王子の宣言未遂
壇上。
ざわめきが、すうっと細くなる。
ライルヒルトが一歩、前へ出る。
赤絨毯の中央。
完璧な位置。
光が彼の肩に落ちる。
背筋は伸びている。
視線もぶれていない。
これまで幾度も練習した構図。
この瞬間のために整えられた呼吸。
本来の台詞は、決まっている。
「ユーフォミア・アーデルハイト。貴様の罪をここに――」
彼は、息を吸う。
静寂が、広間を包む。
貴族たちは身を乗り出す。
水晶の向こうで、デルガが数値を見つめる。
威厳指数、上昇待機。
緊張誘発値、臨界手前。
そして。
「ユーフォミア・――」
吸い込んだ空気が、わずかに喉に引っかかる。
ほんの少し。
本当に、ほんの少し。
「……っ」
小さく、むせる。
咳になるほどでもない。
だが、完全ではない。
完璧な宣告のはずだった一行が、
わずかに途切れる。
決定的に。
広間が、止まる。
一瞬の沈黙。
その空白を、誰よりも早く埋めたのはリリエルだった。
反射のように、背後から一歩寄る。
「大丈夫?」
手が、そっと背に触れる。
儚くあるべきヒロインの動作ではない。
ただの心配。
ただの人間。
ユーフォミアも即座に動く。
手元の水差しを取り、自然な所作で差し出す。
「落ち着いてからで結構ですわ」
声音に棘はない。
嘲笑もない。
挑発もない。
ただ、給水係の落ち着き。
ライルヒルトは水を受け取り、軽く頷く。
「……すまない」
そのやり取りが、あまりにも自然で。
あまりにも穏やかで。
観客席から、困惑の声が漏れる。
「……?」
「今、断罪……ですよね?」
「なぜ、介抱……?」
緊張が立ち上がらない。
憎悪が集まらない。
悪役が断罪される瞬間の、あの高揚が生まれない。
三角形は崩れている。
王子は冷酷に言い放たない。
ヒロインは涙を浮かべない。
悪役令嬢は高笑いしない。
代わりに。
背をさすり、
水を差し出し、
礼を言う。
壇上の空気が、ゆるむ。
断罪の空気が、崩壊する。
水晶の向こうで、数値が揺れる。
緊張誘発値、急落。
敵意収束率、散逸。
だが壇上の三人は、それを知らない。
ライルヒルトは息を整え、
二人をちらりと見る。
その目には、冷酷も義務もない。
ただ、共有した時間の記憶がある。
そして広間は、
断罪の瞬間を待ったまま、
行き場を失っていた。




