第5話 世論という武器
王城の外は、驚くほど騒がしかった。
舞踏会の一件は、すでに市井の話題になっている。
「聞いたか? ヒロイン様が王子を投げたらしいぞ」
「嘘だろ」
「いや本当だ。衛兵の従兄弟が見たってよ」
尾ひれはついているが、広がりは早い。
リリアナはフード付きの外套を深く被り、石畳の通りを歩いていた。
王城の煌びやかさとは違う、生活の匂いがする街。
ここが現実だ。
最初に向かったのは商業区。
古くから王都を支える老舗商会――フェルナー商会の事務所だ。
「久しぶりだな、リリアナ嬢」
腹の出た中年商人が、椅子を勧める。
前世の知識を使って小さな取引改善を提案して以来、彼らは彼女を“話のわかる貴族”として扱っていた。
「王子の評判、どう?」
単刀直入。
商人は苦笑する。
「顔はいい。あれは売れる」
「中身は?」
「……決めねえ」
帳簿を叩く。
「港の関税改定も、半年保留だ。決裁が降りねえ」
決断不能。
現場はそれを敏感に感じ取っている。
「もし殿下が王になったら?」
「正直に言うか?」
「うん」
「商売人は、逃げ道を用意する」
つまり、資金を国外へ分散させる。
国の信用が落ちる。
リリアナは頷いた。
「ありがと。また来る」
次は騎士団下層の訓練場。
汗の匂いと鉄の音。
若い騎士見習いたちが、休憩中に水を飲んでいる。
「王子殿下? 優しい方ですよ」
一人が言う。
「訓練も見に来てくれるし」
「でも?」
「命令が曖昧なんだよな……」
別の騎士が呟く。
「辺境警備の増員、結局どうなったか知らねえし」
命を預ける立場は、指揮官の“迷い”を嫌う。
最後に向かったのは、城下の孤児院。
小さな子供たちが庭で遊んでいる。
「王子様はかっこいいよ!」
少女が目を輝かせる。
「絵本みたい!」
夢を見る層には、王子は理想の存在だ。
だが運営の老修道女は、静かに言う。
「寄付は減っています」
「王家からの?」
「ええ。王子殿下の名で約束された分が、まだ届いていない」
予算未執行。
つまり決裁待ち。
リリアナは空を見上げる。
王子の人気は確かにある。
だがそれは“顔”と“理想像”。
実務への信頼ではない。
「世論は、まだ動かせる」
小さく呟く。
その頃。
王城西棟、財務文書室。
レディアナは山のような帳簿に囲まれていた。
蝋燭の火が揺れる。
静かな夜。
「……おかしい」
指先で数字をなぞる。
歳入報告と実際の流通記録が、微妙に合わない。
誤差ではない。
意図的なずらし。
さらに遡る。
過去三年分。
特定の公共事業費が、毎年“繰越”処理されている。
だが実体は存在しない。
「架空予算……?」
いや、違う。
どこかへ流れている。
王弟派の領地?
それとも宰相派の私兵資金?
赤字は表向き、穏やかに見えるよう調整されている。
だが実際の穴は――
想定の二倍。
内乱が三年以内に起きる理由。
数字が、裏付けている。
レディアナは帳簿を閉じる。
「……これは使えますね」
世論が揺れれば、財務の不正は致命傷になる。
王子はその責任を背負わされる。
廊下を歩いていると、向こうからリリアナが戻ってくる。
フードを外し、にやりと笑う。
「収穫あり?」
「ええ」
「こっちも」
二人は並んで歩く。
「王子の人気、どうでした?」
「顔だけ」
即答。
レディアナは小さく息を吐く。
「こちらは、隠された赤字を発見しました」
リリアナの目が光る。
「どのくらい?」
「公表すれば、政権が傾く程度には」
沈黙のあと。
リリアナが低く笑う。
「世論と財務。揃ったな」
「ええ」
武器が整い始めている。
王を倒す剣ではない。
国を守るための圧力。
リリアナが呟く。
「顔だけの王様なんて、三日で飽きる」
レディアナは淡々と返す。
「数字は嘘をつきません」
夜の王城は静かだ。
だがその水面下で、二人は確実に、流れを変え始めていた。




