デルガの違和感
デルガは、塔の上階にある観測室でひとり立っていた。
壁一面に並ぶ記録板。
水晶板に浮かぶ数値。
魔力の流れを示す細い光の線。
彼は静かに、指先で表示を切り替える。
威厳指数。
――微減。
儚さ係数。
――上昇停止、鈍化。
緊張誘発値。
――低下。
沈黙。
デルガの眉が、わずかに動く。
「……誤差か?」
低い声が、観測室に落ちる。
数値はまだ正常範囲内だ。
破綻はない。
暴落もない。
物語は進行している。
断罪まで、残り二ヶ月と数日。
進行率は八十七%。
理論上、問題なし。
だが。
進行速度が、ほんのわずかに落ちている。
断罪イベント前兆――
・社交界の緊張増幅
・王子の専心傾向
・ヒロインへの嫉妬集中
・悪役令嬢への孤立加速
そのどれもが、弱い。
鋭くならない。
刺さらない。
まるで刃先に、布を巻いたようだ。
デルガは別の水晶に触れる。
王子の行動履歴。
侍女との会話時間、増加。
庭師との接触、増加。
専心度、低下。
次。
ユーフォミア。
社交界での敵対反応、減少。
緩衝行動、増加。
“甘味共有”という謎の項目が点滅している。
デルガの目が細くなる。
「甘味……?」
さらに。
リリエル。
嫉妬指数、減少。
親和性、上昇。
“守護対象”から“共同行動対象”へ。
デルガは腕を組む。
物語の骨格は崩れていない。
三角形はまだ存在する。
だが。
頂点が鈍っている。
辺が、たわんでいる。
完璧な緊張曲線が、なだらかに沈んでいる。
「理論値では、あと三週間で対立が加速するはずだ」
しかし。
加速しない。
むしろ。
緩やかに、均されている。
デルガの指が、机を叩く。
一度。
二度。
「偶発的な感情揺らぎか……?」
そう結論づけるには、妙に連動している。
王子だけではない。
ヒロインだけでもない。
悪役令嬢だけでもない。
三人同時に、微妙に、均等に。
誤差。
だが、同方向の誤差。
それは偶然ではない可能性を示す。
デルガの背後で、水晶が小さく明滅する。
断罪イベント予兆ランプ。
通常なら赤く強く点灯するはずが、
今日は、淡い。
「……監視を強化するか」
そう呟きながらも、
決定的な異常はない。
物語はまだ正常軌道内。
だから彼は、確信を持てない。
誤差だ、と。
――その頃。
裏庭。
ユーフォミアは、焼き菓子を半分に割る。
手触りが、少しだけ柔らかい。
隣ではライルヒルトが穏やかに話し、
リリエルが笑っている。
空気は、丸い。
張り詰めていない。
誰も、尖っていない。
ユーフォミアは視線を伏せる。
そして、内心で確信する。
(効いている)
劇的ではない。
だが確実。
断罪の歯車に、薄く油を差すのではなく。
ほんの少し、粘度を足している。
回転が鈍る。
進行が遅れる。
完璧だった物語が、
じわじわと、人間の体温を帯び始めている。
ユーフォミアは微笑む。
湿った、静かな笑い。
数値には出ない。
けれど。
物語は、確かに重くなっていた。




