第一章 1 『突然の勧誘』
俺の人生はいたって普通だ。というより、少し他者より劣るか。社会的に見たら負け犬だ。25歳童貞。定職には就けておらず、実家に入り浸って親のすねをかじり続けている。大学時代の友達はみんなバリバリの営業マンでかわいい彼女を飲み会に連れてくる。俺のことを気にかけて友達は飲み代を少し多めに出してくれたりする。こんな落ちこぼれと飲みに行ってくれるうえにご馳走してくれるなんて心の広い友人だ。
そんなことをぼーっと思いながら、レンジから弁当を取りだす。
「熱っ!!」
温めすぎた。思わず、手を放してしまい、香ばしい匂いのする麻婆豆腐が宙を舞った。お腹が空いているからか、つい麻婆豆腐の匂いに夢中になってしまった。
「おい、何してんだよ!早く片付けて新しい麻婆豆腐をお客さんに渡せ!!」
隣でレジ打ちをしていた店長が物凄い剣幕でそう言った。一度にいくつも注文されるとキャパオーバーになってしまうんだよなあ。とかまた余計なことを考えながら、とりあえず散らかった麻婆豆腐を拭こうとすると、
「いつまで待たせんの?早くしてくれよ。」
と、男の声が聞こえた。
「いや、だからこうやって拭いてんだろって!!」
とっさに反発した。それはそうだ。一度にいくつも注文を受けてしまうとパニックになってしまう。
「てめえ、やんのか。」
立ち上がってレジの先を見ると、いかつい兄ちゃんが三人。職人さんかな。おっかない。
「あ、間違えました」
とっさの抵抗がこの程度とは情けない。
「おい、表出ろこの野郎。謝罪だけじゃ済まさねえからな。」
思わず店長に視線を送って助けを求めるも、当たり前のようにシカトされ、胸ぐらをつかまれたままコンビニの外に連行された。
大人の怒鳴り声ほど恐ろしいものはないと、この日初めて知ることができた。そして、人を怒らせるとバイト丸二日分のお金が飛んでしまうということも知ることができた。いい収穫かな。そんなことを思いながら、コンビニに戻る。
すると入ってすぐのところで店長が仁王立ちで待ち構えていた。
「隅田君、キミクビです。」
「え?」
「クビです。君。」
「え?」
「クビだって言ってんだろ!」
本日三度目の大人の罵声。もう怖いものなしだ。いや待て、なんて言ってた?
「クビですか?」
「そう、クビ。」
「バイトってクビになることあるんですか?」
「滅多にないけど君はなるよ。」
「何でですか!!」
怒鳴られすぎて、こっちも怒鳴らないと不公平だと思った。だから怒鳴ってやった。
「店に迷惑をかけているからだよ!!」
三倍くらいで返ってきた。大人っておっかない。
「いや、でもあの人たちには自分のお金渡しましたよ。」
「そういう問題じゃない!いいか、トラブルを起こすと厄介な問題に巻き込まれるかもしれないだろ。君みたいに周りが見えていないと、いつ、いかなるトラブルが起こるかこっちも気が気じゃないんだよ。しかも、キミさ、遅刻するでしょ?まじで社会人としてあり得ないよ。もう25歳なんでしょ。親の顔が見てみたいよ。常識がなってない。仕事も遅いし、ここまで来たら給料泥棒と言っても過言ではないよ。」
長い説教は怖くない代わりにストレスが溜まる。しゃべっているときのあの表情ときたらもう、お前はクズだと見下していることが一目でわかる。フライヤーの油を全部かけてやりたくなったが、ぐっと堪えた。
「ということで、キミはクビです。お疲れさんした。」
「…ういーす。」
本日二度目の情けない返答で控室に荷物を取りに行き、適当にバイト着を脱ぎ捨てコンビニを後にした。
バイト二日分どころかこれから先のバイト代まで失くすなんてとんだ厄日だ。この怒りをどこにぶつければいい。それにこのコンビニ近所だし、めっちゃ使うし、これから使うの気まずくなりそうで嫌だ。
とりあえず、スーパーで酒でも買って、お母さんの作ってくれる夕ご飯で晩酌して、今日のことはきれいさっぱり忘れよう。しばらくバイトもいいや。なんか疲れたし。
スーパーで500mlのビールと缶チューハイをそれぞれ二本ずつこしらえ、家に帰る。16時にバイトに出かけたというのに、17時に帰ってくる息子の姿を見て、普段は言葉数の少ない母親も何か言いたげであった。
「母さん、バイトクビになった。」
後ろめたいことは自分から言った方が丸く収まると義務教育で学んでいた。
「はあ。」
当然のような返答。特にバイト代を家に入れたりはしていない。
「母さん、来月のカードの請求どうしよう。」
「知りません。」
寛容な母も僕の娯楽資金までは援助してくれないようだ。
「そんなあ。借金しないと払えないよ。」
僕はゲームにお金をかけるタイプだ。いよいよバイトを失ったという実感が湧いてきた。
「とにかく、お金は貸しません。こちらから提供できるのはご飯のみです。」
ご飯のみと言いつつ、住まわせてくれている。なんてありがたい母親だ。とりあえずカードの請求は分割で払うとするか。
「わかったよー。この美味しいご飯あるだけで幸せだもんね。」
プシュっと気持ちのいい音を立てて一杯目のビールとご対面だ。母の作った野菜炒めを貪り、それをビールで流し込む。仕事後の一杯は特に勤務時間とは相関性が無いようだ。今日も格別である。
「ぐへえーー。」
母の料理とリビングに置いてあるお菓子をすべて食べ尽くし、買ってきたお酒もすべて飲み干した。至福の時間であった。
「満足。満足ぅ。」
軽快な足取りで自分の部屋にむかう。あ、食器とゴミの片付けを忘れた。ま、いいか。母さんがやってくれる。
部屋に着くなり三面の画面に向かう。すべてゲーミングPCだから画面はぬるぬる動く。三面だから没入感は半端じゃない。
至福の時間、2時間目。最近購入したばかりのレースゲームをプレイする。
大迫力のレースは接戦を極めた。現在2位で最終コーナー。背中は捉えている。あと少し。コマンドを入力し、加速して一気に抜き去りたいところだ。
「電話だよ!…電話だよ!…電話だよ!」
好きなアニメのヒロインの声が不意に聞こえる。自分で設定した着信音だ。ふと振り向いてしまった。
その瞬間、3位の車が加速コマンドを使い、俺と1位の車を抜き去った。そのまま3着でレースに敗れた。
「馬鹿野郎!!誰だよこんな時間によお!!」
怒りの矛先は当然電話をかけてきた本人に直接向けるべきだ。すぐさま電話を取る。
「馬鹿野郎!!こんな時間に電話かけてくんじゃねえよ!!」
本当にこんな時間にしかも一番いいところで邪魔してくるとはいい度胸してるぜ。大きい声を出して少し冷静になった。
「あ、わりいわりい。お前ならまだ起きてるだろうと思って。」
聞き馴染みのある声だ。携帯の画面を見ると゛ユーキ゛とある。
「なんだ、お前か。てか起きてるとか起きてないとか関係なくこの時間に電話かけてくんのは失礼じゃないですか!?」
「ニートに礼儀って必要なんだっけ?」
本当に頭にくるやつだ。
「ニートじゃねえ!フリーターだ!てか俺がニートとか関係なく君のポリシーとしてどうなんでしょうかね?それでもいち教師でしょう?」
ユーキは私立高校で数学の先生をしている小学校からの幼なじみだ。
「学校の門から出たらただの一般男性です。」
「教師のくせにちゃらんぽらんなやつだ。」
「ニートには言われたくないね。」
「ニートじゃねえって!話をそらさないで頂きましょうか?僕は教師である君に言ってるんです。」
「はいはい。教師としてふさわしくない行いでした。申し訳ありません。」
「わかればよろしい。よし、このディベートは俺の勝ちだね。」
「でさ、本題に入りたいんだけど。」
こいつ大人だ。言い争いの勝ち負けなんかどうでもいいみたいだ。
「…ああ、わかった。で、なに?」
「お前、野球やってたろ?しかも結構強いとこで」
「ま、まあな。」
「ポジションどこなんだっけ?」
「いや、お前あんま野球知らないんだから言っても仕方ないだろ?」
ユーキは小学校の頃からサッカー一筋だ。たしか高校でもサッカー部の顧問をしているはず。
「いいから、聞かせてくれよ。」
「いろんなとこやったよ。特に高校でこのポジションだったって言えないくらい。」
「なるほど。いいねえ。」
「なんだよ。俺の切ない思い出に干渉しやがって。」
「切ないのか。なんで?」
「本当に腹立つやつだよ全く。高校三年間、試合に出たことねえんだよ。それどころかベンチにも入ったことない。」
「そりゃ強いとこだもんな。部員何人くらいいたの?」
「100人は超えてた。」
「へえー。すごいな。」
「だからなんだよ!」
思わず怒ってしまった。高校時代は俺にとって拭い去りたい過去だ。
「ごめんって。それで本題なんだけど。」
「なんだよ。」
「うちの高校で野球部の監督やってくれねえか?」
「…は?」




