愚か者なりに
昔、王だったことがある。
忠言に耳を貸さず、享楽に溺れた。
結果、国が滅びかけた。
神はいないと俺が笑ったとき、声を聴いた。
これから1000年、弱きものとして生きよ、と。
俺はそれ以来、輪廻を繰り返した。命あるものならばなんでも。虫や獣になり、草木にもなった。その間、意識はずっとあった。弱きものはまともに生きられない。群れからつまはじきにされ、つがいを得られず、命を繋ぐことができないまま果てていく。そのあいだに後悔は腐るほどした。神にもう終わりにしてくれと懇願し続けた。もちろん答えはない。
――これは俺が王だった頃に人々の願いを無視し続けた報いだ。
そうして900年以上のときが経ち、俺は人間として生を受けた。
まさかの王子として。
もちろん弱きものだから、人を惹きつける要素はなく生まれたはずだ。容姿にしても能力にしても。
(俺は王になってはならない男だ)
わかっていれば悩む必要はない。学問はどこで生きるにしても必要だから真面目に取り組んだが、弱きものだからか能力は低かった。それでも繰り返し学べばなんとか覚えられた。教師からは早々に見切られていたが。
反対に教師達から一身に期待を寄せられているのが二歳年下の弟、ゼフィー。俺と同じ黒目黒髪だけれど地味な俺と違い、切れ長の目に鼻筋は通り美丈夫だ。そして一言でいえば強き者。何をさせても完璧にこなしてしまう。しかも謙虚で俺をたてる。たてなくていいのに。
「ゼフィー、お前が国を背負うのだぞ」
ことあるごとに俺は弟に自分の意思を伝えた。自分は王の器でなく王になりたくないと。それなのにゼフィーはいつも「またそのようなことを。パンガーノ兄上のようなかたが王になるべきです」と言って受け流された。
とはいえ、病弱で能力も平凡な俺を、父である王は世継ぎとしていいか迷っているようだった。
時が経ち俺は18歳、弟が16歳になった。
今日は王家主催の茶会という名の、お見合いパーティーの日。俺が病気を理由に婚約者選びを延ばし延ばしにしていた結果、とにかく顔合わせをしようと催されることになったようだ。
(ここは天国か?)
俺は今、招待された良家の令嬢達からちやほやされデレデレと鼻の下を伸ばしている。なんせ900年以上、誰からも相手にされなかったのだ。
(いい香りだ。それに柔らかそうな肉体)
思いきり息を吸い、香りを堪能する。
そうしているうちに享楽に溺れていたずっと昔を思い出す。
「殿下、お疲れでしょう? あちらの部屋で少し休みませんか?」
昔を思い出していたから、それが現実だと気づいて驚いた。いつのまにか豊満な胸を腕に押しつけた女が上目遣いで俺を誘っている。
「……いいね。わたしも休みたいと思っていた」
彼女の申し出を快諾すると、まわりにいた令嬢は嫌悪感を露わにした視線を俺たちに向け、その場から離れていった。
(そうだ、それでいい)
ゼフィーがいる方向を見れば、ゼフィー本人が見えないほど令嬢に取り囲まれている。
(皆、わかってるのだな。弟が王位を継ぐだろうことを)
「キャサリンだったか。俺でよかったのか?」
据え膳をいただいたあとで今さらだけれど一応確認。
「わたくしはパンガーノ様が王にふさわしいと思っておりますし、わたくしに出来ることならばなんでもいたしますわ。どんな汚れ仕事でも」
(あー……ゼフィーを殺っちまいましょうと言いたいのだな)
キャサリンの膝枕で髪を撫でられながら、甘い声で囁かれれば、思わず頷いてしまいそうになる。
もうすぐ1000年。
弱きものとして生き、ずっと寂しい最期だった。
今世も弱いが強いものに勝つ方法はある。また王として生きる道を想像すると少し胸が熱くなった。
「パンガーノさま?」
すぐに返事をしなかったからか、キャサリンが名を呼んだ。
「ああ、考えごとをしていた。君の言いたいことはわかる。少しその気にもなった。だがすまない。玉座にふさわしいのはゼフィーだ」
キャサリンは明らかに不服そうな表情を見せた。俺が王だった頃、こういった状況は何度もあった。おねだりを叶えるたびに心ある者が死んでいたのだと今ならわかる。
「キャサリン、頭がおかしいと思うだろうが聞いてもらいたい話がある」
俺は1000年前から今までの話を聞かせた。キャサリンは信じられないという表情を浮かべながらも、最後まできいてくれた。
「――強い者に良い世界をつくってもらいたい。だから俺はこのまま朽ちるだけだ。手にしているものは僅かだけれど、俺と共に生きてもらえるなら嬉しい」
俺の言葉を受け、キャサリンはゆっくりと息を吐いた。
「その話、私のような者によく言えますね。王妃になるためなら手段を選ばない女なのに」
「うん、だから話した。心あるものに付き合わせるのも悪いし」
キャサリンを性悪だと言っているようなものだが、キャサリンは肩をすくめ笑みを浮かべた。
「あーあ、私は最後に王の隣に立ちたかったんだけど」
突然の砕けた口調とその言葉を聞いて俺は驚く。最後に、とはどういう意味か。
「信じられないだろうけど、私も1000年前にあそこにいたの。多分、貴方の妾かなにかだったと思う。人を陥れて贅を尽くして、神に同じ罰を与えられたの。みじめだったわ。だから今回は王妃になりたかった。私ならできると思っていたの。でも貴方に純潔を捧げてしまったからもう無理ね」
彼女は選択を間違えたとばかりに首を横に振った。
「諦めて俺にしておくといい。おとなしくしていれば離宮くらい与えてもらえる」
「……最後の命だから華々しく終わらせたかったのだけれど、罪人として終わるよりはマシかしらね。わかったわ、貴方の求婚を受けいれるわ」
こうして俺はキャサリンと婚約した。
そして驚くことに翌年、俺は王太子となった。
俺が王になれば国が滅びるから取り下げてほしいと何度も父に直談判したが無理だった。さらにゼフィーが周囲に俺を激押ししていた。
「パンガーノ兄様のおかげで、僕は道を踏み外さなかった。傲慢になるな、どんな声も聞き逃すなと僕を正してくれたことをどんなに感謝したことか」
こんなふうに。
皆が俺を見直し、いつのまにか王にふさわしいと言われるまでになった。まあ、ゼフィーがそれだけ信頼されている証なのだろうが。
その後、俺は王に。
キャサリンは念願の王妃になったがなんだか複雑そうだ。もっと悪い王妃になりたかったと言う。弱き者の味方と国民から愛されるようになり、居心地が悪いとも。
それから何年も経ち、国は平和で後継もうまれ、なんだかんだと夫婦仲も良好だ。
「ずっと貴方はそばにいたのかもしれないわね。1000年が過ぎたらもう会えないのかしら」
ある日、花や虫だった頃の話題で盛り上がったあと、キャサリンがポツリとつぶやいた。
「今までは愚かで自分しか見えていなかったけれど、今世では変わった。このさき何があってもおかしくないのだから会えると信じよう」
そう言って抱き寄せれば、彼女は穏やかに微笑んだ。
年をとり、昔を思い出すことが増えた。
約1000年前に奪った多くの命は生まれ変わっているのだろうか。
苦しみや痛みを魂に刻んでしまい、今も苦しんでいるのなら、俺にできることはないだろうか。
神は沈黙したままだ。
これで終わりなのか、まだ罰は続くのか、考えても答えの出ないことを悩むことが増えた。同時に今世は愛する者がいることに感謝する日々でもある。
今世も弱かったけれど長く生きられた。愚かなりにも小さな声に耳を傾け続けてきたから、神がここまで生かしたのかもしれない。
「あとは君に看取ってもらえればいい。でも最後に裏切るとかないよね?」
思わず不安が口をついてでた。弱きものだから仕方ない。
「では今すぐ毒をお持ちしましょうか? あの日ゼフィーさまに使わなかった毒がまだあるはずですが」
同じ弱きもののはずなのに、キャサリンははじめから強者だ。どれだけおのれを奮い立たせて生きてきたのかと、彼女の生き様を思いまた愛しく感じる。
「それもいいな」と笑いながら、涙が溢れた。
そして最期の日。彼女は俺の願い通り、膝枕してくれた。不安を取り除くようにたわいもない話をしている。ゆるやかに意識が遠のいていくのを感じたそのとき、キャサリンに名を呼ばれた。
「もう苦しまなくていいのよ。安心して眠りなさい」
キャサリンが俺の髪を撫でながらかけてくれた言葉は、キャサリンの声だけれど違うようにも感じた。あの日聴いた神の声に似ている気がしたが、きっと願望でしかないだろう。
(うん……おやす…み……)
読んでいただきありがとうございました。