「シュー・シャイン」踏み潰さる
〈近付きつある夏捕捉できぬ春 涙次〉
【ⅰ】
カンテラの使ひ魔、ごきぶりの「シュー・シャイン」。かつてより一層、その存在感は増した。
と云ふのも、例の「思念上」のトンネルが塞がれた今、魔界と人間界を自在に行き來出來る「シュー・シャイン」であるから、その齎す情報たるや、貴重品なのである。
特に、ルシフェル、傍観者null共に居なくなつた魔界は、一種の戦國時代狀態にあり、次代のリーダーたらん【魔】が、その狼煙を上げる事、數件では追ひつかない程だ。その事をヴィヴィッドに報告してくれる「シュー・シャイン」。まさに使ひ魔の鏡、だつた。
たゞ、カンテラには彼に関して、一つ疑問に思はれる事があつた。その靈力の髙さに関はらず、ごきぶりと云ふ人に忌み嫌はれるなりをしてゐるのは、何故か。「シュー・シャイン」本人(?)に尋ねても、「この姿が一番お役に立てるから」としか答へない。
彼は二重スパイだつた過去を深く反省し、よくカンテラに仕へる律義者。カンテラとしては(例へごきぶりであつても)大事にしたい、スタッフの一員なのであつた。
【ⅱ】
珍しく仲本尭佳が、カンテラ事務所の「相談室」に顔を出した。「相談」の内容、と云ふのは... 警視庁の長官が代變はりし、新たに安房崎某が就任した。彼には妙齢の娘、評判の美人らしいが、がゐる。そこで、警視庁内でも、出世レースに加はつてゐるものは、その娘御に取り入り、將來的にはあはよくば結婚- そんな目論見が庁内を渦巻いてゐる、と云ふ。
安房崎某はそんな者らの動きを不快に思つてをり、仲本の依頼、と云ふのは、そんな「出世の【魔】」に憑り付かれた連中を、斬る- 事であつた。
カンテラは勿論、そんな頼みは、幾ら仲本(彼自身が出世慾に憑り付かれてゐる!)の頼みであつても、跳ね付けるつもりでゐた。仲本には、カンテラ一味との馴れ合ひの氣持ちもあつたやうだ。だが... カンテラは、懲らしめの意味もあつて、仲本の依頼に、半ばゝ「乘つた」。-彼には秘策があつたのである。「いゝよ、但し前金250萬(圓)。念書くれ」-と、
「あ、ごきぶり!」おやまあ、仲本が急ぎ踏み潰したごきぶりは、誰あらう、「シュー・シャイン」だつた... これにはカンテラも口あんぐり。
【ⅲ】
しかし、冥府に墜ちつゝ、「シュー・シャイン」の考へてゐた事は、カンテラへの「御奉公」の事。彼は、新たにごきぶりに憑依し、直ぐに人間界に戻して貰へるやう、冥府の主、ハデスに直訴した。
ハデスはなかなか首を縦には振らなかつた。が、忠義の余りの出過ぎた望みである事には、一定の理解を示した。さて、「シュー・シャイン」、カンテラの許に帰る事は叶ふのか- それは次回以降にお話しする。
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〈冥府には蟲一匹だに漏らさじと決まりがあつて皆留まれり 平手みき〉
【ⅳ】
カンテラは呼び鈴を鳴らした。じろさんがずかずかと「相談室」に入つて來る。カンテラと、何やら目配せ- 仲本「?」と、じろさん「仲本くん濟まぬが」と、仲本を羽交ひ絞めにした。「な、何を」焦る仲本。さては出世の件は、バレバレか... 仲本、かうなつては瞑目するばかりである。
カンテラの長刀が、宙を斬る。咲野里加子に揮つたのと同じ、「秘術・雜想刈り」である。仲本は、やうやく惡い夢から醒めた。「あれ? 何で俺こゝにゐるんだ???」だが、前金の件は、念書に記されてゐる通り。カンテラは、多少揉めても、そのカネは奪ひ取るつもりでゐたから、「あんた、俺の大切な使ひ魔を踏んづけたんだよ。その慰謝料だ」...
【ⅴ】
仲本、しぶしぶカンテラの要求に應へざるを得ない。さて、心配なのは「シュー・シャイン」の身の上だなあ。カンテラは彼の能力を慮つて、そんな心配は無用と、考へる事にした。
仲本氏の邪念も祓はれ、事は並べて、順調なやうに見えた。後はハデスの心積もり一つ。
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〈春の蟲虻蜂だけかごきぶりは 涙次〉
カンテラの「シュー・シャイン」に寄せる心。汚穢を身に纏つて、かつ、清廉な仕事ぶりの彼に寄せる氣持ちをよそに、後は全て、次回に譲る事とする。ぢやね。