第4話:揺らぐ評議会
評議会の空気が、変わった。
重厚な石壁に囲まれた円卓の間。
そこにはいつもと同じ顔ぶれが並んでいるはずだった。
だが、視線の向きが違う。
王子ではない。
王弟でもない。
――“様子を見る”はずだった中立派の貴族たちが、静かに傾き始めていた。
「北方防衛線の再編案について、王弟殿下の提案は合理的ですな」
最初に口を開いたのは、侯爵バルディア。
長年中立を貫いてきた老獪な人物だ。
「兵站の強化、冬季備蓄の義務化、徴税の一部軍事転用……いずれも現実的です」
“現実的”。
その言葉が、石の床に落ちる。
王子は微笑みを崩さなかった。
「しかし徴税強化は民の負担になります。いまは収穫も安定し始めたところです」
穏やかな声。
責める響きはない。
「民の信頼なくして、国は成り立ちません」
それは正しい。
正論だ。
だが。
「信頼は、敗戦で消える」
王弟の低い声が、静かに割り込んだ。
視線が集まる。
「国境の雪は、王都の空気とは違う。備えは“過剰”であって初めて足りる」
彼は感情を荒げない。
ただ事実を述べる。
「我らは今、戦の無い時代に慣れすぎている」
その言葉に、何人かの貴族が頷いた。
それは恐怖からではない。
“記憶”からだ。
北方戦争。
三千の凍死。
彼らもまた、報告書の数字を覚えている。
王子は一瞬だけ沈黙し、それから穏やかに返す。
「戦を前提に国を運営すれば、いずれ戦を呼びます」
「備えがあればこそ、戦は避けられる」
視線と視線が交差する。
思想の違いは明確だった。
王子は“信頼”を礎に国を築こうとする。
王弟は“抑止”を礎に据える。
どちらも、国を守ろうとしている。
だからこそ、評議会は迷う。
「王子殿下は……理想家すぎるのでは」
ぽつりと、誰かが漏らした。
それは攻撃ではない。
不安だった。
「民に寄り添うのは尊い。しかし、いざという時に決断が遅れるのでは……」
その言葉に、数人が視線を伏せる。
“愛される王”と“恐れられる王”。
いま、この国が必要としているのはどちらなのか。
空気は、王弟へと流れ始めていた。
その様子を、壁際から静かに見ている人物がいる。
レディアナ。
冷静で知られる彼女の指先が、わずかに白くなっていた。
(流れが……変わっている)
王弟は感情を武器にしない。
だが過去と現実を並べることで、確実に支持を集めている。
“売国”の疑惑は消えた。
外交は戦略だった。
そして今、軍備強化という分かりやすい安心を提示している。
民衆は理想を愛する。
だが貴族は、損失を恐れる。
(このままでは……)
評議会終了後、レディアナは王子の後を追った。
廊下は静かだ。
「殿下」
王子は足を止め、振り返る。
その瞳は、曇っていなかった。
「流れが、傾いています」
レディアナの声は低い。
「中立派が王弟殿下へ。理由は明白です。“安心”を求めているのです」
「うん」
王子はあっさりと頷いた。
「わかっている」
その穏やかさが、レディアナをさらに焦らせる。
「わかっている、では足りません。殿下は理想を語る。しかし彼は、具体的な数字と恐怖を語る」
沈黙。
窓の外では、旗が風に揺れている。
「……私は、間違っているかな」
不意に王子が呟いた。
その問いに、レディアナは即答できなかった。
間違ってはいない。
だが、足りないのかもしれない。
「殿下は理想家です」
彼女ははっきり言った。
「それは弱さではありません。しかし、理想だけでは評議会は動きません」
王子は静かに空を見上げる。
「理想を捨てれば、私は私でなくなる」
その声は揺らがない。
レディアナは目を閉じた。
(このままでは負ける)
政治は戦だ。
そして今、王弟は一歩先を行っている。
評議会は揺らいでいる。
中立は、もはや中立ではない。
石の廊下に、レディアナの靴音が強く響く。
暗闘は続いている。
だが今回は、刃ではない。
――思想が、国を二つに割り始めていた。




