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声美少女伝説  作者: yuzuki
第2章 「ぷりん王国 - 揺籃期」
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第十五話 -サユリンの日常-

 その日は、何かが少しだけ違っていた。

 別に、何かの予感があったわけではない。夢を見たわけでもない。普段から勘が良いわけでもなく、自分のシックスセンスに自信があったわけでもない。

「おい、早く行こうぜ!」

 ちょっと待てって。オレは疲れてるんだから……

 急かす友人を追いかけながら、いつもどおりと感じるこの光景に何かの違和感を感じていた。

 既視感とは違う何か。まるで嵐がやってくる前の静けさ、そんな落ち着かない衝動。

 そんなに急いで、どこ行くんだよ?

 今にも駆け出しそうな友人に、ため息交じりにオレは尋ねた。

「体育館だよ! なんだよ、何も聞いてないのか?!」

 知るわけがない。午前中の試合で疲れきって、さっきまで教室で休んでいたのだから。

 ザワザワと騒がしい校舎の中、授業のない開放感から、廊下をすれ違う生徒達の表情は皆明るい。

 なのに、どこかソワソワとした緊張感が学校中に伝播していた。

 果たしてこの事態にどれほどの人が気づいていたのだろうか。友人達に聞いても何もわからないと言う。いったいいつからこのおかしな空気に染まっていたのか。昨年までは何もなく退屈な日々だったというのに。

 それに気づいたのは数日前。

 その違和感は、気がつけば数ヶ月も前から頭の隅に感じていたこと。

 友人は得意そうな顔でオレに向かって言った。

「今、体育館に来てるらしいぜ!?」

 ……誰が?

「噂のあの子だよ!」

 それだけ言って歩き出す彼を、オレは早足で追いかけた。

 ひょっとして……

 噂に疎いオレでもわかる。今日、学校中を支配している気配は、まるで芸能人が訪問していて皆が落ち着かないような、そんな雰囲気。


 学校という日常の中に混じり込んでいた、非日常という名の異物。


 その異物の本当の名前を、オレは知らない。

 誰も知らない。その正体も、顔も、本当の性格も、本当はどこの学校に通っているのすらも、誰も知らなかった。同級生や地元の友人達に聞いても、そんな子は知らないという。

 その子のことを、皆は「プリンちゃん」「ヒメちゃん」と呼ぶ。姿のない女の子、虚像のようなアイドル、声だけのプリンセス。

 最初、クラスの友人達は放送部が作った偽物の女の子だと言った。きっと、いつも放送やってるアイツが演じているだけなのだろうと。でも、それは違った。彼女に近しい人に聞けば聞くほど、彼女は本当に存在しているかのようだった。気がつけば彼女を見たことがあるという人は増え、それらしい写真も出回るようになってきた。話せば話すほど、噂が流れるほどに彼女の存在感が増していく。

 それに気づいて以来、オレはひそかに彼女のことをこう呼ぶことにした。

 『シュレディンガーの猫』と。

「……お前、頭が良いのか馬鹿なのか、よくわからないな」

 失敬な!

 A組のミッチィは呆れたようにそう言って、今目の前にいる友人は腹を抱えてゲラゲラ笑いやがったので思い切り蹴り倒してやったことは記憶に新しい。

 体育館に行くと、そこには驚くほどの人がいた。

 球技大会決勝戦とはいえ、ここまで人が集まるほどの人気カードはあり得ない。同じ学年の生徒だけでなく、他の学年の生徒達まで集まっているので、この光景は異常だ。

 なんとか人をかき分けて、端に陣取っている友人達の輪へと潜り込んだ。

「お、サユリン! お前も来たのか」

 サユリン言うな! なんだよ、この人混みは?!

「まあ見てみろよ」

 彼が指したのは目の前のコートの真ん中、ちょうどバックセンターの位置。

 皆の注目を一身に浴びるのは、一人の小さな女の子。

 決して目立つ容姿、体型ではない。同世代の女子に比べても小柄な方。特別に美人というわけではないが、可愛いかと聞かれれば十人中七人くらいは素直にそう答えるだろう。動きも歩幅が小さく、ちょこちょことコートの中を動き回っているという印象がある。

 なにより注目を集めているのが、その高い声。

「——やぁっ!!」

 特に意識して作っているわけではないと思うが、時折聞こえてくる彼女のかけ声が、話し声が、その透き通るソプラノヴォイスが体育館中に響き渡る。

 吸い寄せられるように、オレは彼女を見つめていた。

 周囲の友人達の話し声が聞こえなくなるほど、オレは彼女に見入っていた。

 砂嵐の雑音のように聞こえてくる周囲のざわめき、その中で、彼女の噂話だけがやけにはっきりと聞き取れる。

 ——あの子が噂の『プリンちゃん』か。

 ——午前の試合で負傷した子の代役らしい。

 ——この学校の生徒じゃないのかな……。

 声につられるように、彼女の姿を追う。彼女の服装は皆と同じ体操服姿。他の生徒は、胸のところに自分の名前を書いたゼッケンをつけているが、彼女のそこにはでっかく『ぷりん』と書かれているだけ。小柄な彼女がボールを持つと、そのボールが一回りだけ大きくなったように感じる。身長がとても低く見えるのは、彼女だけがシューズを履いていないからなのかもしれない。

 ——ゼッケンじゃなくて、なんで体操服に直書きなんだ?

 ——ていうか、なんで裸足なんだ?

 ここに来た時、すでに靴下さえ履いていなかったらしい。素足で動いていることを感じさせないほど、彼女の動きはとても素早かった。体重が軽いこともあり、思い切りジャンプすれば長身のリッコ達にも引けを取らないと感じた。

 何よりも疑問に感じるのが、なぜ彼女が今になって姿を現したのか。

 これまで声だけしか聞こえなかった噂の人物。放送の様子を聞くに、自分からは姿をあまり見せたがらない印象がある。今回の顔見せも、チルやリッコなど、他の彼女を知るA組の面々によって仕組まれていた可能性もある。

 その姿は印象的で人の目を引き寄せる不思議な魅力を持ちながらも、表情の心象は薄く、儚げで、すぐに消え失せてしまいそうな、まるで花の甘い芳香のような存在だと感じた。整った中性的な顔立ちでありながら、悪く言えば平均的で個性を感じさせない表情で、声を発していなければそのまま人混みに紛れて見失ってしまいそうだと思った。

 街ですれ違った時、この中の何人が彼女のことに気づくことができるだろうか。

「どうだ?」

 隣の友人に脇を突かれて、思わず思考の海から現実へと引き戻された。

 慌てて、そう見えないようあくまで冷静を装って、俺は呟くように答えた。

「ああ……なんていうか、思ったより普通の女の子って感じだな」

 すると、その友人は少しだけ驚いたような顔をした。

「そうか? いかにも有名人って感じのオーラが見えるんだが……」

「それはお前の目にフィルターがかかってるせいだろ」

 放送での彼女の印象そのままに見つめれば、そんな風に見えるかもしれない。

 今の彼女は皆の注目を集めていて、とても油断無い表情をしている。その笑顔が、巷の有名人達が見せる様子とよく似ているのだろう。

 他の友人達にも彼女のことを聞いてみた。

「あの子の、本名は?」

「さぁ? 誰も知らないって。A組の連中なら知ってるかもしれないけど」

「リッコ達もあだ名しか知らないって言ってたぞ。商業科の連中の方が何か知ってるんじゃないか?」

 生徒数も多いため、誰かはその正体を知っているのだろうと思うが、普通であれば聞こえてくるはずの彼女の噂が、何も届いていなかった。

「リッコの地元じゃないのか……」

「チルの地元の方って聞いたぞ!」

「いや、俺、チルと地元一緒だけど、あんな子知らねーよ!」

 オレは何も分からない。口を挟まずに友人達の話を聞いていると、隣から、最初にオレを連れてきた友人が、肘でつついてオレに話しかけてきた。

「彼女に惚れたか?」

 ……。

 いや、それはない。

 一目惚れするには、彼女の印象はあまりに薄すぎる。記憶に残るのは、その特徴的なアニメ声だけ。

「あ、そーなんだ……」

 その煮え切らない返事を聞いて、オレは思わず言ってしまった。

 惚れたんだな、お前は……。

「……」

 図星を指されて、何も言えず口をパクパクと動かしてる友人を尻目に、オレは再び試合の方へ目を向ける。

 そして、一言だけ呟いた。

 このロリコンが。

「……なっ!? お、おまっ……」

 あ……。

 ——バシン!

 と、その友人の口を塞いだのは、コートから飛んできたバレーのボールだった。ボールは友人の顔に直撃し、ポーンと跳ねてオレの手元に落ちた。最前列まで来ていたことが災いした。試合中に余所見はよくないだろう、自分のことは棚に上げてそう呟いた。打ち所が悪かったのか、彼は「は、鼻が〜!?」と顔を押さえて悶えている。

「ごめんなさい! 大丈夫ですか〜?」

 コートから女の子が走り寄ってきた。

 ボール見てないコイツが悪いんだよ。

 それだけ言って、オレはボールを手渡す。非があるのは明らかにこちらなので、彼女が気に病むことはない。

「ありがとう」

 ボールを受け取って、彼女は微笑んだ。


 トクリと心臓が揺れた。


 その時、何かが少しだけ変わった。

 何かが動き始めたような気がした。

 ボールを両手に持って、彼女はトテトテと小さな歩幅でコートの中へと戻っていった。

 自分では冷静に見ていたつもりだった。実際に、彼女を見ても特別に興奮するということもなく、静かに観察することができていた。それ故に、油断していたのだと思う。僅かに緩んだその心の隙を、悪魔は決して見逃さない。

 心象が薄いと分析していたがために、その威力は凄まじかった。

 相手もそれは意識していなかったのだろう。他のファンに向ける作った笑顔とは別のもの、少しだけ素顔を垣間見せたその表情。

 果たしてそれは、天使が紡ぐ宿縁か、悪魔が導く宿運か。


 この日を境に、オレの学校生活は大きく変わった。

 しかし、本当の意味で運命の歯車が回り始めたのは、その後からだった。



 その日は授業もなく、そのまま下校となるはずだった。

 女子バレーの決勝の後は、オレも参加した男子バスケの決勝。オレ自身はそれほどガタイが良いわけではないが、身長はまぁまぁあるし、本家のバスケ部ほどではないがそこそこの活躍はできたと思う。

 試合の終盤、少しだけミスをしてしまった。

 彼女がどこかで見ているかもしれない、その思いが心の隅にあったということは、決して否定はできない。いつもより活躍しようと、無茶をしたのかもしれない。点差が開いて、勝てそうだという心の油断。

「大丈夫か?」

 ああ、大丈夫。

 声をかけてくるチームメートに、心配ないと声を返した。

 軽い打ち身。突き指ならゾッとするが、当たったのはボールではなく、人と交差した時の腕と腕。相手は大丈夫だったが、こちらは少し当たりどころが悪かったらしい。腫れ上がる腕を押さえてコートの外へと引っ込んだ。

 試合の方はもう終盤なので、うちのクラスの優勝は間違いないだろう。そう考えて、交代要員とタッチした。

「念のため、湿布張っとけよ」

 分かってる。ただの球技大会でケガをして、本業の部活の方が出れなくなってしまっては意味がない。幸いそれほどの痛みもないので、湿布でも張っておけばすぐに腫れも治まるだろう。

 賑わう観客を横目に、負傷退場ということで少しだけ観客から拍手を受けながら、オレは一足先に体育館を出て、校舎内の保健室へと向かった。

 午後も日が傾きかけているこの時間。球技大会の日程も終盤なので、すでに試合などのないクラスの生徒は先に下校を始めている。校舎の中にはパラパラとしか生徒が残っていなかった。

 運動場では、また別の競技で人が集まって盛り上がっている。外の試合も、もう決勝戦なのだろうか。体育館の中と同じぐらいの大きな声援が上がっている。汗をタオルで拭いながら、オレは校舎内を突き進んだ。

 こんな時間に保健室へ向かうようなバカな生徒は、おそらく自分くらいのものだろう。

 授業をずる休みするような生徒は、すでに帰宅している。試合もほとんど終了しているので、部活でもない遊びのような球技大会でケガをするような運動不足の連中は、先の試合ですでに敗戦している。決勝を戦うチームは、どこもそこそこに運動のできる人間だけ。そんな生徒が、保健室のお世話になることは滅多にない。こんな遅い時間だと、先生も残っているかどうか。

 失礼しま〜す。

 どうせ誰もいないだろうと、ノックもせずに扉を開ける。

 この時、後になって思い返してみれば、この瞬間にノックをしていれば自分の運命は変わっていたのかもしれない。いや、奴にオレの侵入を防ぐ手立てはないので、どの道似たような結果になっていたのだろう。因果とはそういうもの。


 ——ガラッ!


 オレの目に飛びこんできたのは、下着姿だった。

 ……下着?

「……」

 床に散らばっている体操服。そこには何やら見覚えのある文字が刻まれている。

 その姿を見た瞬間、本来であれば慌てて背を向けて逃げるか、土下座をするのが正しい選択である。

 しかし、その姿に大きな違和感を覚え、目を逸らすこともできずにオレはまじまじとその姿を凝視してしまった。この時、相手が大きな悲鳴でもあげていれば、それに気づく前にオレはこの場から逃げ出すことができたのかもしれなかった。

 保健室の真ん中に佇むのは、可愛らしいピンクのブラジャーに手をかけている男子生徒の姿。

 息を飲むのが分かった。それが自分だったのか相手のものだったのか、それは分からない。

 見間違いではない。シャツを脱いだその姿で、間違えるはずがない。その光景を正確に伝えるならば、それはブラジャーを着けている男子生徒がその自分のブラジャーを外そうとしている、それが正解。


 ——キーンコーン、カーンコーン!


 それに気づいた瞬間、オレの中で何かが終わったような気がした。

 いや、それはある意味で始まりの鐘の音。

 授業の終わりを告げる鐘の音を聞いて、オレはハッと我に帰った。それでも、相手は呆然自失といった様子でオレを見つめている。

 床の体操服に書かれている文字は『ぷりん』。

 横の椅子の上に置かれているのは、黒髪のカツラ。

 靴下もスリッパもない、裸足のその男子生徒の横顔にはとても見覚えがあった。

 オレは、クルリと彼から背を向けると、部屋を出ようとした。

 すまん。このことは誰にも言わないから。

「……ええっ!? あ、いや、ちょっと!!」

 そのオレの声色が、妙に生暖かいものだったことは、致し方ないことだろう。

 大丈夫、そういう趣味だろうと、オレは気にしないから。

 きっとチルやリッコ達に強要されていたのだろう。いや、あの笑顔を見るに、それは本気だったのかもしれない。

「待て! ちょっと待て! オマエ、何かを根本的に勘違いしてるだろ!?」

 この光景から何を見間違うことがあろうか。

 悲痛な男の叫びを背に、オレは保健室を後にした。


 オレはこのことを心の内に秘めておくことにする。

 この学校中の皆の夢を、現実という名の悪夢で終わらせることはできなかった。こんな思いをするのは、オレ一人で十分だ。

 オレは思った。

 シュレディンガーの箱の中にいた猫は、きっと最初から死んでいたのだと……。






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