第4話 王の署名
玉座の間は、重苦しい沈黙に包まれていた。
城門前には王弟派の騎士団。
整然と並ぶ六百の兵。
剣は抜かれていない。
だがその存在そのものが、刃だ。
王子カイルの前には、一枚の勅令。
王権緊急防衛令。
署名欄は、空白のまま。
「殿下……」
重臣の誰かが口を開きかけ、閉じた。
誰も責任を負いたくない。
決めるのは王だ。
リリアナが一歩、前へ出る。
「時間がない」
その声は低い。
責める響きではない。
だが逃がさない声音。
「拒めば“傀儡”と断じられる。受ければ圧力に屈する形」
王子の喉が鳴る。
「僕は……叔父上と争いたくない」
「争いを選んでるのは向こう」
即答。
「殿下が何もしなければ、それは“同意”になる」
鋭い言葉が、胸に刺さる。
王子の指先が震える。
また、あの夜の感覚。
逃げるか、戦うか。
問いは何度も突きつけられる。
リリアナは玉座の階段を上り、王子の真正面に立った。
「殿下」
視線を逸らさせない。
「逃げるか、戦うか、どっちだ」
静かだが、絶対に曖昧にしない声。
玉座の間に張り詰めた空気。
レディアナが続ける。
「これは攻撃ではありません。王都と民を守るための措置です」
彼女は書類を指で押さえた。
「この国の軍は、王の軍です」
王子の胸が上下する。
怖い。
間違えば血が流れる。
だが。
決めなければ、奪われる。
ゆっくりと、王子はペンを取った。
震えはある。
だが、止まらない。
誰かに促される前に。
自分の意思で。
インクが紙を滑る。
署名。
はっきりとした筆跡。
その瞬間、玉座の間の空気が変わった。
レディアナがすぐに動く。
「書記官、発令手続き。首都軍総司令に通達を」
「は、はい!」
鐘が鳴らされる。
王命発動。
城門前。
王弟派の騎士団が整列する中、別の旗が掲げられた。
王家本紋章。
首都軍が動く。
城壁上に弓兵が配置され、門前広場に歩兵が展開。
隊長が高らかに宣言する。
「王命により、首都は防衛体制へ移行! 無断接近を禁ずる!」
ざわめきが走る。
王弟側近の顔が強張る。
予想はしていた。
だが――
若王が、ここまで踏み込むとは。
玉座の間。
報告が届く。
「首都軍、配置完了」
王子は目を閉じ、深く息を吐いた。
「……怖い」
本音。
リリアナは頷く。
「知ってる」
否定しない。
だが続ける。
「でも今、殿下は“選んだ”」
王子はゆっくり目を開ける。
そこにあるのは、迷いだけではない。
決断の痕跡。
レディアナが静かに告げる。
「本日をもって、王権は明確に示されました」
圧力に屈しなかった。
それだけで意味がある。
城外では、まだ騎士団が睨み合っている。
火種は消えていない。
だが。
初めて。
若王は、自らの名で国を動かした。
それは小さな一歩。
しかし確かな、王の署名だった。




