第8話:裏切り者
評議会の石造りの廊下は、朝の光を受けてなお冷たかった。
レディアナは一通の書簡を手に、静かに会議室へ入る。長机の両脇に座る評議会の面々は、その沈黙だけでただならぬ空気を悟った。
「証拠は揃いました」
淡々とした声だった。
机の中央に置かれた封書。王都印ではない、地方領主の紋章。しかもそれは、王弟アルトリウスの直轄領のものだった。
リリアナが封を切る。中から現れたのは、暗号化された往復書簡の写しと、密約文書。
――評議会内より情勢報告を受領。首都軍再編案の詳細把握済み。
――物資統制の抜け穴は西倉庫。
そして最後の一文。
――時機が至れば、門は内より開く。
室内の空気が凍りついた。
「……誰だ」
王子の声は、低く掠れていた。
レディアナは視線をゆっくりと一人の老貴族へ向ける。
財務監督官、バルディン伯。
長年王家に仕え、温厚で知られる男だった。だが今、その額には玉の汗が浮かんでいる。
「誤解です……これは、交渉の余地を残すための……」
「交渉?」リリアナが静かに笑う。「王城の門を開ける約束が?」
伯は言葉を失った。
沈黙が落ちる。
王子の胸が強く上下していた。彼の視線は、書簡と老貴族の顔の間を何度も往復する。
裏切り。
その言葉が、ようやく現実味を持って迫ってきた。
リリアナは王子の横顔を見つめる。
以前なら――彼は誰かに決断を委ねただろう。
レディアナが言うか、リリアナが促すか。
だが今回は違う。
「陛下」
レディアナはあえて何も提案しない。
ただ、事実を提示するのみ。
「密約は王権への反逆に該当します。処断は、王命にて」
室内の視線が一斉に王子へ集まる。
重い沈黙。
バルディン伯は椅子から崩れ落ちるように跪いた。
「お慈悲を……私は王家の安定を思って……」
王子の指が、ゆっくりと机を握る。
震えは、わずかだった。
「安定……か」
彼は小さく呟く。
「あなたは、王を信用しなかった」
その言葉は、静かだがはっきりしていた。
「不安だから、別の保険をかけた。……それは理解できる」
一瞬、希望の色が伯の顔に浮かぶ。
だが次の言葉が、それを砕いた。
「だが、王を裏から売ることで守れる安定はない」
王子は立ち上がる。
玉座の背後の紋章が、彼の影を大きく伸ばす。
「バルディン伯を罷免。財産を凍結。身柄を拘束し、正式裁判に付す」
室内がどよめいた。
若王が、自ら告げた。
迷いはなかった。
伯は崩れ落ち、衛兵に連れ出される。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
静寂。
リリアナは横目で王子を見る。
「……怖かった?」
からかいではない。純粋な問い。
王子は正直に頷いた。
「今も怖い」
「でも?」
「でも、逃げなかった」
その言葉に、レディアナはわずかに目を細める。
「王は、孤独なものです」
「うん」
王子は椅子に座り直す。
「でも、孤独でも、決めるのは僕だ」
リリアナが微笑む。
「それでこそ」
しかし、事態はこれで終わらない。
内通者は一人だったのか。
王弟派はどこまで内部を把握しているのか。
信頼という基盤に、ひびが入ったのは確かだった。
レディアナが淡々と告げる。
「評議会再編を提案します。情報管理を全面的に改めます」
王子は頷く。
「やろう。もう、甘く見ない」
王城の外では、物価高騰への不満がくすぶり続けている。
内には裏切り。
外には圧力。
それでも。
王子は初めて、自分の意思で“切り捨てる”決断をした。
それは優しさの終わりではない。
王になるための、はじめの痛みだった。




