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昏迷の茜  作者: 千祥
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02



ーーー昏迷の茜 2




防護障壁の調整は、それから三日後に執り行われることとなった。


ルドウィークは防護障壁に用いられる陣式の写しをその日のうちに彼女へ手渡した。

それは、とても美しいものだった。唐草の蔦のように伸びる道筋は、風にのって運ばれて、水をなぞり、火を揺らし、土に染み入り、安らかな闇を受け入れて、穏やかな光で満たされる。世界を細やかで複雑に編んだレースで優しく包むかのようなそれは、中のものを隠し、緩やかに力を増幅させる。キラキラした大切なものを守る、まるで宝箱のような陣式だと、彼女は思った。

彼女はこの美しい陣式を気に入ったせいか、不思議とすぐに理解出来た。均等に生命力を送ってゆくのは難しいだろうが、それも与えれた猶予の二日間でなんとか形になった。


彼女よりも重圧を感じていたのは教師であるルドウィークとメイドのレベッカだ。ルドウィークは日に日に眉間の皺が深まっていったし、レベッカは彼女に対してこの上なく気を遣っていた。





おそらく、この帝都フェルドグナーデは防護障壁がなくともなんとかなる。少なくとも前導師が防護障壁を用いる四年前までは、人が生活できるよう整えられていたのだ。

街を守る塀、五つの門に夫々配置された衛兵団。それらがあれば外敵から街を護る為には充分で、防護障壁はあくまで補助的なものとして設置された、というのが彼女が図書室の資料から得た知識だ。

資料を漁ってゆくと、実際にどれだけの効果があるのかは解らないが、一部の知識人はあまりこの防護障壁に良い評価をしていないような記述も見受けられた。前導師が提示した、この美しいけれども新しい聖霊術は、未だ理解されない部分もあるのだろう。一方で、皇帝や貴族達は防護障壁を評価している。でなければ調整の要請をわざわざ半人前以下の彼女にしたりはしない筈だ。

前導師の功績は知識人からすれば反感を持たれるもので、権力者からすると利用価値があるということなのだろう。


前導師、アマーリエ・フィランデル。

タキオン帝国国教、ルキフェル聖導教会における初代『導師』であり、シクザールが敬愛する女性であり、ルドウィークが師と仰ぐ唯一の存在。他国への抑止力になる程に名の通った聖霊術師であり、12歳にして防護障壁を創設した才女。現在は病で臥し誰とも面会出来ない状況であり、その療養地すら公にはされていない。


彼女にしてみれば、前導師は雲の上の存在だ。田舎の少女から導師にまで地位を築きあげ、己の能力と存在価値を権力者に認めさせただけの強かさも含めて、前導師の『かわり』になどなれない事の方が、防護障壁の調整よりもずっと重圧だった。

彼女には何も出来ない。それは、ここに来てからも、ここに来る前も同じだ。影響を与える事が怖くて、誰かを傷つける事が怖くて、その結果自分が傷つくのが怖くて、彼女は何も出来ない。言われた事すら精一杯なのだ。前導師の域になど到底至る事はないだろう。

だから彼女にとって防護障壁の調整は、この先期待される働きに比べれば重圧を感じるまでもない事でなければならない。出来て当然でなければならない。そして、それくらいならなんとかなるという漠然とした自信がある。


彼女はルドウィークやレベッカに比べて防護障壁の調整に関して重圧を感じていなかった。ただ前導師と自分との差に落胆し、今後もそれが続くことに絶望していた。






-----






皆が寝静まった後、寝付きの悪い彼女は不意に目を覚ました。

ベッドから這い出て部屋から繋がるテラスへ出ると、満天の星空が広がっていた。星空の下、雲よりももっと地上に近い空を、ルドウィークから先日渡された陣式と同じ紋様が覆っている。あれは昼間見辛いけれど、夜は美しく輝いている。陣式を空に転写する形で、防護障壁は成り立っているのだ。

屋敷の中に起きている人の気配はない。レベッカは同じ階の端の部屋だが、テラスからレベッカの部屋の灯りは見えないので、今はもう寝静まっているようだった。


……テラスからならば、自由に外に出られる。


彼女が玄関に近付くと、何かがレベッカに伝わるのか、駆け付けるようになっている。決して鍵がかけられているわけでも、聖霊術による移動阻害があるわけでもない。それでも彼女は玄関から、シクザールからそう指示がない限り、出られない。


指先に、光の粒子を寄せる。

頬を撫でた風が、くるくると指先に巻き付いて、やがて小さく薄緑に輝く鳥になる。何羽も何羽も引き寄せられ現れた鳥達は、ふわりと彼女の身体を宙に浮かせた。

テラスから緩徐に庭へ降りる。広い庭園は四方を植込みで囲まれており、様々な花が植えられている。庭へと運んでくれた鳥達が楽し気にくるくると辺りを飛び回り、その自由な様に彼女は穏やかな笑みを浮かべた。歩道は石を綺麗に敷き詰められているので、裸足で歩いても然程痛くはない。

庭園の向こうは、城だ。高く天を刺すように聳える城には、いつも良い風が吹いている。猛鳥類に似た聖霊が数匹、城の周りを舞っているのを屋敷の窓から見たことがある。きっと彼らのおかげなのだ。

庭から城を見上げると、一羽の鷹が此方へ急降下してくる。途端、強い風が吹き付けて、彼女は思わず目を瞑る。

風がおさまり目をあけると、鷹は幾つか植えてある木にとまり、城の方をじっと見ていた。鷹に促されるように彼女が視線を城へ向けると、薄ら闇の中人影が見えた。此方へ向かってくる人影に向けて、鷹が飛び寄ってゆく。

彼女は立ち尽くしたまま人影を見詰めていたが、漸く月明りの下認識できる距離までくると、今度は相手が驚いたように目を見開いた。



「…こんな夜更けに、お嬢さんがひとりとは感心しないな。」


「……貴方は?」


「俺は、アルド。アルド・ヘルツォークだ。」



鷹は男の肩に留まると、愛おしげに男を見詰めている。その男は、鷹の存在に全く気付くことなく、彼女に微笑みかけた。



「私は、…眠れなくて。」


「ふむ。」



ここに居る事をレベッカ達に知られては不味い。彼女は名を名乗らずに、男から目を逸らした。見上げた空には相変わらずキラキラと唐草模様が輝いている。

ふわりと彼女の肩が温かくなる。振り向くと、男が彼女の肩に外套をかけてくれたのだとわかった。幾度か瞬きをして驚いていると、男は悪戯っぽく片目を瞑って見せた。



「身体が冷えると余計に眠れなくなるからね。御伽噺の妖精には必要ないかもしれないけど。」


「妖精?」


「だってそうだろう?こんな夜更けに、月明りの下、たった一人。しかもこんな可愛らしい女性がだ。妖精以外になんだっていうんだい?」


「……違いますよ。」



肩にかけられた外套は、上質。男のティールブルーの髪に合わせたかのような深い青色。

垂れ気味の優しげな目は翡翠のように綺麗だ。その割に、服装は動きやすい簡素なシャツにズボン。体格はいいので鍛えているだろうが、シクザールのように尖った雰囲気もない。彼は何者なのだろう。



「私は散歩だ。明日は色々と大事な日で、眠れなくてね。それで、少しだけ散歩するつもりだったんだが……なんとなく、ここまで来てしまった。」


「何があるんです?」


「明日、この国でも影響力のあるひとに会うんだ。」


「……。緊張しているんですか?」


「…そうだね、そうかも。普段は話す事も出来ない相手だから。いや、以前は…」



そこまで話して、男はじっと彼女を見つめた。同じく、肩にのる鷹も彼女を注視しており、彼女の周囲で楽し気にまっていた風の鳥達は一斉に飛び立って行ってしまう。彼らがおこした柔らかな風がおさまると、男は穏やかに笑ってみせた。



「多分、明日も話は出来ないだろうね。」


「……。」



彼女には、何故、男がそうとわかるのかがわからない。けれども、何を、どう、問いかけていいのか言葉を思いつかなかった。



「さて、私はそろそろ戻るとしよう。」


「……あ、これ。」


「いや、いい。君が着て行きなさい。また、ここで会たなら、その時に。」



彼女が外套を脱ぎかけた手に、手を重ねて動きを止めると、男はにこやかに微笑む。暖かでごつい手。その距離と体温にどきりとして、彼女は動きも言葉も出て来ず、なんとかこくりと頷いた。

満足げに頷き返した男は、踵を返して城へ続く庭の道を歩いて行った。



「アルド・ヘルツォーク……」



男の名乗った名前を呟いて、彼女もまた屋敷へと戻った。






-----






翌朝彼女はいつも通りレベッカに起こされ、着替えさせられ、朝食をとった。

聖霊術というのは慣れてしまうと便利なもので、汚れた脚を洗うのにも、レベッカに見つからないように借りた外套を隠すのにも役立った。レベッカは昨夜彼女がひとりで庭を散策した事も、見知らぬ男と会った事も知りはしない。きっとシクザール辺りが知れば面倒くさい事になるだろうなと思いつつ、彼女は素知らぬ顔で支度を済ませたのだった。

ただ、今日は人前に出る事もあって正装だ。白を基調としたシンプルなドレスの上に、黄金の鹿や鳥などの小さな意匠が施された外套を羽織る。今日は更に化粧も施された。目尻に白を乗せ、額にも同じ白で輝きのシンボルをいれる。髪はきっちりと結い上げられて、傍目には男とも女ともつかない出立ちだった。更に、外套と同じような意匠が細かく施されたものに、薄いベールがついている特徴的な帽子をかぶって完成だ。

この身支度に二時間程かかり、全ての準備を整えて玄関まで降りてゆくと、シクザールとルドウィークが正装で待っていた。

シクザールの方は普段の騎士姿よりも少々華美に、ルドウィークは普段が本当に質素なのだが、彼女と同じく白を基調としたローブに、黄色で刺繍が施されている。



「おはようございます、導師。」


「おはようございます、シクザール、ルドウィーク。今日は…よろしくお願いします。」


「導師ならばきっと上手くいきます。ご安心ください。」



シクザールからの励ましに、彼女は曖昧に微笑むのみだ。ルドウィークは手元に持っていた懐中時計を確認している。時計はこの世界では一部の貴族しか持っていない高級品で、ルドウィークはこれを大切にしているのだそうだ。



「そろそろ城に向う時間だ。」


「そうか。では参りましょう、導師。……今日は、ただ調整の事だけに集中していてください。」


「いつも通り、他の方とはあまり喋らないように?」


「はい。貴女がこの世界の充分な知識を得るまでは、無用な接触は避けるようお願いします。……アロイス陛下も今回はいらっしゃいますが、極力話はなさらないように。」



導師には影響力があるという。シクザールは、導師を悪用する者が現れるのを怖れている。

これまでも何度かあった導師として表に立った時も同じように告げられたので、シクザールの注意文句はもう覚えてしまった。彼女は、ただ言われた事をこなして、微笑んでいるだけでいい。


レベッカを屋敷に残し、昨夜散策した庭園を通り抜けて、城へと向う。

城への入口まで来ると、白銀に青い狼の意匠を施した甲冑を身に纏う騎士が待ち構えていた。年頃は三十前後で、シクザールよりも上だ。初めて会う男だった。



「導師、ヴァルター守護騎士長、チェホヴァー助祭。お待ちしておりました。」


「ヘルツォーク将軍。お出迎え感謝します。」


「上院貴族の方々は既にお待ちです。陛下も直ぐに。」



ベールの下で、彼女はヘルツォーク将軍と呼ばれた男に目を向ける。あまり容姿は似ていないし、昨夜会ったラルフ・ヘルツォークとは親族だろうか。少しだけ思案して彼女は視線を前へと戻す。シクザールがラルフと並んで歩きはじめたのを、遅れないよう着いて行く。各所にラルフと同じ青い狼の甲冑を身に纏った騎士が立っており、彼女は極力誰とも目を合わせずに、歩みを進めた。

長い廊下を進み階段をひたすら上がり、程なく深緑の絨毯が敷き詰められた廊下へとたどり着いた。その先見える大きな扉、あの向こうが帝都の中心に位置する聖堂だ。彼女達が近づくと、扉の前に控えていた騎士が扉を開く。円形の間取りをした白い聖堂の中央、段差の上に祭壇が見える。それを囲むように席が並べられ、貴族らしい男女が彼女を注視していた。

貴族からの視線はないものとして、彼女は祭壇を見上げる。五つの聖霊石が据えられた台は何れも乳白色の石造りだ。


彼女が場の観察を終えたところで、背後から数人の足音が近付いてくる。

話し声からして男性が数名。シクザールやラルフが振り向き敬礼をとるのに倣い、彼女も振り向き礼をとる。



「導師。こうしてお会い出来、なによりです。」



聞き覚えのある声に顔を上げると、そこに居たのは昨夜ラルフ・ヘルツォークと名乗った男だった。

数名の騎士を従えて現れた男は、一等上質な身形をしている。肩には相変わらず鷹が一匹。明るい昼間に見る男のティールブルーの髪は、夜見たよりも一層美しい。羽織る外套をとめるブローチは、皇族のみが使う事を許されるクロチアの花が模られている。

じわり、と痺れるような感覚が胸に広がる。この男は、昨夜、偽ったのだ。



「私もです、陛下。」



彼女はシクザールが何事か言う前に口を開いた。その声色は落ち着きはらったもので、ベールに隠れた表情こそ伺えないものの、凛とした佇まいだった。傍に控えていたルドウィークは僅かに動揺し、彼女へ視線を寄せてしまう。

この男は、ラルフ・ヘルツォークではなく、タキオン帝国皇帝、アロイス・F・タキオンに他ならない。シクザールが警戒している人間の一人で、前導師を導師たらしめた人物だ。聞いた知識のみしかないが、若くして皇帝の座に就いて後、帝国民の安定した生活と文化の促進を推し進めている。



「この後昼食を一緒にどうだろうか?色々と話したい事もある。」


「陛下、導師はまだ本調子ではありません。申し訳ありませんが、本日はこの儀のみでお暇させて頂きたいのです。」



それ以上アロイスと会話させないように、シクザールが間に入る。アロイスはシクザールを一瞥し、彼女を見定める。それは昨夜ほど優しげな雰囲気ではなく、獰猛な鷹が獲物を定めたような目だ。

何か言わなくては。今なのだ。彼女が『導師』としての本領を遂げなければならないのは。この国の皇帝と対話出来ないようでは、今後も『導師』など勤まらない。けれど、彼女はそれ以上何か言葉を紡ごうにも、唇が開かなかった。

いや、今はまだ何かしらの言葉がある。けれど食事となると、数時間だ。シクザールの助けも望めるかわからない。自信がない。



「………そうだな、身体の弱い導師に無理をさせるわけにもいかないか。導師、また次の機会に。」


「…はい、陛下。お心遣いに感謝いたします。」



興が削がれたように彼女からも視線を外すと、アロイスは闊歩して己の為に用意された座についた。その傍に持ち場を定めたヘルツォーク将軍に対して何事か囁いている。



「導師、大丈夫です。今はただ、集中して下さい。」



シクザールが彼女の傍に寄り、周囲には聞こえない程度の小声で囁いてくれる。優しい声色に僅かな安堵を取り戻し、シクザールを見上げると、彼はしっかと頷いてみせた。

ルドウィークが彼女の正面へと歩み出て、顔を隠していたベールを帽子の上へと上げる。視界が一気に開け、貴族達の顔がはっきりと見て取れる。



「落ち着いて、丁寧にやればいいよ。あんたなら大丈夫。」



彼女の意識が周囲に向きかけたのを、ルドウィークが引き戻す。幼いながらも意思の強い橙の目は、緊張しているようだった。



「ありがとう。」



緩く彼女が微笑むと、ルドウィークは後ろへ下がる。



ひとつ、呼吸する。



肺の中に入った空気は緊張で張り詰めている。けれども、きっと上手くいくはずだ。でなければ、自分は此処にはいられない。

祭壇へ続く段差を一段、一段と登ってゆくにつれ、それまでひそひそと騒めいていた貴族達が静かになる。段差を登りきると、辺りは静寂に包まれる。五つの聖霊石ののった台座を取り入れる形で、直径4メートルほどの陣式が床に描かれている。目を凝らして見ると、小さな光の粒子がチラチラと、陣式から空へと立ち昇っていた。祭壇の真上には天井は無く、この光が空へと登り、防護障壁となるのだ。

彼女は四方を見回し、聖霊石に異常がないのを確認すると、掌を前へと差し出した。彼女の掌へと少しずつ引寄せられた光の粒子を、陣式へと流し込む。中央から少しずつ、陣式の道筋を光の粒子が流れてゆく。光る絨毯を織り上げていくように緻密な部分にも粒子を流しこむと、そこから空へと光が昇る。この光が上手く登らないところに歪みが生じているので、そういったところにはより強く光の粒子を流し込む。

歪が生じた部分も殆ど解消出来たが、一部分だけまだ流れの悪いところがある。そこだけ、陣式の上を辿る光が弱いままだ。その部分に更に光の粒子を流れ込ませようとするが、うまくいかない。何かが絡まっている。


流し込むだけでは駄目だ。絡まっている何かを取り除かなくては。どうやって?


彼女がふと視線を上げると、アロイスが目に付く。正確には、アロイスの肩に乗る鷹だ。彼なら、常に城の周りを回遊しているあの風の聖霊ならば、可能なのではないだろうか。

可能性にかけ、彼女は鷹へ意識を伸ばす。掌により多くの光を寄せると、鷹は少し渋った後、アロイスの肩から飛びたち彼女の前へと寄ってくる。彼女から生命力である光の粒子を受け取り、鷹は一回り大きくなった。そうして大きく羽ばたいて、空へと舞い上がっていく。


聖堂内には一際強い風が吹きつけ、貴族達は唖然としているが、彼女はそのまま光の粒子を陣式通りに流し込んでゆく。


程なく、本当に突然に、淀みなく光の粒子は陣式を流れるようになった。陣式全体へ今一度、均等に光の粒子を流し込む。歪みもなく美しい陣式が出来上がると、彼女は漸く手をおろす。陣式は安定した。



風の気配を感じて上を見上げると、鷹が舞い戻ってくる。片脚に摑んでいる何か黒いものを途中で乱暴に放してから、定位置であるアロイスの肩へと戻った。

離された黒いものは、一直線に彼女の方へと落下してくる。


金色の目の黒猫。


落下してくる黒猫とぶつかると思った彼女は、受け止める余裕もなく一歩下がり目を閉じた。何の衝撃もなく、目をあけて黒猫を探して振り向くと、猫は聖堂の入り口で此方を見ている。一呼吸する前に、黒猫は扉をすり抜けて消えてしまった。

ふと我に返って、入り口近くに立っていたシクザールと目が合う。何か言いたげだという事はわかった。彼女はひとまず、祭壇側に控えていたルドウィークの方へと歩む。



「お疲れさまです、導師。今日はこのまま屋敷に戻りましょう。」



声をかけて、ルドウィークは再び彼女にベールをかける。ルドウィークの先導に従い、彼女は貴族達に一礼してから聖堂を後にする。

シクザールは貴族達の相手をしてから戻るのだと、ルドウィークが道中小声で伝えてきた。それ以外は全くの無言で城を出て、庭園を抜け、屋敷の門をくぐって、漸くルドウィークが口を開いた。

それも随分な勢いで。



「アレは一体なんなの、導師!貴女がやるのは、防護障壁の陣式を調整し安定することだけだ。皇帝陛下に意味深な視線を送ったり、妙な風をおこすことじゃない。何をしたんだ、導師!」


「えっ」


「…何をしたの。」



ルドウィークの荒ぶりを抑えた声色で言い直すが、その責める視線に、彼女はたじろぐ。彼女は、ただ、失敗しないようにしたのだ。防護障壁の調整が、ただ光の粒子を流し込むだけでは駄目だと思ったのだ。



「…陛下は、見てない。」


「じゃあ何を。」


「………陛下の肩に、…風の聖霊が、いて……生命力を、流し込むだけじゃ、上手くいかないから……防護障壁に、絡まっているモノを、取り除いてもらおうと…して」


「何をしているんです!」



ルドウィークの大声を聞きつけて、レベッカが控え室から慌てた様子で出てくる。彼女はルドウィークの気迫に気圧されて、動揺に呼吸を乱しながらも言葉を紡いでいた口を、拳を押し当てて塞いだ。レベッカは肩を上下させ下を向く彼女に駆け寄って、抱き寄せる。抱き寄せられて始めて彼女は自分が震えている事を自覚して、情けなさに視界が涙で滲む。



「導師、導師。大丈夫です、私は貴女の味方です。ルドウィーク、貴方は少し頭を冷やしなさい!何があったかはシクザール様が戻って落ち着いてから話をしましょう。いいですね!」


「……わかったよ。」



ルドウィークは浅く息をつき、客室へと足をむける。レベッカは彼女を気遣いながら、彼女を寝室へと導いた。





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