表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
断罪されるはずの悪役令嬢と、断罪したくないヒロインの政変記  作者: 南蛇井
第三章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/28

第5話:穀物の値

最初は、ささやきだった。


「パンの値が上がっているらしい」

「市場の粉屋が、仕入れを絞っている」


それは王都の朝市から始まった。


やがて噂は確信へと変わる。


穀物価格の急騰。


小麦の袋は昨日の倍値に跳ね上がり、商人たちは在庫を奥へ引っ込め、庶民は長い列をつくった。


王宮に報告が届いたのは、混乱が目に見える形になってからだった。


「西方で干ばつが発生。交易船の到着が大幅に遅延しています」


財務官の声は硬い。


「加えて、一部商会が投機目的で買い占めを行っている模様」


王子は眉をひそめた。


「備蓄は?」


「……通常備蓄はあります。しかし、王都全体を安定させるには不足です」


沈黙。


そこへ、扉が開く。


王弟だった。


「すでに放出を始めている」


静かな声。


「北部倉庫の備蓄三割を市場へ流した。価格は上限を設定し、王印を付す」


評議会がざわめく。


「北部倉庫……?」


「あれは軍用備蓄では」


王弟はうなずく。


「その通り。昨年から積み増していた」


視線が集中する。


「干ばつの兆候は、春の段階で見えていた。西方連盟の収穫報告は楽観的すぎた」


淡々とした口調。


「輸入依存は危うい。ゆえに先んじて買い付け、国内倉庫へ移した」


それは、完全な“先手”だった。


財務官が慌てて資料をめくる。


「確かに……北部倉庫の在庫は例年の一・五倍に増えております」


「価格操作を?」


誰かが問う。


「違う」


王弟は首を振る。


「市場を守るのだ。飢えは暴動を生む」


王子は静かにその姿を見つめていた。


(読んでいたのか)


干ばつの兆候。

交易の遅延。

投機の動き。


すべてを事前に繋げ、備えていた。


評議会の空気が変わる。


「さすがは王弟殿下」

「危機管理の視野が違う」


称賛が漏れる。


王子は口を開いた。


「放出はありがたい。しかし軍備への影響は?」


「三か月分の余剰がある。問題ない」


即答。


迷いがない。


王子は、わずかに視線を落とした。


王都の窓の外では、まだ列が続いている。


彼は民を思う。

だが、先に手を打っていたのは王弟だった。


その事実が、胸に重く落ちる。


会議後。


王子は一人、倉庫へ向かった。


巨大な扉の前で足を止める。


兵が整然と袋を運び出している。

袋には王印。


民衆はそれを見て、安堵の息をつく。


「助かった……」

「王家は見捨てなかった」


その声は、王弟にも、王子にも向けられている。


だが知っている。


この備えを整えたのは、王弟だ。


レディアナが後ろから静かに近づいた。


「殿下」


王子は振り返らない。


「……私は、遅れた」


その声は小さい。


「危機は、起きてからでは遅い。彼は起きる前に動いていた」


レディアナは答えに窮した。


王子は理想を掲げる。

だが理想は、予測と備えを伴わなければ守れない。


王弟の言葉が蘇る。


――備えがあればこそ、戦は避けられる。


穀物の値は、徐々に落ち着きを取り戻していった。


王弟の放出策が効いたのだ。


評議会では、その評価がさらに高まる。


「危機を読む力は、王弟殿下の方が上」


誰かが、はっきりと言った。


その言葉は、否定されなかった。


夕暮れ。


王子は王宮の高台から市街を見下ろす。


灯りが戻り、人々は家路につく。


守れた。


だが、主導したのは自分ではない。


胸の奥に、初めて明確な感覚が芽生える。


――劣勢。


理想だけでは、足りない。


風が吹き抜ける。


遠くで、鐘が鳴った。


王子は静かに目を閉じる。


この国を守るのは、どちらなのか。


その問いが、はじめて重さを持って彼の中に沈んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ