先生たちも放課後は【2000文字】
「あれ、人吉先生まだ残ってらっしゃったんですか?」
「そういう雨井先生だって」
「あはは、生徒指導していたらいい時間になってしまって」
校舎の中で職員室だけ明かりが点っていた。
「コーヒー飲みますけど、いります?」
「ああ、じゃあ頂きます」
「もう僕らしかいないし、敬語よくないですか」
「…疲れた」
「一言目、それ?」
人吉先生は椅子の背もたれにどっかり体を預けた。
顔が天井を超して後ろにいっている、声が掠れた。
よほどお疲れらしい。
「はいどうぞ、コーヒー砂糖入り」
「…採点が終わらん」
「どうせ明日必要な資料も終わってないでしょ」
「それを言うな、現実を見ないようにしてるんだから…」
「僕、手伝わないよ?」
「無慈悲…」
自分の席に着いて、パソコンのメモに先ほどの生徒のことを書いておく。
保護者に連絡は、…どうしようかな。
「そういう、そっちは?」
「ん?」
「なんの生徒指導だよ」
「ああ。部活で後輩にレギュラーを取られたって。くさくさしてるみたいでちょっとね」
「ままならないねえ」
気が抜けているのか、他の先生方がいる時にはしない音を立てながらコーヒーを飲んでいる。
「んで、なんて言ってきたんだ?」
「なんで訊くの」
「今後の参考に」
人吉先生のコーヒーを啜る音がする。
僕のコーヒーも湯気が立っている。
「とりあえず物に当たらない」
「それはそうしてくれ。こないだトイレのドア壊れて直したばっかだ」
「壁に落書きしない」
「落とす仕事、増えてねえか…?」
「あと、花壇を荒らさない」
「やんちゃかよ…。あああ、俺らの仕事が増えてる〜〜〜」
「花壇は明日本人にやらすよ」
人吉先生の断末魔の叫びに、苦笑する。
僕もコーヒーに手をつけた。
「まあ、後輩に当たらなかっただけ偉かったと思うよ」
「へえー、それはいいじゃん」
「うん。後輩のことは可愛がっているみたい。だからこそ、どこにぶつけていいのかわからなかったんじゃないかな」
人吉先生が、うんと頷いている。
「大人でもいじけたり、八つ当たりするんだ。対象が物でよかったな、よくねえけど」
「そう、だから難しかったよね。なんて声掛けがよかったんだろうね」
「お前はなんて言ったの」
人吉先生の目が、少しだけ鋭くなる。
「…『人のせいにしなかったのは、誰にもできることじゃないから頑張ったね』って」
「うん」
「『どうしようもない時には、僕が話を聞くから嫌じゃなかったら次からおいで』って」
「うん」
「…どう思う?よかったと思う?」
「わからん」
「ええ、なんだよそれ」
僕は脱力して、がっくり肩を落とした。
意見かアドバイスくらいくださいよ。
「あの年頃は何言われてもウザいだろうし、何言われてもすぐには響かんだろうし」
「それはそうだけどぉ」
それを言ったらおしまいだ。
それでも、手探りで指導していく。
本当は『指導』なんて、そんなことできるほど僕らだって大人でもないのに。
「いいんじゃねえの。『だからレギュラー落ちたのか』って言わなかっただけ」
「ぜっっったいやめてね、そんなこと言うの」
「んあー、『物に当たらないといけないほど、お前は落ちぶれてないだろ』とかかねえ」
「人吉先生っぽいね」
「俺レギュラー落ちしたことないから、わかんねえ〜」
「…絶対言わないでね」
ポリポリ頭を掻く人吉先生をじろりと睨んでおく。
冷め始めたコーヒーを飲む。
「んで、物はなんか壊れたわけ?」
「それは大丈夫」
「何に当たってたんだよ」
「壁を殴ってた」
「やんちゃだな」
壁に落書きして、花壇を荒らしても、悔しさは収まらなかったようで。
部活で使う大事な手なのに、自分で自分を痛めつけていた。
だから保健室に一緒に行って、手当てをして、それから話をした。
本当にあの対応でよかったのかと、きっと家に帰ってからも思うんだろう。
明日、あの子は学校に来れるかな…。
「じゃあ、行くか」
「どこへ?」
「落書き、消してないんだろ?」
立ち上がった人吉先生を見上げて、思わず笑ってしまう。
「それは付き合ってくれるんだ」
「俺は無慈悲じゃないからな」
「はいはい。僕も手伝いますよ、資料づくり」
引き出しの中を探っている人吉先生のところへ行く。
「消毒液か、除光液でいけるか?」
「どうだろ。ガッツリ油性ペンだったんだよねえ」
「それも本人に消させろ、ったく」
「この時間はもう帰すしかなかったんだよ」
「下校時間、憎いな」
人吉先生の言い方に、また笑ってしまう。
子どもと大人を分ける境界線は、下校時間で帰るかどうかかもしれない。
僕らはもう暗くなった廊下に連れ立って出ていく。
誰もいないはずなのに、僕ら以外の足音が響いた。
僕らは目を合わせて、その音の方に向かった。
「あっ!お前らこんな時間に何してんだ!」
「げっ、先生まだいるじゃん」
「うわ、人吉先生だ!終わった!」
「いや、雨井先生なら見逃してくれるかも!」
「んなわけねーだろ、大人しく捕まれ!」
「この時間に学校侵入とは、全く君たちねえ…」
僕らの仕事は、こうして増えるのだ。
了
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