第十一話 -ボクの日常4-
「それで、アンタどうするつもりなの?」
向かい側に座るチルが、突然話を切り出した。
メニュー表から視線を上げ、チルを見返す僕の顔はキョトンとしていたように思う。テーブルの端にある呼び鈴のボタンを押す。
ピンポーン!
しばらくして、可愛らしい小さな前掛けエプロンをした店員さんがやってきた。
すみません、ボクは紅茶とフライポテトを。メニューの写真を指して店員に伝えると、メニュー表を閉じた。
それで、チルはどうするの?
「……」
ジト目で睨み返された。
こらこら。店員さんが困ってますよ? 年は僕らと同じくらい、女の子のバイトの店員さんが少し焦ったような顔をしている。
「……あ。す、すみません、アタシはコーヒーを」
かしこまりました、と、内心の安堵をそぶりも見せずに、優雅に一礼をして店員さんは奥へと戻っていった。
ふー、やれやれ。僕はお冷の水をコクリと飲んだ。
「……って、違う!」
何がですか?
「アタシは注文のことを聞いたんじゃない、ミッチィのことをどうすんのって聞いてるの」
……。
どうもこうも、特に何もしませんよ?
バカだろうとアホだろうと、変態だろうと、あれでも友は友。無下に扱うつもりはない。
「アンタさ、あの日ミッチィに何言ったの?」
首をひねる。首をかしげる。はて、特に変なことを言ったつもりは全くないのだけど。
「最近、見てて気持ち悪いんだけど」
前言撤回。うん、友達付き合いも考え直した方がいいかな。
「結局、映画は最後まで付き合ってあげたの?」
問い詰めるようにチルが聞いてくる。
う~ん、見たような見ていないような。映画の一番おもしろいところを抜けていたので、最後の大団円を見てもいまいち感動しきれなかった。
「変身能力って、そんなに持続時間あったんだ」
……。
あるわけがない。映画が始まって、わずか数分で元に戻った。映画上映まで保ったことが奇跡のようなもの。ただし、多少の猶予、トイレに駆け込むくらいの時間は稼げるようになったので、強いてあげるとしたら。
気合と根性で、なんとかしました。
「なんとかなるの?」
なるわけねーだろ!?
自分で答えておきながら、思わず言い返してしまった。
「あのさ、ミッチィに、映画終わった後に撮らせてもらったっていうケイタイの写真を見せてもらったんだけど」
あんのバカはどこまでベラベラ話してんだ!? 思わずテーブルに拳を叩きつけた。大きな音はしなかったものの、数名の客が驚いてこちらを振り返った。
そもそもアレは撮らせてあげたのではなく勝手に撮られたのであって、喋れなかったボクには拒否することも怒ることもできなかった。
「あの写真って、ひょっとして……」
言うな!
正直、一番驚いたのは自分自身だ。鏡を見て、「あれ? これってなんとかなんじゃね」とか思ってしまったことにかなり落ち込んでいた。
「なんていうかさ、あんたみたいにパッとしない顔の方が女にすると映えるんだなって思って」
だから、もう言うな!
ミッチィのケイタイ奪って削除してくる!
本気で席を立とうとした、その時。
「お待たせしました。フライポテトとドリンクになります」
店員さんに出鼻を挫かれる。ポテトの山を見て大人しく座りなおした。
「紅茶の方は?」
あ、ボクです。コーヒーはチルへ。また一礼をして、店員さんは戻っていた。
暖かい紅茶を一口すする。ふー。
そして、ボクが頼んだはずなのにボクが手をつける前に、まるでオマエのものはオレのものオレのものはオレのものみたいに、チルが遠慮のかけらもなくポテトを食べながらボクに話す。
「それで、その変身能力の原因とかは分かったの?」
また一本また一本とチルの口の中へと消えていくポテトを涙目で見つめながら、ボクは答える。
原因が分かったら、こんな苦労はしていません。
チル、食べすぎ。ポテトを取るふりをして、さり気なくお皿をチルから遠ざける。
まぁ、強いて挙げるなら、チルの手料理かと。
「そ、それに法則性はなかったんでしょ! そもそも食べてなくたっていつも変身してるじゃないの。仮にそれが原因だとしても、それならそれで対処の仕様があるわけだし……」
さも自分に責任はないというように、まくしたてて話す。
毎回の変身には関係なくとも、最初の変身時にトリガーとなっている可能性はある。あくまで仮説だけど。
と、言い忘れていたかのように、軽く付け加えて話す。
それから、この体質が人に伝染する可能性も……。
ポテトへ伸びたチルの手が止まった。
ひょっとすると未知の病原菌に感染していて、それが皮膜や粘膜を通して、最悪空気感染で人に広まっていることだってあるかもしれない。神妙な顔でボクは考察を述べていく。
「い、いや、まさか、そんなバカなことあるわけが……」
あくまで冷静を装ってチルはコーヒーをすする。いつも入れるミルクを忘れているところを見ると、内心はかなり動揺しているらしい。
ないとは言い切れませんよ? 家族以外で、そして家族以上に変身の現場に何度も立会い、第何回かの放送では同じスプーンで間接的にプリンを食べ合っている――そうですね、仮にこれを『ぷりん合い』と名付けます――このぷりん合う二人の間には、未知病原菌も行ったり来たりと大忙し。
「ちょ、ちょっと。その誤解を招きそうな言い方はやめて。それに、アレは――」
ただの友情を深めるための『ぷりん合い』です。
「言い方なんてなんでもいいから。アレは、アンタが勝手につっこんできただけで」
そんな身勝手につっこんだわけではないですよ。ちゃんと、事前に言葉と愛撫で(プリンを)よく解きほぐし、初めてでも痛くないよう十分に(プリンのカラメルの)蜜を絡めて、優しく頬張るように口の中へと誘導してあげたじゃないですか。
「だからやめぃ!」
その瞬間、チルの表情が凍りつく。通りかかった先ほどの店員さんが、驚いたようにこちらを見つめている。チルと視線が合うと、慌ててそそくさと店の奥へと引っ込んでいった。会話は丸聞こえだったらしい。チルは顔を赤くして俯いた。
この程度で恥ずかしがっているようでは、チルもまだまだ青いですね。
「神経が大根みたいに図太いアンタと比べんな」
そりゃあ、変身し始めた最初の頃は、周りを気にして神経すり減らしてましたけど、こう何度も何度も変わってたら、神経も打たれ強くなってガッチガチの鋼の硬度を有するようにもなりますって。
「そう? 身体変わる前から、こんな感じだったと思うけど」
……。
チルは当たり前のようにそう言うが、変身を何十回と繰り返す内に、確かに吹っ切れた部分がある。
男では言い淀むようなエロネタも平気になった。いくら気心知れた相手とはいえ、言ってしまってもいいものか戸惑うような、チルを困らせるエロネタに対応できる応用力を身につけた。セクハラと言われることなく、「あくまでこれはスキンシップです」と言い張るだけの言い訳と立場を手に入れた。
いやぁ、放送の幅が広くなって良かったですね。
「アンタが手に入れたスキルは、エロネタだけかよ。それもネタの幅が広がったというより、底がどんどん深くなっていってる気が」
そうですね。それも底なし沼のように、他の誰かに引き止めてもらわないと這い上がれないくらいに、ずるずると沈み込んでいく感じがしますね。
「自覚あるなら、少しはシモネタを控えなさいよ。そのせいで、最近変な噂が流れているみたいで……」
以前からまことしやかに囁かれていた噂。ぷりんちゃんはチルとレズカップルだ、いやいや本命はミッチィだ。そんな話が広まる以前から存在した、公然の秘密という名のはた迷惑な勘違い。
曰く、あの二人は付き合っていると。
ねーよ。
「ないわー」
二人してため息をついた。
何言ってんだよどう見ても夫婦漫才じゃねーか、とはミッチィの言葉。余計なお世話だ。
ボクが女性化するようになって、確かにチルとの距離は縮まった。今ならチルが女だからというプライバシーな領域にも平気でズカズカと踏み込める気がする。
「おい」
しかし、確実に越えられない壁というものは存在する。
「性転換という、男女の壁はあっさり飛び越えたくせにねぇ」
越えたくて越えたんじゃないやい。
今のところ普通に生活できているが、私生活に支障をきたすのは、はっきり言って時間の問題である。
性別が誤魔化せている内は問題ない。ボクだって男だ、いつかはヒゲだって生えてくるし、身長も伸びて体格とかも良くなって、筋肉もついて男らしくなって……。
「……」
……。
「……なるの?」
……夢は諦めたらそこで終わりですよ?!
「夢というより願望だよね」
ボクだって男だ、いつかは男らしくなって可愛い恋人作って……。
「その未来の可愛い恋人といちゃこいてる時に、突然可愛い女の子になっちゃったりして」
あーあー、やめてくださいそんな現実。その光景がリアルに想像できるだけに、本気で恐ろしいです。
「あのさ、もう変身の原因とか法則性とか、何にも分かってないんでしょ?」
ええ、はいはい、そうですよ。
「ねぇ、アタシ思ったんだけど、男らしくなるとか有り得ない未来見据えるより――」
有り得なくなんかない!
「はいはい、あるかもしれないけど程遠い遥か彼方の未来見据えるより、今みたいに男にも女にも見えるようなユニセックスな感じの外見であれば、誤魔化して生活ができるわけでしょ?」
!
はい! 先生、思いつきました。目からウロコです。
ワタシ、今からオカマの中のオカマを目指します!
「……いや、何もそこまで言ってないけど」
さっすがチルチル、男であり女でもあり、全てを超越した新人類であるオネェキャラを目指せば、万事解決ってわけね!
ボクは紅茶を一口飲んだ。ふー。
ねーよ!
「だから、誰もそこまで言ってないから」
そんな未来を考える方がよっぽど現実的なのかもしれない。なんか本気で目から汁が出てきそうです。
「本当に、何も法則性が見つからないの?」
ありません。あったら藁にもすがる思いで調べつくしています。
まぁ、強いてあげるなら、同じ日に2度変身することはないってことくらいで。
「今日は、朝に変身してたよね?」
よく見てますねぇ。ええ、そうですよ、二限目の体育までに元に戻って助かりました。だから、今日はもう変身することは……。
……。
「……?」
……。
「ま、まさか……」
……。
「……」
……。
……こうして人類は、また新たな一歩を踏み出したのです。
唯一といっていい、ただ一つの分かっていた法則、その壁をあっさり突き破って、ボクはまた女へと変身した。
ボクは鞄の中からカツラを取り出すと、周りの目も気にすることなくパサッと頭に被った。テーブルの端の呼び鈴ボタンを押す。
ピンポーン!
はーい、と奥から声が聞こえ、再び店員の女の子が姿を現す。
すみませ~ん、紅茶とコーヒーのおかわりを、それからプリンパフェをお願いします。
「か、かしこまりました……」
何やら戸惑いながら、店員さんは奥へと戻っていった。
紅茶の残りをクイッと飲み干す。ふー。
スパーン!
と、チルにおしぼりを投げつけられた。いった~い、乙女の柔肌になってことを。
「黙れ、ナチュラルに変身してんじゃない!」
こちらを睨みつけながらも、騒ぎにならないよう声のボリュームは抑えてある。てか、そんな気使う余裕あるならおしぼり投げつけんな。
自然にしてれば、意外にバレないもんなんですってば。
「やっぱり、アンタって鋼鉄の神経してるよねぇ」
失敬な。そもそも、チルが変なフラグ立てるから、また変身したんじゃないですか。
「アタシのせいじゃないアタシのせいじゃない」
しばらくして、お茶のおかわりとデザートを持って店員さんがやってきた。同じ店員さんだが、今度は動揺のかけらも見せずに笑顔でボクの前には紅茶を、対面のチルにはコーヒーを置く。
そして、空いたカップを下げると、ふと迷ったように口を開いた。
「あ、あの、お客さま?」
その目は、ボクを見つめている。
な、なんですか?
「失礼ですが、お客様は……女性の方、ですよね?」
どちらに見えますか?
聞き返してみた。
「……」
……。
「……そ、そうですよね。すみません、おかしなことを聞いてしまって」
いえいえ、よく聞かれます。コレ、カツラなんですよ。
アハハハハ。
お互いに乾いた笑みを浮かべる。
何事もなかったように店員さんは一礼すると、そそくさと戻っていった。結局、彼女はボクのことをどちらだと結論づけたのだろうか。
紅茶を一口飲む。つられて、チルもコーヒーを口にする。
ふー。
「……店を出ようか」
待て。デザートを食べてからです。
人目を気にし始めるチルをよそに、ボクはパフェのテッペンに飾られたプリンにスプーンを通す。うん、んまい。チル、そろそろ観念して、開き直った方が身のためですよ。カリカリしないで、プリンでも食べて落ち着いてください。はい、あ~ん。
「……いらない」
ぷりん合いを否定されました。知ってますか? ぷりん星では、ぷりん合いの拒絶は絶交を意味していて――
って、自分で拒否しといて、自分のティースプーンで反対側からパフェをつつかないでください!
パフェを食べて少しホッとした表情を見せたチルは、今度はスプーンでパフェではなくボクを指して言う。
「アンタってさ、全然自覚ないでしょ?」
何がですか?
「アンタのその声のこと」
声ですか?
男の方であればメス犬どもを濡らすワイルドでダンディなハニーヴォイス、女の方であればまるで発情したオス猫どもを呼び寄せる甘いスウィートヴォイスが――
「はぁ……」
ため息ついて無言でパフェの山を削らないでください。
「男の方はともかく、女の方の、今のアンタの声はすごく目立つってことを自覚しているのか?」
この高い声がですか?
「アタシやリッコなんかと比べても全然高いじゃない。自分で自覚とか、違和感はないの?」
もう慣れました。
そりゃあ最初は戸惑いましたが、頑張れば低い声も出せるということがわかりましたし。そもそも自分の声を真面目に聞いたことなんてない。
「ラジオのバックログ聞いてないの?」
やだなぁ、聞くわけないじゃないですか。ワタクシ、過去は振り返らない女なんです。
「アンタは、少しは過去を振り返って反省とかした方がいいんじゃない?」
高いソプラノ声。リスナーに言わせれば可愛いアニメ声。客観的に聞けば、確かに目立つ声なのかもしれない。先ほどまで感じなかった、他の客達からの視線を感じる。変身がバレたとは考えたくない。
「今日、部長にコレ渡されたんだけど」
と言って、チルはポケットから小さな携帯電話サイズのものを取り出した。なんですか、それは? ラジオ?
「ICレコーダー。部費で購入したんだって」
ボクに手渡すと、チルはコーヒーにミルクを入れながら話す。
「なんでも、不定期でしか出れないのなら、コレに事前収録しておけばいいんじゃないのかって」
おい。こんなもの購入する資金があるなら、出演料よこせっての。受け取ったICレコーダーを眺める。これ見よがしに赤い録音ボタンがついている、スイッチオン。は~い、プリンちゃんでーす。ポチッとな、再生。
『は~い、プリンちゃんでーす』
おーおー、意外にきれいに録れてるもんだ。というか、こんな声だったんですね、自分の女声を初めて聞きましたよ。
パフェへと視線を戻すと、テッペンのプリンは跡形もなく消えていた。おい。
「どうする? この後、試しに収録してみる?」
スプーンを咥えながらチルが言う。
キィ~! プリンの恨みは重いですよ、末代まで祟ってやる~! ……はい、そうですね、今日は止めときましょう、PCないから投稿が読めん。チルにひと睨みされて、ヘビに睨まれたカエルのように大人しくなった。ICレコーダーを自分の胸ポケットに仕舞う。
「…………それ、売るなよ」
ギクッ。
いえいえ、出演料代わりに質に入れようとか、決してそんなこと考えてないですよ。誤魔化すように紅茶をずずずっと啜る。ふー。
「ともかく、今日は収録しないとしても、変身するのがランダムじゃあ、収録しようと思ってもなかなかできないんじゃない? 今日みたいに、アタシが一緒にいるとも限らないんだし」
なんだかんだで気がつけばいつも一緒にいるとかいうのは気にしないことにします。
「どうする?」
どうするとは?
「これは部長からも言われたことなんだけど。一回、アンタ一人で収録してみる?」
!!
一人プレイと行えと。ツッコミ不在のボケオンリーの泥沼試合を行えと。
「いや、その方がアタシも楽かなって」
チルチルひどい! 大人のオモチャ(←レコーダー)渡してオナ○ープレイを強要するなんてひどいわ!
「そうそう。しかも、それを後で公開しようってんだから、かなりの鬼畜プレイだよね」
あ、でもでも、チルチルがやれっていうならワタシはどんな愛のカタチでも応えていきたいって思うの。だから、チルを恋焦がれながらがんばってみるわ、うん、写真と使用済みの体操服があればたぶん3回くらいはイけると――
――カチャン!
騒がしかったファミレスのフロア内に、その食器の音はやけに静かに響いた。一瞬だけ、お客達の会話が停止した。音を立てた店員、ボクらのすぐそばを通りかかった女の子の店員さんは、極力こちらを見ないよう意識しているかのように戸惑った様子で「し、失礼しました」と一言だけ言った。他の客達は、すぐに自分達の会話へと戻る。食器を落としかけて危ういところで持ち直したその店員は、決してこちらを見ようとはせずにまた奥へと戻っていった。
再びざわめきの戻った店内で、ボクとチルのテーブルだけが隔離されたように空気が凍り付いていた。どちらかともなく視線を合わせる。
「出ようか」
あ、待って。まだパフェが残ってる。
紅茶をまた一口。ふー。
ねぇコレ何、何の羞恥プレイなの?! と、そわそわとし始めたチル。トイレなら、突き当たりの左ですよ。
「違うわよ」
おしぼりをこちらに投げつけて、チルは席を立った。なんだ、結局行くんじゃないですか。尿意に耐えられなくなったのか、奇異の視線に耐えられなくなったのか。うん、二度とこのファミレスに来る事はないだろう。
チルの背中を見送ると、今度は反対側から窓を叩く音が聞こえてきた。
コンコン!
窓を振り返る。
リッコがいた。笑顔でヒメちゃんヒメちゃん何してんのと手を振る。声は聞こえないけど。
すると、机の上に残されていたチルの携帯電話がブルルルルッと音を立てた。リッコを見ると、手を振るもう片方の手でケイタイを耳に当てている。チルのケイタイの、よくわかんない変な人形のストラップを引っ張って、チルの電話をとった。もしもし。
『はぁ~い! ヒメちゃんヒメちゃん何してんの?』
予想通りの答えしてやんの。
見ての通り、屋内での露出羞恥プレイから放置プレイに変わったところです。
『…………え?』