざ見学にまできてくれたので軽く紹介をしていたところですオツハ様」
「あら、南といえば凄惨な異端者に襲撃された村ではないですか。残虐非道なやり方が本当に許せないわ、大変だったでしょう?」
オツハはあくまで知らない態度を貫き、演技がかった声音でケイへと鋭い視線とともに疑問を呈す。
「初めましてオツハ様、我々のような者にはもったいなきお気遣い心入ります。この街に来たのが何分初めてなもので見るもの全てが珍しく、特に人工太陽光を始めとした見たことのない魔術に感激してしまい、着の身着のままにここに参ったところをダフネさんやマチコさんに目をかけてもらっておりました。」
「そうでしょう、ここには“古代からの英知”が眠っておりますからね。他を探してもこんな都市はそうありません。ところで昨日くらい、どうも異端者らしき二人組が侵入したらしいのですが怪しい人物を見ませんでしたか?」
オツハと名乗る妙齢の女性は僕たちの心を見透かすようにまっすぐで力強く見つめてくる。この状況でそんなことを聞けばもちろん怪しいのは僕たちなわけであり、さっきまで楽しげな表情を見せてくれたマチコちゃんやダフネさんの表情にも影がさす。先ほどの石版タブレットに現れた日本語の“お前は誰だ?”の文字といい、この完璧な和服美人のいたぶるような問答といい、いつの間にたら窮地に陥っていたことを自覚した。カエルのように押し黙る僕たちをオツハは蛇のように口角をあげてじっと待つ。その手もとはゆったりとした着物の袖に隠れた上で背後へと回されており、杖でも武器でも持っていれば僕たちの命を取ることさえも容易いだろう。
じりじりと逃げるチャンスや行動の選択肢が消えていき、焦燥と緊張だけが僕らの体を包みながら堆積していく。相手が何者かはわからないがこの場で取れる手段は、……特攻はおそらく最悪手だろう。となると人質をとって場面を動かし、わずかでも生存確率を上げるだけだ。僕は静かに両手を上げるそぶりをして袖口にいれておいた小型の閃光手榴弾を地面へと落下させた。あたりは強烈な光に包まれ、予備動作を見ていたギギギと僕以外が一瞬動きを止めた。その瞬間に僕がマチコちゃんを、ギギギがダフネさんを背後から羽交い締めにして、隠していたレールガンを二人へとあてがった。
「ひいいいい、ちょっとケイ君冗談はやめてくださいです。まさかケイ君たちが異端者だなんてことはないですよね?! っね?」
「ごめんマチコちゃん、僕らは君たちの憎むべき異端者だ。こんなことになって本当に申し分けない。」
「うそです、あんなに理解のあるケイ君たちが異端者な訳ありませんです。目を覚ましてください、きっと訳を話せばオツハ様だって、、、」
「マチコよ、それが其奴の正体だ。訳も何もただの密偵だ。」
どこかすがるようなマチコの言葉は、すぐに態勢をととのえたオツハによってかき消されてしまった。オツハは片手の石版タブレットを正面に構えてこちらへと続ける。
「異端者の若者よ、こんなところで粋ってどうなるのです? 私はこれまでに幾度もあなたたちを殺すことができたのに、なぜここまで放置したかわからないのですか? 今だって指一つで万の兵を呼び、あなたたちを見るも無残な肉片へと変えることができるのですよ。」
マチコちゃんを人質にしても顔色変えず、淡々とこの場のペースを握り返してしまうオツハの言葉に諭されてしまっている自分がいた。確かにそうなのだ、先ほどみたばかりの情報通信技術やそれを形にする電子工学技術があれば監視カメラを作るのだって訳ないわけで、この地下都市中に仕込まれていたっておかしくないのだ。ただ言うなれば誰がそんなこと予測ができたのかと言いたい。
「そこで押し黙るということは、まだ分別があるようで良かったです。こちらはあなたに幾つか質問をしたいのです。あなたの態度次第でそれが“有無を言わせない質問”になりますが、マチコたちを一旦放しませんか?」
オツハは少しだけ強固な姿勢を和らげた。だが未だ喉元にナイフの先端を刺されているようなもので、到底マチコちゃんを放すなんてできる話ではなかった。
「……それはできない。すでに僕の中では有無を言わせない状況になっているからな。答えたところで地上へ帰れる保証もないし」
「まあたしかに言い分もありますし、いいでしょう。それでは早速質問を始めます。回答次第ではあなたたちは生き残ることができますから頑張ってくださいね。まず、あなたはこの“着物”や、そこらに散らばる“ランプ”、はたまた“日本”という言葉に聞き覚えがありますか?」
「……ああ、ある」
「大変素直でよろしい。じゃあその知識は誰かに習ったものですか?」
「いいや」
「本当に?」
「……ああ。」
「だとすると、それはどこで手にいれたのでしょうか?」
「……最初から、赤ん坊のころから頭の中にあったよ」
「ほお、それはなんとも絵物語のような不思議な話ですね。まあ人から聞いたことでもそういう分にはいえますがね。」
「ああ、この世界とは文明も人間もだいぶ違う異世界の知識だ。嘘じゃない」
「……おや、その言い分だとまだ記憶を完全にものにしていないのかな? なるほど、魔王の器以前の問題なのか、これは。これはますます生き残れる可能性がでてきましたよ」
「……何を言ってる?」
オツハはポンと手のひらを叩き、胸のつかえが取れたようにしびれるほどの殺気を引っ込めた。
「この世界は、お前の記憶の中にある世界と同じものだよ。異世界なんて都合の良いものが、あるわけないじゃないか?」




