48 接触
メガネさんと、猫を肩に乗せたあたしは、カフェから出て次の商業施設へと移ることにした。
すれ違う通行人が、すれ違いざまあたしの肩のあたりを眺めている。猫を手で抱きかかえるべきか迷いつつもそのまま歩き、大型商業施設の二階へたどり着いたところで、猫さんがあたしたちへ異常を警告した。
「月島、メガネ、とまれ! 誰かの結界と接触した。さりげなく下がれ」
普通に歩いている状態から、突然指示されたタイミングでさりげなくUターンする……ってのは案外難しい。
メガネ氏と喋りながら、道を間違えた風を装うことにした。
ドギマギしながら、できるだけ自然に見えるよう気をつけながら歩く。うまくできただろうか?
とりあえず、あたしの耳元で囁く猫さんの話によると、敵の結界内からの緊急退避には成功したようだ。
「さっきの結界、形状は恐らく球だ。その球の弧から推察した感じ、この通路の二〇メートルほど先が結界の中心だろう。人の多い街中で半径二〇メートル級のバカでかいやつを張ってやがる上、何らかの特殊効果が付されていた。挙動不審な奴がいないか、この場所から様子をうかがうぞ」
あたしたちは、そばにある店舗を覗くふりをしながらチラチラうかがう。
ここは大型商業施設の中。廊下は広いし長い。二〇メートル先なら、十分に目視可能な距離だ。
だが、行き交う人が多すぎて、よくわからない。
「猫。本当に察知したのか?」
「猫田さんと呼べ馬鹿小娘、先輩だぞ私は! 敬語も必須。今も間違いなくこの通路上にいるはずだ」
「でも、街中で結界を張る奴──しかもデカい結界を張る奴って、普通はいないんじゃないでしょうか」
「どうしてそう思う?」
「自分の位置を、宣伝しているようなものだからです」
まんま鈴木の受け売りなのは癪に触ったが、確かに筋が通っているので仕方がない。
「その通りだ。だから、街中を歩いていて、これほどの規模の結界に遭遇することはまず無い。仮にあったとしても、私たちみたいな戦士が奇襲を防ぐために必要に応じて半径三メートルほどの結界を張る程度。今みたいに半径二〇メートルもある結界を──しかもこんな人のいるところで張る奴は、普通はいない。だから、ただの馬鹿か、それとも──」
「何か目的があるか、ですね」
「そうなるな」
「ってか、普段そんな喋り方ですか?」
「そうだが?」
「猫かぶってるんだ。猫だけに。猫は二面性を持ってるんですね。勉強になりましたぁ」
「溶は猫語が好きなんだよ殺すぞアル中が」
「誰からそれを!」
絶対に、鈴木のおっさんがペラペラ喋ったに決まってる。余計な噂を広めやがってあのジジィ!
しかし、猫語が好きだという氷さんのために、ずっと特殊な喋り方を徹底するなんて。この人、きっちり氷さんに調教されている。
男に調教される女の気持ちなんて、さっぱり理解できんな。あたしは絶対に、男の言うなりになんてならんタイプだからな。うん。
「待て……追ってきた。ほぼ間違いなく、さっきの奴。恐らくあと一五メートルほどで敵結界の中心点だ」
猫さんは冗談話をやめ、そして声色を変える。
「どうします?」
「もう手遅れだな。敵意を消してトボけつつ、敵の姿を確認することに努めろ」
「退避しなくていいんですか?」
「すでに相手の結界内だし、もう向こうから視認されているさ。結界内のあらゆる音を感知できるような魔術ならこの会話も聞かれている。いずれにしても、この人混みであからさまに暴れ始める可能性は低いと思うぞ。
とはいえ、ゼロじゃない。お前は『常在戦場』という言葉を知っているか?」
あたしは、渋谷に着いた時から、トートバッグの中の魔剣を握りしめている。
「もちろん、元々そのつもりです」
「上等。だが敵意は消せ」
あたしは、壁を背にしてスマホでも見ている風を装っていた。
緊張感で汗が滲んで、フリック操作が若干しにくい。
こういうタイプの緊張感は、初任務以来ずっと付き纏っている。
これが、命の懸った任務というものなのだ。
不自然にも猫を肩に乗せているという事実が、不要なドキドキ感を付け加えていた。
あたしは、どいつが結界の術者なのかと目をギラつかせていた。
すると、肩に乗っている猫さんが、ふうっと息を吐く。
「……通り過ぎていったな。しかし、結界の中心点には誰もいなかった。こっちも結界と目視を使って監視してたんだが。こりゃあ、敵は結界の中心点をズラしてるっぽいな」
「ってか猫さん、結界、まだ張ってたんですか? そんなことをしたら、あたしたちのこと、相手に気づかれちゃうじゃないですか」
「だからってゼロにはできねーよ、奇襲を回避できないだろ。こっちも中心点をズラしてるし、この人混みだ。敵に姿を覚えられたとは限らない」
「まあ……そりゃそうか。ところで、『中心点をズラす』って何ですか?」
「術者が結界の中心にいるとは限らないってことだ。結界の形状がオーソドックスな球状だからこそ、中心点に術者がいると錯覚させやすい」
「へー。そんなことができるんだ。人混みで自分たちの外観を知られたくないときに使える技術ってとこですか」
「使い道はそれだけじゃないけどな。これだけ人がいる今のシチュエーションなら、無造作に通り過ぎる大勢の人物のうち、誰が結界を張っているのかをわからなくすることができる。
それに、それとは別に、こういう場合、相手の魔術次第では追跡機能やら盗聴・透視機能のついた罠をすれ違いざまにマーキングされたりする可能性も割と高いんだ。が、今回はそれは無かったな。やっぱ、こっちの正体は敵にバレてないかもしれないな」
「なんでマーキングされてないってわかるんですか?」
「魔特専属クラスの魔術師で、敵の結界外にある魔術の罠に気づかない奴なんていないからな。よし、付かず離れずで追うぞ」
この話を聞いていて、あたしは一つ思い出した。
ヴァンパイア戦の時、ミノルはあたしに追跡魔術を使っていたんじゃないか?
GPS発信機はついぞ見つからなかったが、魔術だったとしたらあたしは見抜けない。
やっぱ、東京都全域を覆うクラスの結界ってのは、いくら何でも考え過ぎじゃないかと思うのだ。
「どうした?」
「あ。いえ何でも。つかぬことをお伺いしますが、今、あたしにその追跡魔術ってのは、マーキングされてませんかね?」
「何度も言わすな。今回はそれは無かったと言ってるだろ」
「そうですか……あの時だけだった、ってこともまだ可能性としてはブツブツ……」
考え事をしながら歩くあたしの肩の上で、訝しげにこっちをジロジロする猫さん。
あたしはコホンと一つ咳払いをし、話を本題に戻す。
「結界を張っていたからといって、本事案の被疑者だと決めつけるのは早計じゃないですか?」
「お前、さっき自分でやった分析を忘れたのか」
「ただの馬鹿を排除する要素はありましたか」
「結界の中心位置と自分の位置を意図的にズラすってのは、結構な訓練が要るんだが……そこまでして警戒しているのはもちろん人間の警察官でも防犯カメラでもない。『魔術師』だ。魔術師を警戒する理由は、魔術を使う警察部隊──すなわち『魔特』に追われるようなことをしているから。そう思わないか?」
「確かにね……理由もなく、そんなことしませんかね」
そういや、初めて対戦した悪魔族のザックウィル兄弟も、結界を変形させてビルの形にしていたし、奴らは結界の中心に居たわけじゃなかった。
結界を建物の中だけにするのは、可能な限り外から気づかれないよう最小限の範囲に留めつつ、アジトである建物内は全て自分たちのテリトリーにするため。
中心に居ないのは、恐らくできるだけ罠を掛けやすいポイントに敵を誘導するためだろう。間違いなく理由がありそうだ。
結構デカい廃ビルだったことを考慮すると、今にして思えば、あいつらかなりの使い手だったんだなぁ。
それに、兄弟のうち、どっちが張った結界かなんて考えもしなかった。特殊効果が無いのはあくまで片方の結界で、もう一人の結界は危険なものだった可能性もある。というか、一人の術者が特殊効果のあるものと無いものを使い分けてくるかもしれないし。
ジジィとタマキは、そんなところにも注意しながら戦っていたのだろうか?
猫さんは、話を続ける。
「あんなデカい結界を張って、自分の位置を大っぴらに不特定多数の他人へ知らせることは、かなりの命の危険を伴う。相応のリスクを覚悟しても張らなきゃならない理由があった、と見るのが妥当だろう」
「すなわち目的を持った奴……ですか」
「催眠魔術の発動条件は、基本的には『対象者と視線を合わせること』と、『対象者を術者の結界内へ入れておくこと』だ。
誰にも知られずに人攫いをしたいという意味では、結界を展開しなければならないところは大きなリスクだ。だが、催眠魔術が使えるなら、使わないよりも安全確実に攫えるだろう。だとしても、こんなに大きな結界にする必要性はわからないがな。
いずれにしても、これが被疑者だとしたなら、今日は犯行をやめてしまう可能性がある」
「猫さんの結界に気付いたからですか? なら、どうして結界同士が接触した後、あたしたちのほうへ近寄ってきたんですかね」
「どうしても私たちの顔を確認したかったんだと思うぞ。向こうにしてみれば、こちらが警察なのか、それとも別の目的でたまたま結界を張っていた奴なのかを判断する材料として重要だからな。次に人を攫う時にも同じ奴を見かけたら警察で確定。それ次第で狩り場の大幅変更も余儀なくされる。……だから猫田さんと呼べっつったろ馬鹿伊織」
「でも、敵は今も結界を張ってますかね」
「もう張っていないかもしれないな。だが目的地はわかっている。このメガネ君が努力に努力を重ねて調べ上げてくれたおかげでな。
それは小鬼駅だ。もし奴らが、今日、すでに催眠魔術を掛け終えていたとしたらまずい。一本先の電車に乗られるだけで余計な犠牲者が増える。急いで向かおう」
あたしは、猫を肩に乗せたまま、人の隙間を縫うように駅へ急いだ。




