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声美少女伝説  作者: yuzuki
第2章 「ぷりん王国 - 揺籃期」
18/21

第十七話 -ボクの日常6-

――『皆さん、お疲れ様でした。まもなくサービスエリアへと入りますので、休憩の時間を――』


 少しだけウトウトとしていたのかもしれない。

 記憶が曖昧だった。先ほどまで何かを話していたような気もするが、何の内容について話していたのか全く思い出せなかった。

 バスの車内は、寝る前に比べて少しだけ騒がしくなっていた。休憩のサービスエリアに到着するため、何人かは外へ出る準備をしているのだろう。眠っていた人達も、ちょうどボクと同じように車内の放送で起きたようだった。

 頭がボーっとする。アクビをかみ殺して、目を擦りながら小さく伸びをした。

 と、隣に座っているサユリンが、何やら驚いたように、慌てたように携帯電話をいじっていた。

 ……なんですか?

「別に……」

 何やら様子がおかしかったので、つつけば何か藪から蛇でも出そうな感じではあるんですが、寝起きの気だるさもあり面倒くさかったのでそのままスルー。

 ボク、どれくらい寝てました?

「……いや、ほんの数分だ。おい、よだれ拭けよ」

 ぎゃっ! ゴシゴシと慌ててぬぐった。

 バスの車内があまりに暇だったので、つい眠ってしまっていた。せっかくの旅行なんだから、何かおもしろい企画でも用意しとけっての。

「別にただの旅行というわけじゃないだろう、これは」

 旅行ですよ。

 少なくとも、ボクやサユリンにとっては。


 バスが止まってからは、車内にいたほとんどの人が気分転換に外へとくり出した。中に残るのは引率担当者と、一部の爆睡している人達だけ。

 あれですよね、こう旅行とかでサービスエリアに立ち寄ると、そこまで好物というわけでもないのに、やたらとアメリカンドックとかアイスクリームとか食べたくなるっていう。

「あるある」

 サービスエリア内にあるフードコートの一角。対面に座るサユリンは、同じく串焼きなどを食べながらボクの言葉に頷いている。

 少し大きめのこのサービスエリアには飲食施設も多い。休憩する人の中には、施設内まで入らず、外のベンチで休んだり立ち食いで済ましている人もいる。このボク達が居座るフードコートにも、同じバスに乗っていた何人かが思い思いに寛いでいるようだった。

 そういった顔見知り程度の知人達、学校でたまに顔は合わすのだけど親しく話すような仲ではないような、そんな友人達を見やりながら、サユリンは一言呟いた。

「どうして、こうなった……」

 サユリンが友達少ないせいですね。

「ちげぇ!」

 ん、違うんですか。

 バスの中でも居心地悪そうに周囲を眺めて、話し相手もいないこのアウェーの環境の中で、それでも一緒にいてあげるこのボクの優しさと懐の大きさに感服し――

「違う! いや、確かにこの中にはオレの親しい友人は少ないが。それを言えば、そもそもなんでオレがこの旅行に参加させられているんだ!?」

 今回の旅行は、文化系部活動が企画し運営・主催を行っている。人数の少ない部活動が寄り集まり、強化合宿という名の旅行が企画された。ボク達の乗ってきたバスには、放送部の面々の他、演劇部や手芸部など、同じ文化系部活動の中でも比較的横の繋がりが強いところが集まっている。運動部に所属するサユリンは、完全に畑違いということもあり、少しだけ居心地の悪い思いをしているようだった。

 それを言うなら、なぜボクがこの旅行に参加させられているのか、というのもあるのですが。

「何言ってんだよ。オマエは放送部員だろうが」

 違います。何度言えば分かってもらえるんですか、ボクは放送部へ入部届けを出した覚えは全くありません。

 あれだけ大々的に活動実績を残しておきながら何を今更と思われるかもしれないが、ボクは決して放送部員ではない。

「顧問の先生も、部員だと思ってるみたいだったが」

 ……。

 思わず言葉に詰まる。ひょっとすると、部員ではないことを充分に理解して、その上で他の部員と同等に扱い、仕事を押しつけてきている可能性もある。部員の一人として見なされている。絶対に入部してたまるか!

「オマエが参加するのは分かる。傍目に見ても他の部員以上に活動してるんだから、まぁ、慰労という意味もあるんだろう」

 その『慰労』という言葉の中に、ボクの普段の労をねぎらい慰めいたわる心が少しでもあると信じてます。

「それは分かる。だが、なぜオレが参加させられる!?」

 それはもちろん、サユリンのここ最近の苦労を少しでもねぎらおうと――

「その気持ちが少しでもあるなら、オレを呼ぶなよ!」

 もうそっとしておいてくれと拗ねたように彼は言って、怒りを滲ませながら串焼きの肉を食いちぎった。

 うん、真にサユリンを気遣うのであれば、もう放送にも呼ばないことが正しい判断だと思う。今回のこの旅行にも強制参加させることはない。ここだけの話、サユリン本人には絶対に言わないことではあるが、放送部内でもそう言った声は多少なりともあるらしい。本業のサッカーの方に支障があるようでは忍びない。

 一応、サッカー部の方の許可は取ったって、部長氏が言ってましたよ?

「そりゃあ、あの顧問とかはおもしろがって許可は出すだろうさ。1回2回部活を休もうが、問題はないからな」

 大きな大会が近ければ、練習試合などと被っていれば許可はされなかったかもしれないが、そう都合よく旅行をバックレる口実ができるはずもなかった。

 旅行にはボクやサユリン以外にも、ミッチィやリッコも参加してますからね。

「放送部や文化系の部活動に関係ないリッコ達が参加してることが、かえってオレの不安を煽っているんだが……」

 何言ってんですか、これは部長氏の気遣いですよ。日頃お世話になっているという慰安を込めて、関係あった人達皆に、広く声をかけて誘っているんです。

 納得いかないといった様子で、眉間に皺をよせるサユリン。そうですよね、あの部長氏に、そんな気遣いあるわけないですもんね。放送部の活動内容を知らないサユリンでも、かの部長氏の噂や人となりはある程度知っているようだった。

 肩を落とすサユリンを励ますように、優しく諭すように、ボクは彼へ慰めの言葉をかけた。

 まぁ、そこでボクが……というか『ヒメちゃん』が、サユリンを誘ってあげるようお願いしたわけですが。

「原因はオマエじゃねーかっ!」

 空き缶を投げつけられた。

 いってぇー! 硬いコーヒー缶を投げるんじゃない! ツッコムなら、そこはせめて視聴者には分からないようさり気なく、柔らかいアルミ缶の方を投げるとかっていう配慮を――

「うっさい! ていうか、ツッコミ待ちすんな!!」

 よく分かってらっしゃる。

 これだから、サユリンは優秀なんですよね。

 きっと『ヒメちゃん』の立派な相方に成長することができますよ。

「したくねーよ!」

 力なくツッコミを入れて、そして足掻くのを諦めたように大きなため息をついてサユリンは呟いた。

「なんでオレがこんな目に……」

 実に無様ですね。

 旅はまだ始まったばかり。こんなところで力尽きていては、この旅路生き抜くことはできませんよ。

「サバイバルなのか、この旅は?!」

 声を張り上げるサユリンに向かって、至極真剣な表情でボクは答えた。

 ボクにとっては、サバイバルです!

 バレるかバレないか。この泊りがけの旅行を生き抜くことができるのか。もはやボクにとっては、普通に日常生活を送ることさえ、戦争地帯を生き抜くような命がけのサバイバルに匹敵する。人間、いや、この世に生きる全ての生き物達にとっては、毎日がサバイバルなのです。

 切々と語るボクの様子に感銘を受けたのか、サユリンはハッと心動かされたように表情を変えると、何かを悟ったように落ち着きを取り戻した。

 そして、少し気持ちが高ぶって涙目になっているかもしれない、ボクの肩にポンと手を置いて、励ますように呟いた。

「……ドンマイ」

 ボクはコーヒー缶を思い切り投げ返した。



 まだ時間は大丈夫だろうか。

 トイレから戻ると、先ほどと同じ席へ、行く前と同じような体勢で座っているサユリンの前へと向かった。

 おまたせ。

 席に座り、飲みかけだった紙コップ入りのお茶を口にする。サユリンはチラリとこちらへ視線を向けた。

 ――ガタッ!!

 ボクを見た瞬間、彼はビクッと肩を大きく震わせた。

 うん。おもしろいくらい良い反応しますね、サユリンは。まるでお化けでも見たように驚いて、腰を浮かせて椅子をガタガタッと揺らした。

「な……お、おまっ……!?」

 辛うじて声を張り上げることはなかったが、次に続ける言葉も無く、彼は何かに怯えたように絶句する。

 あえて気にしないフリをして、何事もないかのようにボクは話をした。

 集合時間は何時でしたっけ? まだ時間あるなら、ペットボトルのお茶だけでも買ってこようかな。

 目的地まではまだまだ遠い。この後も長いバスの旅が続くので、飲み物や、あと『暇つぶしの用意』も必要となるだろう。せっかくの旅路なので、行きの車中が寝てばかりではおもしろくない。

 しばらくして、ようやく息を整えた様子のサユリンは、戸惑ったようにボクへと声をかけた。

「やっぱり、オマエなんだな……」

 何を今さら。

 だから、そうだって何度も説明してるじゃないですか。

「いや、この目で見ても信じられないというか、信用できないというか……」

 なお疑わしい視線でボクを見つめる。

「その、原因とかってのは――」

 あ~、その辺の考察は一通りチルとやってます。

 原因不明。きっかけもタイミングも不明。原理や法則も一切分からない。

「何かの病気か?」

 恋の病ですね!

「……」

 ……。

 ……ご、ごめんなさい、ワタシが悪かったです。スルーしないで。

 ジト目で見つめられ、恥ずかしさを誤魔化すようにお茶を飲んだ。

「恋の病というと、身体が女に変わっているわけだから、対象はきっと男の方――」

 ぎゃーっ! 止めてください想像しただけで身の毛がよだつ。これでも中身は純真な男の子なんです、ボクは。

「……まぁ、病は気からって言うし」

 どんな気の迷いですか!

「なぁ、やっぱりオマエ、最初から女だったとかっていうオチはないのか?」

 あるわけないです! その目は節穴ですか、あんな着替えシーンまで目撃しておきながら何言ってんですか。

「男の身体で、女物の下着を着けてた変態ってだけだろ?」

 変態じゃないです。

「前回放送で自分で認めたくせに。というか、オレは直接変身シーンを見たわけじゃない」

 変身シーンって、そんなどこぞの魔女っ子じゃあるまいし。

 それに、身体が変化する時に、サユリンは立ち会ってるじゃないですか。

「……知らねーよ。いつだよ?」

 ついさっき。

「……は?」

 だから、ついさっき、バスの中で……。

 眠っている間に、いつの間にかメタモルフォーゼしてました。

 少し考え込んだ様子を見せた後、サユリンは頷いた。

「…………ああ、そういうことか」

 いったい何を納得したんですか。

 ボクのツッコミは気にかけず、それでもまだしっくりこないという感じで、喉の奥につまった魚の小骨を気にするように、頭を捻りながらサユリンは言う。

「でもなぁ……。二人は別人でしたとか、実は手術して性転換しましたとか、そういうドッキリで終わるのが無難な落とし方だと思うんだが」

 何をどこに落とすんですか、そんなオチは絶対にいりません!

 あくまでオカルトは信じない、彼は自分の納得のいく落とし所を模索しているようだった。もういいじゃないですか、きっと神様の気まぐれです。超常現象も幽霊も、宇宙人も未来人も超能力者ももう全部信じましょうって。

 と、冷めたような視線でボクを眺めていたサユリンは、ハッと重大なことに気付いたようで慌てて頭を上げた。

「ちょっと待て! まさか、その格好でバスに戻る気かっ?!」

 何か問題でも?

 ボクの私服のワンセット。それほど派手な格好ではないが、どこにでもいるような、普通の格好。

 普通の、どこにでもいるような女の子の格好。

「問題あるだろーっ!」

 大丈夫です、ちゃんと髪も増量エクステしました。

「そういう問題じゃねーよ!」

 そんな狼狽する彼に向かって、ボクは満面の笑みで答える。

 やだなぁ~、そのために今日はサユリンがいるんじゃないですか~。

 サユリン絶句。

 そう、今回の旅行では、アドリブのきかないチルに代わって、チルに加えて、誰かに別の人にもフォローしてもらう必要があった。

「待て、ちょっと待て! 自分でリスク高めてんじゃねーかよ!」

 何をおっしゃる、そうそうリスクが跳ね上がるようなことはありませんよ。見た目の印象も全然違います。多少疑われたって、実際に姿かたちまで変わってるんですから、証明のしようがありませんし、何より誰かが言いまわったところでこれ以上事態が悪化するようなことはありません。堂々としていればいいんです。

 どこかの誰かさんのように、着替えを覗かれないかぎり。

「それは断じてオレのせいじゃない」

 断言するサユリンに向かって、ベーッと小さく舌を出した。こっちだって、キミの弱みを握ってるんですよ。

 例のサユリン用の脅迫写真は、二人の立場を同等にするためには絶対に必要なことだった。一方だけが弱みを握っていては、今は口約束で済んだとしても、いずれは何かの軋轢を生じかねない。それを脅迫材料にして、ヒメちゃんを凌辱しようたってそうは――

「ねーよ!」

 リスクが上がるというが、本当にそれは今更の話である。こういう神出鬼没のキャラ作りをしているので、多少の無茶も皆は寛容に受け止めてくれるだろう。またいつものことだと、みんな呆れてるだけ。

 それに、そっちの方がおもしろいじゃないですかぁ。

「それが本音か!?」

 今回の合宿旅行には、『プリンちゃん』が参加すると公言されている。というか、いつの間にか部長氏に吹聴されていた。どこで参加しようと、それはこっちの勝手、神様の気まぐれ、プリン王国大臣の身勝手なご都合です。

 やっぱりお菓子とか買ってきた方がいいかなぁ。でも、ヒメちゃんなら、お菓子ちょ~だいって言えばいくらでももらえますよね~。でもでも、いくらなんでもそれは図々しいので、むしろこっちから何か差し入れするくらいの気遣いをみせる方が高感度上がりますかね~、特に第一印象ってのは重要なので。キャラを作ってそんなことをしゃべっていると、サユリンの方からはコイツうぜーっという視線が飛んでくる。

「第一印象とか、それこそ今更だろ」

 失礼な話ですよね。会ったこともない女の子に人聞きの印象だけでレッテル張り付けて、本当にしゃべったこともないのに人を見た目や噂話だけで判断するとか。

「オマエの場合、一方的にしゃべり続けてるけどな」

 と、ふと思いついて、ボクはサユリンをジッと見つめた。身長差のせいもあって、ボクからはサユリンを正面から少し見上げる格好になる。

 ねぇ、サユリン。

「な、なんだよ……」

 サユリンから見て、ワタシの印象って、どんな感じでした?

「……へ?」

 ボクではなく、ワタシ。『プリンちゃん』として放送に出はじめた時から、意識的にキャラを作って演じてきたもう一人の自分。その正体を知らない第三者から見て、彼女はどのように映るのか。

 あの頃の、純真で初心うぶだったころのサユリンは、『ヒメちゃん』にいったいどんな印象を?

「初心って言うな」

 そうですよね、今も初心でヘタレなのは何も変わってませんもんね。

「おい」

 じゃあ、バカみたいにコロッと騙されて、ちょこ~っと社交辞令で微笑んであげるとすぐ顔赤くしてたあの頃の――

「ねーよ! ってか、それって今のほとんどのリスナー達のことだよな?!」

 余計な合いの手は入れなくていいから。

 それで、どうだったんですか?

 少し真剣な表情で彼を睨む。

「……」

 少し悩んだ様子を見せて、そして彼は答えた。

「シュレディ…………いや、導火線に火のついた爆弾だな」

 …………は?

「うん、それだな。それも、テレビの画面越しに見る爆弾って感じの」

 ……その心は、対岸の火事、人の不幸は蜜の味、メシウマって感じ?

「正解」

 まぁ、そんなサユリンも、今はその爆弾を背中にしょってますけどね。

「どーしてこうなったっ!?」

 メシウマーッ!

 頭を抱えるサユリンを放置して、またおやつにプリンでも買いにいこうかと席を立ったところで、テーブルの上に置いてあったボクのケータイが鳴いた。


 ――ピルルルル~ッ!


 チルからの呼び出しだった。

 仕方ないので着信に応じることにする。


 ――ピッ!


 ただいまおかけになった電話番号は、現在使われていないか、電波の届かないプリン星に――

『――――! ――――!!』

 ガイドのお姉さん風に言ってみたんですが。どうでした? 似てました? 家にかかってきた親戚のおじさんにコレやったら、素直に電話切られて……。

『――――。――――、――――!』

 どーせボク達が戻るまで、バスは出ませんよ。

『――――!』

 や~ん、チルのいけずぅ。

 あ!

 そうそう、この後バスに『プリンちゃん』が乗り込む予定なので、よろしく。

『……――――?!』

 せっかく変身してるので、皆の期待に応えてみようかと思います。

『――――! ――――!!』

 やだなぁ、ワタシが参加すると公言している時点で、どんな無茶ぶりも許容範囲のはずです。皆への説明はお願いね~。

『――――! ――――、――――! ――――?!』

 そんな些細なこと、プリン星の最新技術をもってすれば朝飯前だとご説明ください。

『――――?! ――――!』

 よろしく~。

『――――!!? ――――!! ――――』


 ――ピッ!


 ふぅ。

 ケータイを切ってポケットへと入れる。こちらを茫然と見つめるサユリン、電話越しのチルの声は彼に聞こえていないので、少しだけ不安そうな表情だった。

 さて、チルも快くオーケーしてくれましたので、このまま乗り込んでも大丈夫です。

「今の会話のどこをどう聞いたらそういう結論になるんだ……」

 サユリンはますます頭を抱えている。

 失礼な。サユリンはチルを信用できないんですか?

「チルじゃなくて、オマエが信用できねーよ!」

 む。

 そんなことないですよ。口の堅さではプリン星でも随一と噂されるほどで。

「どの口がだよ!」

 仕方ないですね~。

 そこまで信用されてないとなると、この旅行中の連携プレイにも支障が出てきます、かなりの死活問題ですね……。

 それでは、何か信頼のおける約束事を一つ。

「なんだよ……」

 胸揉ませてあげるんで、この旅行中だけでもお願い♥

 ムギュッと、両手で寄せて上げてみる。

「買収かよっ?!」

 こんな惨めなワタクシには、身を売るくらいしかもう選択肢が残されていないのです。こんなみみっちぃカラダではありますが、どうかご賞味ください。

「…………っ!?」

 ……うふっ。

「……そ、それを本気でやったら、オマエの信用は地に落ちるからな!」

 今、迷ったくせに。

「うっ……」

 ほれほれ~。別に偽物なんだから、遠慮することはないですよ~。気持ちも分からなくはないし。ヘタレなサユリンでも、あと一歩を踏み出す勇気を持てば、きっともっと度胸つくと思うんですよ。純粋培養の天然物は価値も価格も非常に高いですが、ワタシくらいの偽乳だったら養殖物にも劣るまがい物みたいなもんなんで、全然安いもんです。

 いかがですか?

「……」

 見つめてやると、本気で葛藤してるみたいなのがなんとも滑稽です。しかし情けないと言うなかれ、これは男の悲しいさが、分かっていても抗えない雄としての本能なのである。

 そして、迷った末に、彼は言う。

「………………後で、1回だけ……」

 それはいいんだけど、ねぇサユリン、ちょっとこれ見て。

 少し前屈みになって、腕で胸を寄せる。無理矢理作った谷間に、思わずといった感じで野獣の目が釘付けとなる。

 残念。見るべきものは、こっち。

 胸の谷間、ではなくその横にある胸ポケットを指差した。

 中に見えるのは小さな機械、携帯電話よりも一回りだけ小さな電子機器。

 赤い録音ランプの点いたICレコーダーだった。


 サユリンサイテ~っ!




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