自覚(重)
笑いの余韻が、ゆっくりと冷えていく。
裏厨房は再び静まり返り、
三人の呼吸だけが小さく残る。
空になった皿の上に、パン屑がわずかに光る。
誰も、すぐには動かない。
さきほどまでの軽さが、すこしずつ沈んでいく。
わかっている。
これは逃げだ。
夜の陰に隠れて、冷えたパンを分け合って、
物語の外側に立ったふりをしているだけ。
痩せるのをやめれば。
きっと、収束は緩む。
王子は誰か一人に傾かず、
悪役令嬢は角を丸め、
ヒロインは「守られそう」ではなく「かわいい」に戻る。
物語は、曖昧になる。
だがそれは同時に、
努力を否定すること。
重力に抗った日々も、
空腹を耐えた夜も、
削ってきた時間も。
成長を、なかったことにすること。
そして。
“選ばれない可能性”を、あらかじめ受け入れること。
ユーフォミアが、静かに言う。
「太っていた私は、自由でしたわ」
声に誇りはない。
ただ、事実を置くように。
甘いものを分けて、
棘を丸めて、
誰の物語にも回収されない位置にいた自分。
あれは、確かに自由だった。
ライルヒルトが、低く言う。
「今の俺は、正しい」
王子として。
努力して、整えて、
守るべき者を選び、
責任を引き受ける位置に立つ。
それは、正しい。
正しさには、重みがある。
リリエルが、両手を重ねたまま呟く。
「どっちが、本当なんでしょう」
太っていた自分は、安心だった。
今の自分は、眩しいと言われる。
どちらも自分のはずなのに。
どちらかを選ぶと、
どちらかが嘘になる気がする。
答えは出ない。
出るはずもない。
物語に近づくほど、輪郭は鮮明になる。
けれど鮮明になるほど、余白は消える。
三人は立ち上がる。
皿は空。
粉を払う仕草が、やけに静かだ。
扉を開けると、夜の廊下が広がっている。
冷たい。
整っている。
それぞれ、別の方向へ歩き出す。
振り返らない。
だが目元が、少しだけ熱い。
笑ったからか。
それとも。
涙は落ちない。
ただ、わずかに赤い。
夜は何も言わない。
けれど確かに。
彼らは知っている。
自由と正しさは、同じ形をしていない。




