発酵惑星
しいな ここみ様主催
『梅雨のじめじめ企画』参加作品です。
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その惑星で文明を築いている知的生命体たちは、緩やかに滅亡へとむかっていた。
蒸し暑い工場の休憩所に掛けられている映像デバイスからは、彼らの指導者が叫ぶ切実な訴えが毎日のように放送されている。
「皆さん、今からでも遅くはありません。電力の使用やゴミの排出は極力控え、気温ならびに湿度の上昇をここで食い止めましょう。AIが大規模シミュレーションによって我々の滅亡を予見したことは、もはや隠すことのできない事実であります。ですが、我々はこれまでもずっと、この星と共に生きてきました。決してこの星を消費し、食いつぶすために生まれてきたわけでは――」
「こうやって地上波で毎日放送すんのも、電力の無駄使いだと思わんのかねぇ」
「AIが滅亡するって言ってもさ、200年以上も先の事だろ? 俺らには関係ねえよ」
顔を赤くして叫ぶ指導者をあざ笑うかのように、休憩室に集まっている従業員たちは冷房の効いた空間で雑感を言い合っていた。
「おいお前ら、休憩の時間は過ぎとるぞ。C班の奴らと交代だ」
初老の従業員が、休憩室の入り口から顔だけを出して、彼らに涼しい時間が終わったことを告げた。
「ちぇ、またあの蒸し暑くてジメジメした場所に逆戻りか」
「酒のニオイもきついしな、あそこじゃビールよりもただの水の方がなんぼか美味く感じるぜ」
ぶつくさ言いながらも、彼らは素早く作業着に着替えてそれぞれの持ち場へと向かっていく。
「ああ、そうだった。ちょっとそこの君」
「えっ、私ですか?」
初老の従業員は、灰色の瞳をした一人の従業員を呼び止めた。
「たしか君は、今月入った新人くんだったな。それも、遠い国からわざわざこの工場へ出稼ぎに来てくれたっていう」
「はい、そうです。よろしくお願いします」
「ちょうどいい機会だ。作業の前に、君に見せておきたいものがある。ついてきてくれ」
言われるがままに、新人従業員はあとをついていった。
初老の従業員が連れてきたのは、工場から少し離れたところにある資料館だった。ここは従業員でない者にも開放されている施設である。
「中途採用の君はまだ見たことがなかっただろう。これが、この醸造所で使われている麹さ」
机に座る新人従業員の前に差し出されたのは、透明な瓶に詰められた、クリーム色の粉末だった。瓶の側面に貼られているシールには、学名と思われる長い単語が並んでいる。
「麹……ですか。この菌を使って材料を発酵させて、お酒を作っているんですよね」
「その通り。君の国ではどんな発酵食品を作っているかはわからんが、原理はどこも一緒のはずさ。特にこの麹は、この醸造所で何百年も使われ続けてきた、オリジナルと言えるものなのだよ」
「へええ、何百年も」
興味深そうに麹を見つめる新人を見て、ベテランの彼は気を良くしたのか、持論を語り始めた。
「この麹を作っているのはいわゆる黴の一種なんだが、こいつらだって立派な生き物なんだ。決して俺たちのために生きているわけじゃない。自分自身のためにやっている繁殖などの行為を、俺たちが利用しているにすぎないんだよ。でも、そのおかげで俺たちはおいしいお酒や漬物をいただくことができるし、こうして仕事までもらえている。まったくこの小さな黴たちには感謝してもしきれないね」
そう言いながら目の前で手を合わせ、感謝の意を示した。
新人の彼は穏やかに微笑んでいたが、どこか苦々しいような感情が、灰色の瞳からにじみ出ているように見えた。
それから、200年ほどが経過した。
惑星の知的生命体たちはなんとか滅亡を食い止めようと努力していたものの、それも空しく、とうとう地上から姿を消してしまった。
星の環境は一変し、温度と湿度はなおも上昇を続け、生き残っている生命体もごくわずか。それも高温多湿を好む菌類が大部分をしめるという、ひどい有様である。
そんな穢れた大地を、二本足で歩く奇妙な生物がいた。それも一体ではなく、複数だ。
ぴったりと体に張り付く防護服のようなものを身に着けており、中身が見えるのは目の周辺のみ。一見すると、かつて惑星に存在していた知的生命体たちに似ている。しかしその手に持つ機械は透明で薄く、この惑星のどこを掘り返しても出てこないような、高度な技術によって作られていた。
『うむ。温度、湿度、大気中の成分比率に微生物の分布、どれもクライアントの要求を満たしている。素晴らしい出来だ』
『ありがとうございます』
会話をしている二体の生物は、手元の機械から映写された立体映像を見つめていた。映像には複雑な計算式や、多層に分かれたグラフがびっしりと並んでいる。
『この星ならば、パハタム星団と恒星ミョニス系からの移民たちを大量に受け入れることができるだろう』
『ええ、もう少し経過すれば、最適温度で気温上昇は止まります。湿度は地域によって安定性に課題がありますが、天候制御装置を導入すれば容易にコントロール可能です』
『相変わらず抜け目がないな。君が管理責任者としてこの星に駐在してくれなければ、これほどの完成度にはならなかっただろう』
『そんなことはありません。移民用に惑星の環境を変えてくれたのは、あくまで我々が定住させた生命体たちですよ』
『ん? ああ、そうだな。手始めにこの星の原住民を排除して、環境を変化させるために製造した下級生命体たちを地上にばらまいたのが、ええと、いつ頃だったか』
『4000年前……失礼、4ケイヤー前のことですね』
『ははは、下級生命体たちの使っていた単位が身に染みているようだな。4ケイヤーは我々にとっても決して短くない時間だ。やつらとともに過ごしているうちに、愛着でもわいたかね』
『……まあ、そんなところです。カモフラージュのため、変装して彼らと一緒に仕事をしていた時期が、何度もありましてね』
そう言って少し目を逸らした生物の瞳は、くすんだ灰色をしていた。
『とにかく、長期間にわたっての駐在勤務、本当にご苦労だった。今日はこのへんで宇宙船に戻り、祝杯でもあげようではないか』
二足歩行の生物たちは、少し離れたところに停めてある巨大宇宙船へとむかって、ぞろぞろと歩き始めた。
そんな中、かの灰色の瞳を持つ個体は、誰も見ていないところでゆっくり立ち止まった。
そして菌類に覆われた大地を見つめて、おごそかに手を合わせるのだった。
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