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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Memory Book

作者: 風眠

とある歓楽街の物悲しい裏通り。

様々な店が立ち並び、電光飾で夜を退けている表通りとは相反す様相は深淵の一言に尽きる。

されど全てが黒に塗り潰されているわけではなく、通りの最奥とも言える所に現世を彷徨う人魂の如き青白い小さな光が、まるで手招きしているかの様に揺ら揺らと幾つも灯されていた。

自ら好き好んでこの闇を進む者はいないだろう。何か目的でもない限り少ない筈。

だが、少ないという事は言葉の通り皆無ではない。何故なら、現に今存在しているのだから。

臆する事無く闇に溶け込み、灯火に引き寄せられる火虫の如く光へ進んでいる者が一人。

進むにつれて光が大きく形を成していきその姿を曝け出す。

それは看板であり、揺ら揺らと見えてたのは電灯が切れかかっていたからのようだ。


――『Memory Sale』


人の寄り付きそうにない裏通りにあるのは不可思議極まりないが、どうやら其処は何かの店らしく、煉瓦造りの寂れた店の扉の頭上に立てられた錆び付いた看板にはそう文字が記してある。

思い出売買という意味として受け取っても良いのだろうか。

だとしても、正直な話し新手のインチキ商売であると普通は思うところ。

近寄らず、さっさと来た道に戻るのが妥当な判断。

もし此処に訪れた者が居たら大概が取るであろう行動だ。

しかしやはり例外もいるようで、此処に訪れた者――客は喉を一息鳴らすと真意を確かめる為か、扉の取っ手をどこか緊張した手付きで引いて店内へと足を踏み込む。


骨董品、古美術品、年季の入った家具や装飾品……。

店の経営者の趣味なのだろう。数々の古いアンティークが明るい色合いで塗装された煉瓦色の店内を損なう事無く着飾っていた。

裏通りとは対照的に光が差す温かい空間。御伽の国に迷い込んだと言っても過言ではない。

視界に拡がる場景に、不意打ちでも喰らったように客は呆然としてその場に立ち尽くす。

最中、扉に取り付けられた呼鈴の音に気付いた誰かが店内の奥の扉から現れる。

現れたのは、黒いスーツとサングラスを着用したヘンテコなウサギの人形を片手で抱き抱え、爛々と煌く栗色の長髪をウェーブにした背丈120㎝程の蒼い瞳の少女であった。

顔立ちや身長を見るに、まだ十代に入ったばかりの幼子といったところか。

着ている服は小さな薔薇の造花が胸元にある可愛らしいフリルのドレス。

更にはリボンのついた靴とヘアバンドもしており、身に着けている物全てが桃色。

――アンティーク・ドール。少女を見た者の多くが恐らく最初に思い浮かぶイメージだろう。

古めかしい店内に不気味なほど良く似合い、その存在を大いに際立たせていた。


「お客さんですか~? 看板見て入ろうと思いまちたか~?」


客の傍にトコトコと歩いて近付き、持っている人形で顔を隠しながら間延びした口調で訊く。

自ら話掛けた相手に接する態度にしては些か可笑しく感じてしまうのは御愛嬌か。

心中でそんな事を考えたまま客は首を縦に振り、肯定の言葉を一言述べる。

すると隠してた顔をひょっこりと覗かせ、瞳を満天の星空みたくキラキラ輝かせて破顔した。


「oh~! 久々の来客! じゃ、あたちに着いて来て。マスターに会わせるから~」


上機嫌な様子で言うと、人形を片手で振り回しながら足取り軽やかに元来た扉に戻り始める。

言葉から察するに、どうやら少女は此処の経営者ではないようだ。

外見からすれば当たり前といえば当たり前なんだろうが、人は見掛けに寄るものではない。


「マスタ~、お客さんだよ~。看板見てお店に来たから間違いないよ~」


扉を抜けた先には木造りで作られた沢山の本棚に囲まれた八畳一間程の小部屋があり、少女が部屋に置かれた布張りの寝椅子に腰を落として黙々と本を読んでいる人物に声を掛ける。

額に僅かに前髪を垂らし、他は全て分け目無く綺麗に後方に撫で付けた黒髪のオールバック。

儚げな印象を感じさせる彫りの深い顔立ちに似合う白雪と見紛う透き通った肌。

上唇から顎先に掛けて短く生え揃えて整った口髭と顎鬚。

真実を見透かし偽りなど無意味と錯覚させる底の知れない凛とした黒い瞳。

背丈は約180㎝辺りであるが、体格は細身であり所謂長身長躯。

服装は白いYシャツの上に黒いベストを着用し、細身の黒いズボンと黒い革靴を履いている。

それがマスターと呼ばれた人物――30代半ば程と見える男性の特徴であった。


「ようこそ御越し下さいました。では此方にお掛け下さいませ」


男性は読んでいた本を閉じ、閉じていた口を開いて深く心に響くような人声を発すると目元を細めて優しげに笑い、自身が座る寝椅子の正面にある別の寝椅子に片手を向けて応対する。

妖艶とでも言おうか。見た者を傍に誘い込んで絡め取り、色香で包み惑わす微笑み。

その毒気に中てられたのか客は恥かしげに顔を背け、そそくさと寝椅子に座り込む。

すると案内を務めた少女が持っている人形を二つの寝椅子の間に置かれたテーブルに乗せ、人形の背中に取り付けられていたファスナーを開け、鼻歌を歌いながら何かを取り出していく。

焙煎キット、ドリッパー、濾紙、サーバー、珈琲豆ストッカー、ドリップポットetc……。

出て来た物は世間一般的に言う所のコーヒーセットであった。

そして少女は、慣れた手付きでそのまま楽しげに珈琲を作り始めていく。

何故人形の中にこの様な物が……? 当然の疑問を抱き、客は眼を白黒させて困惑している。

動じているのは客だけであり、少女は言わずもながら男性も別段不思議がっていない。

つまり、これが訪れた来客に対しての常日頃のお持て成しなのだという事が窺える。

緩やかに時間が流れ、暫くして漸く珈琲が出来上がると、少女が珈琲の入った二つのコーヒーカップをテーブルに丁寧に並べ、一仕事終えたと言わんばかりに男性の隣に座って一息つく。


「相変わらず美味しく淹れてくれますね。ご苦労様」


手元に置かれたカップの取っ手を持ち、香ばしい匂いを奏でる淹れ立ての珈琲を一口啜り、その味の出来栄えに称賛の言葉を送り物腰柔らかく少女を労う。

よっぽど嬉しかったのだろうか、瞬く間に照れた表情を抱いている人形で素早く隠すと、喜びを表すかの様にゴロゴロと寝っ転がって両足を激しくバタつかせる。

外見と相俟って些か幼子に見えるが年相応であろうから可愛げがあると言えよう。

そんな少女を子猫を摘まみ上げるように首根っこを摑まえ、自身の腿の間に据えて大人しくさせた男性は、恐る恐るといった感じで珈琲を飲んでいる客に商談を持ち掛けた。


「さて、早速ですが単刀直入に話を進めましょう。お客様は今回、どのような思い出を売却なさろうとしているのでしょうか? 先に申し上げておきますと、例えば昨日食べた夕飯のメニューや観賞していたテレビの内容などを売りに出されても二束三文、寧ろ一文程しか御提供出来ませんのでその辺は御注意下さいませ。何せ、売却できるのは最初の一回、つまりは今回限りですから。多くの利益を手に入れたいのであれば、それ相応の代価を支払わなければなりませんよ。勿論、代価を支払うのはお客様であって私共では御座いませんので、売りに出す思い出は全てお客様次第です。それと一つ注意事項が御座います。何、そう難しい事ではありません。売却した思い出を返品するのは無理という話です。察しが良ければもうお分かり頂けているでしょうが、要するに私共とお客様の間でトラブルが起きないようにする為の防止策ですよ。利益を得たお客様が思い出を返せと此方に怒鳴り込んできても、既に売却した思い出は私共でも返すことは出来ませんのでね。おっと、これは失礼。少し長話になってしまいました。まぁ、私から一つアドバイスを申し上げるなら、割と根強く頭の隅に残り、それでいて売却しても何も問題の無さそうな思い出を選ぶのがベストかと。大体話すべき事はこんな所で御座います」


話しを終えると礼儀良く一礼し、カップを手に取り薄く立ち昇る珈琲の湯気を挿みながら、顎先に片手を添えて何かを黙考している客に穏やかな視線を向けて回答を待つ。

少し経つと客がとある質問を投げ掛けるが、それは至極当然の事。

その内容は三つ。

―そもそもこんな事をしても商売として成り立たないのではないか?

―本当に思い出を売却できて利益を……つまりは金を得る事ができるのか?

―売却した思い出を返品できないのは何故か?

誰もが疑問に思う筈だ。客も見た所、話を真に受けている様には思えない。

冷かしか酔狂か。此処に訪れる可能性のある者の大半がそんな所だろう。

他に何か理由があって訪れる場合もあるだろうが、単純に金が欲しいのなら職を持って真面目に働くか、ギャンブルに走って夢を追い掛けた方が手っ取り早い。

早急に必要とあれば、お勧めはしないが銀行なり闇金で借りるという手もあるのだから。

疑心の張り付いた双眸が男性を捉える。されど動じた様子は一切無く、いたって平常。

どうやら訊かれた質問は昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わりない平穏な物のようだ。


「ふむ、なら順序良く話していきましょうか。確かに常識的に考えれば不可解極まりないでしょうね。人の思い出を買い、その中身の内容次第で多額のマネーを与える事に。ですがそれは常識的に考えればという話し。現にお客様はこうして思い出を売却しに此処に足を踏み入れ、私共は来店されたお客様方の思い出を買い、その代わりにマネーを与える事を生業としている。とても素晴らしい関係だと思いませんか? お客様は思い出を売る事で懐を潤し、私共は思い出を買う事で心を潤す。双方とも利しか存在せず害など一切ない夢の様な関係で御座いますよ。……はて、些か反応が薄いような……あぁ成程。最後の質問に答えてませんでしたね。これは失礼致しました。では話しましょう。と言うよりも、話すより見て頂いた方が早いですな。これが最後の質問の答えです」


まるで選挙活動でも行っている政治家みたいに仰々しい演説擬きな説明をしていた男性は、先程から片手に持っていた黒色に染まったアンティークな革装丁の本をテーブルに置く。

古い洋書風の表紙に銀の模様が彩られている以外特に突出している所は無い。

はっきり言って、その辺の古本屋の棚に埃でも被って置かれてるなんら変哲もない只の本だ。

質問の答えと言われても、どう反応していいものやら。

現に客は驚きやら呆れやらが入り混じった何ともいえない表情を大いに浮べている。

そんな中、少女が人形の背後から半分ほど顔を覗かせ、クスクスと楽しげに笑いを零す。

嘲笑されていると思い、客が鋭い眼差しを向けるが直ぐに逸らした。


――本能的な行動であった。


恐らく……否、確実に原動となったものは恐怖。

覗かせた一つの瞳。清流を思わせていた蒼い瞳ならば逸らしはしなかっただろう。

だが、触れた者を一瞬で腐らせる毒沼の如き暗く濁り切った瞳ならば別だ。

先刻までの可愛らしい少女はもういない。其処には別の何かが少女の振りをしていた。

いや、そうは言い切れないか。これこそが本来の姿なのかもしれない。

心の臓に、恐れの名を冠する蛇がぬるりと巻き付き、牙を突き刺し毒で侵していく。

只中、漸く客は理解する。此処が御伽の国なんて生易しい場所ではないと――。

冷たい汗が額から頬に流れ、顎先に一瞬滞り、刹那に音を残して床に消えた。

まるでその場所から逃げ出す様に……。不気味な沈黙が訪れ、空間を支配する。

それを破ったのは男性。少女の長髪を優しい手付きで撫ぜながら話しを始めた。


「いきなりこんな事を言っても信じて貰えないでしょうが、この本はですね、人の思い出を喰うのですよ。喰った思い出を文章化し、物語として本に記す。喰われた思い出は二度と思い出す事が出来きません。黒いペンキで塗り潰された絵画の如く、其処に何が描かれていたのか全く分からなくなるのです。簡単に一言で説明すると忘却ですかね。……危険な本かと御思いでしょう? ですが、まだこの本は可愛げのある物ですよ。酷い物になると、読んだ人間を取り込んでしまう本もあるくらいですし。私はお目に掛った事は無いのですが、いやはや是非とも入手してみたい珍品で御座いますな。おっと、これまた失礼。話しが脱線してしまいましたね。……ええ、与太話の類であると思いますよね普通は。しかしこの通り本は実在し、この本があるからこそ私共の商売は成り立っているのです。まぁ、信じるか否かはお客様が決める事ですので、否定されたとしても別段問題ありませんよ。重要なのは思い出を売却するかどうかですので。私共は只、お客様の選択に従って行動するだけで御座います」


質問の答えを言い終えると本のページを一枚一枚丁寧に開き、記された物語を――話しが本当であるならば、喰われた思い出を愛おしげな眼を浮かべ、商談が纏っていないのにも拘らず、傍にいる少女と一緒に和気藹々と黙読し始める。

信じろと言う方が難しいのは、誰がどう聞いても明らかだ。

人の記憶を食べる本。アニメや漫画、もしくは小説の話しの中でしかありえない戯言。

現実に実在して良いわけがない。あってはならないのだ。

そんな神をも畏れぬ悪魔の本など。

付き合い切れないとばかりに客が寝椅子から立ち上がって部屋の扉に手を掛ける。

当たり前の選択。それが普通の人間の答えだ。間違ってはいない。そう――


「おや? 良いのですか? 折角『忘れたい思い出』を処分できるというのに」


普通の人間であるならば……。

掛けられた言葉に肩を揺らして反応した客は即座に男性に振り向く。

表情は死人かと思わせるくらい蒼白となり、双眸は動揺の二文字だけが刻まれている。

何か口にしようとしているが、惨めなほど言葉になっていない。

すると男性が突然立ち上がり、扉を背にして硬直している客に静かな歩調で足を進めた。


「何故って顔をしていますね。簡単な話ですよ。此処を見つけられるのは、お客様のように『心にとても深い傷』を持っている方だけですから。偶然此処を見つけたと御思いでした? されどそれは大きな勘違いで御座います。お客様は此処に来るべくして来られたのですよ。忌まわしい思い出を全て捨て去り、誰もが羨望する新たな人生を送る為に」


惨い真実を突き付け、直ぐ傍まで近付くと扉に両手の掌を押し当て、憐れで救いようの一欠片もない思い出を心に秘めた客を、美術品でも鑑賞するように頭上から見下ろす。

両手で囲われた客だが抵抗するように……真実から目を背けるように、目蓋を強く閉じる。

冷かしや酔狂ではなかった。確かな理由があったからこそ来店したのだ。

己の心に今も尚、ひっそりと巣食い続ける無明の思い出を捨てる為に。


「迷う必要なんてありませんよ。お客様は只、思いのままに要らない思い出を余す事無く出し尽してしまえば良いのです。ずっと溜め込んでいたのでしょ? 分かりますよ。お客様にお会いしたのは今日が初めてで御座いますが、一目見て誰よりも辛い思い出をお持ちだと。もう我慢しなくていいですよ。大丈夫。私がお客様の膿を全部取り除いて差し上げますから」


ちっぽけな自己抑制など、耳元で囁かれた甘美な甘言の前では虚しいだけだった。

この時、目蓋を開けていれば……。

傍で話す男性の瞳さえ見ていれば、結末は大きく変わっていたかもしれない……。

だが時既に遅し。もう後戻りはできない。耳を傾けてしまったのだから。

黒を幾重にも重ね、最早その黒が燦然と輝いているような、そんな闇と光を螺旋の如く混ぜ合わせたような瞳を浮かべて微笑む悪魔の言葉に――。









「お客さん大丈夫ですか~?」


何時の間にか暗転していた目蓋をゆっくりと開き、耳元に聞こえた声に振り向く。

其処には十代になったばかりに見える可愛らしい少女が片手に奇妙なウサギの人形を抱え、不思議そうに小首を傾げながら大きなトランクに腰を落として座っていた。

意識がハッキリとしないまま、ぼんやりと周囲を見回す。

どうやら此処は骨董品や家具を売りにしている店のようだ。しかし何故だろうか?

何故、私はこんな所にいる? 記憶を掘り下げるが全く思い出せない。いや……待て。

妙なのはそれだけじゃない。でもそれが何か分からない。何かを失くした?

抜け落ちてる。記憶が。まるで虫に食われた本のページの様に幾つもの思い出が消えた。

金? 友人? 恋人? 家? 職? それとも全部? 分からない。きおくがない。ナニモ、ナイ。


「ね~ね~。これ、お客さんのだよ~」


記憶の欠如に苛まれている私にニッコリと笑顔を向けて少女がトランクを軽く手で叩く。

そう言われても身に覚えがない。こんな物を持って何しに来たのだろう?

兎に角、中を調べてみよう。消えた記憶に繋がる物があるかもしれないし……。

手掛かりを探る為、私物らしいトランクに近寄り、少女と共に中身を覗いてみる。

我が目を疑った。正直、夢か幻でも見ているんじゃないかと。入っていたのは現金。

それも隙間なくトランク一杯に敷き詰められた札束の山。

金に目が眩むとは正にこういう事かと、自身で体現して良く理解できた。

トランクから零れた札束を四つん這いになって必死に掻き集めている己の姿の醜きこと。

死肉を貪るハイエナや禿鷹の方がまだ知性が溢れているようにさえ思える浅ましさ。

劣悪、醜悪、俗悪、性悪、最悪、最低、下種、クズ、ゴミ、カス――。

失くした思い出を金で満たし、愚かな人間に成り下がった私にとても良く似合う言葉達だ。

本来なら悔恨の情にでもかられるやもしれないが、今は欲に心を委ねて笑うしか出来ない。


「お帰りですか~? だったら出口はあちらですよ~」


札束を拾い集め、トランクにしがみ付きながら視線をさ迷わせている私に少女は話し掛けると幾つもある扉の内、最も小汚い扉に指を指した。

それと同時にトランクを持ち出し、扉を通るのに邪魔な少女を乱暴に突き飛ばす。

壁にぶつかり床に横たわったままだが、無視をして扉を開く。

外は既に夜闇が支配しており、歓楽街が大いに賑わいを見せていた。

欲に染まった表情を張り付け私は寂れた店を後にする。欠如した思い出など既に忘れて……。








「あらら。中々戻ってこないと思って来てみたら……」


小部屋から出て来た男性が横たわって泣きべそを掻いている少女を見つけてそう言葉を零す。

壁に当たった際に足をぶつけたか、片方の膝が内出血を起こして少し蒼く変色している。

一息つくと、男性は少女の背と両脚を抱き抱えて元居た小部屋へと戻っていく。


「マスタ~御本読んで~」


寝椅子に置かれていた本を差し出し、応急処置を行っている男性に催促する。

さっきまでの泣顔はどこへやら。何事も無かったように平然と笑顔を浮かべていた。

騙した訳ではないだろうが、少女が女へと移り変わったら男を手玉に取っていそうだ。

膝の治療を済ませると、男性は本を受け取り、傍に座ってページを捲っていく。

隣で期待に溢れた眼差しを表して少女がワクワクしているのは言うまでもないだろう。

父親が子供に絵本を読み聞かせているような二人の姿。随分と様になっていると思える。


「では新しく刻まれた『私を庇ってトラックにペシャンコにされたママ』なんてどうです?」


「ヤダ~、つまんなそう~。こっちの『パパが縄で宙ぶらりん』の方が良い~」


「あっ、これはどうです? 『お注射チクチク★フ~ワフワ!』」


「う~じゃあそれ~」


本の内容が吐き気を催す凄惨な物でさえなければ……。

――『心にとても深い傷』『忘れたい思い出』

二つのキーワードから導き出される答え。そんな物、分かり切ってる事であった。

和やかな雰囲気で悲劇に彩られた本を二人は朗読し始める。

常人が其処に居れば、両耳を塞ぎ喉の奥から嘆き叫ぶであろう内容を。

その最中、呼鈴の鳴る音が聞こえ、来客が訪れた事を知らせる。


「お客さんだ~!」


「そのようですね。では私が出迎えましょう。此処で大人しくしてて下さいね」


両手を広げて喜ぶ少女の頭を撫でた男性が本を片手に小部屋から姿を消す。

先程来店していた客に僅かに見せていたあの瞳を薄らと浮べて……。

或いはこの時、すぐさま店から出て行けば来客の結末は変わったかもしれない。

しかしそれはその場凌ぎで無意味な事。心に傷があるならどの道また訪れるだろう。

捨て去りたい過去があるならば必ず。何故なら此処は捨てれば利益を得る事が可能な――



「Memory Saleにようこそ。御来店、お待ちしておりましたよ」


思い出を売買【bye-bye】する店だから……。

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