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46 猫獣人・猫田姫丸の過去



 親から受け取ったものは、何もない。

 強いて言うなら名前か。私の名は「ネネ・アムーラ」という。

 

 私は、母と二人で暮らしていた。

 母が私に食べ物を与えてくれるのは、二日に一度。

 ひどい時は三日に一度だ。奴隷が十日に一度であることを考えると、それに比べれば間違いなく優遇されていると言える。だが、私は奴隷じゃない。これが我が子に対する仕打ちかと、私は絶望感に打ちひしがれていた。

 母からは、もっと食べたけりゃ自分で調達しろ、と言われていた。


 父親は誰だかわからないそうで、物心がついた時からいなかった。

 この母が、血の繋がっていない子など引き受けるわけがないから、母の子供であることだけは、きっと間違いないと思う。


 私は猫獣人だ。


 母が悪魔族であることを考慮すると、おそらく父が獣人族。

 つまり私は、悪魔族と猫獣人の混血なのだろう。


 ここは、悪魔族の王国「サングイス」だ。私たちが住んでいるのは、魔王が直轄する悪魔軍の第一陸戦師団が置かれる城下町。

 街は、レンガと石で造られていて常に薄暗い。建物の壁に取り付けられた街灯は魔力を源とした魔法灯であり、昼夜問わず様々な色に煌めいている。


 城下町には、スラム街もあれば、祭りのように賑わう繁華街もある。

 だが、スラム街が特別に危険だというわけではない。


 悪魔族の国の法律では、殺人は罪ではないからだ。

 よって、全ての国民は、等しく自らの命を自らで護る義務が生じる。


 子供であっても例外はない。だがそうなると、親がいない子供は身を護ることができず、必然的に命を落とすことになってしまう。

 悪魔の国でも、さすがにその点は憂慮したらしい。

 すなわち「児童保護施設」というものは存在した。


 身寄りのない子供は、一〇歳になるまでは児童保護施設で守られる。

 そして一〇歳になった日、強制的に施設から追い出されるのだ。

 自らの力で生き延びるしかなくなった子供たちは、最終的にそこで命の審判を受ける。


 この時、私はたったの五歳。

 弱肉強食が徹底される無情な悪魔の街で、到底生き延びられるレベルではなかった。この頃が一番辛かった。


 残飯を漁り、なんとか生きていた頃、幼女趣味の悪魔族の男に手篭めにされそうになり、抵抗したせいで殺されかけた。


 必死に走った。

 正面から戦えば死ぬしかない。懸命に足を動かし、泥水に足を取られて転んでもすぐさま立ち上がる。

 できるだけ大人が入れない大きさの逃走路を瞬間的に選んで駆けた。


 そうして逃げた先に、たまたま児童保護施設があった。

 私は、国家兵隊に保護された。


 親類がいると答えれば、家に強制送還される。強制送還されれば、またこの生活が続く。

 だから私は、身寄りがないと答えた。

 すると、兵隊はろくに調べもせず、私を施設へ入れた。


 母と離れ、施設での暮らしが始まる。

 毎日きちんとご飯が食べられることに私は感動した。

 しかも朝と夜。一日二食もある!

 ようやくまともな暮らしを得たのだ。何なら、一生ここで暮らしたい……。


 安心したのも束の間、施設の中では、いじめが横行していた。

 私をいじめていたのは、「アシュリー」という女と、その彼氏の「ギラン」だ。こいつらは、私では敵わないレベルの戦闘力を持っていた。

 それも当然だ。こいつらは九歳。もうすぐ出所する身だ。


 二人は、私をひたすら拷問した。

 肌を針でほじくる趣味に付き合わされたし、ナイフで極小の肉片を切り取られた。

 炎の魔術で背中を焼かれたし、風呂の時間が被るなんて最悪で、湯船に沈めて遊び道具にされた。


 こういう行為が行き過ぎて仮に私が死ぬことにでもなれば、こいつらは規則に従って罰せられる。「目には目を」だ。殺せば、殺される。

 だが、それはあくまで死なせてしまった場合の話であり、死んでない以上は、自らの力でこの不遇を切り抜けなければならないのもまた規則だった。

 児童保護施設とはいえ、ここは悪魔族の街なのだ。

 

 だからアシュリーとギランは、あたしが死なないギリギリの線を見極めて拷問する。

 あたしの呼吸が何秒もつか、呼吸が止まってから何秒までならいけるかまで奴らは計算している。どのくらい針を突き刺せば内臓を傷つけるかまで知っている。

 

 結局、この世は、どこへ行っても地獄しか待っていない。


 だが、ここにいれば、少なくとも食べ物だけは何もしなくても手に入るし、拷問に耐えさえすれば死ぬ確率はかなり低い。如何なるいじめっ子も、先生から死の鉄槌を受けたくはないからだ。

 そして、戦闘術と魔術の先生もいる。


 実力をつけるまではひたすら耐え、体力と技と魔術、そして胆力を鍛え続けた。

 そのおかげで、一〇歳になった頃には、施設で敵はいなくなっていた。 


 児童保護施設を出所し、気まぐれに家へ戻ってみる。すると、母はまだ同じ場所に住んでいた。

 生活の様子も、何も変わっていなかった。私がまだ生きていたのを見て、少しくらいは表情を明るくするかと思ったが、それも淡い期待だ。

 現実は、往々にして嫌な想像があたる。


 子である私に、なんの関心も抱かない母。

 私は、どうしても質問したかったことを、母に尋ねる。

 

「どうして、私のことを産んだの」

 

「理由なんてない。できてしまったからだよ」


「私が生まれた時、どう思ったの」


「産まなきゃよかったと思ったさ」


 私の目を見ることもなく淡々と答える。

 母が口にした言葉は、想像していたものと寸分すら(たが)うことはなかった。

 では、どうして尋ねたのか。

 せめて生まれた時くらいは、嬉しかったと言って欲しかったのだろうか。


 それもあったかもしれないが、一番の理由は別にある。

 この頃には、私はある程度のコミュニケーション・リテラシーを獲得していたから、知能を持った生物というものは、必ずしも本心を話さないことも知っていた。

 

 この国で子供を作るということがどういうことか、この時の私は理解していたのだ。

 弱肉強食のこの国で、子供を作って良いのは圧倒的強者のみ。

 弱者は子供を護れない。強者のみが大勢の子供を作るのだ。

 

 妊娠期間中は、著しく身を護るための難度が上がる。それに、生まれてからも育てるのに金がかかる。子供など、肝心な時に自分の命を護るための盾くらいしか使い道がない。

 それすら、いたぶることが目当ての輩相手には通用しない。労に見合う身入りがないのだ。


 だから、子供たちはよく売り(さば)かれ、奴隷にされる。


 金持ちに買われてしまえば、大切にされることなどあり得ない。強者は、好きな異性と好きなように、血の繋がった子供を作れるのだから。

 すなわち、売られた子供の使い道は、ろくに飯も食べさせられずにこき使われ人並外れて短命のうちに人生を全うする奴隷か、虐待趣味者が命を遊び道具にすることなのだ。


 その事実を知った時、口に出した言葉と気持ちが本当に一致していたのかと初めて疑った。


 母の様子から愛情らしきものを感じたことは一度もないが、無情な悪魔が蔓延(はびこ)るこの街で、私を売らなかったことだけは事実だ。

 宝物のように大切にされたわけではないが、意に反して子を身ごもり、思うような生き方を諦めて子を育てる生活にイライラしつつも、最低限のところでは守ってくれたのだろうか。


 母は少し歳をとった。それでも、昔と変わらず美しい。

 悪魔族や獣人族は、肉体を構成している魔素の影響で、人間と違って肉体の衰えは緩やかだ。

 

 母は、昔は男に体を売っていたらしい。それは自分から私に話したことだ。

 だが、そんなにいろんな男がやってきたわけでもない。私から見た限り、どちらかというと「彼氏」というのが近いと思う。


 今にして思うと、ある程度の護身ができる強さを持ち合わせていた母であっても、自分の実力だけで身を護るのは難しいと考えたのかもしれない。だから、強い男に取り入ろうとしたのだと思う。

 ただ、自分一人だけでなく、私のことも護らなければならなかったからかどうかまでは、確証が持てないのだが。


 そういえば、母が連れてきた男の一人が虐待癖を持っていて、炎の魔術で私を炙ろうとしたことがあった。

 母は、油断している男の手首を迷うことなく切り落とした。その時は、「家で暴れる奴なんて、いらんからな」とか言っていたな……。

 

 私は、「今も男に体を売って暮らしているのか」と母へ尋ねてみた。

 もしそうなら、いや、どうせそうだろうから、今なら自分が護ってやることも可能だと考えたからだ。


 だが、答えは想像と違った。母は、もう体を売ることはやめているそうだ。

 どうしてかと質問したら「そんな気を失くしたからだ」と回答された。


「でもまあ、またやってもいいかもなと思っていたところだ」


 私が家にいる時だけ男に体を売ろうとするのか。

 別に、母のことを美化しようとしているわけではない。

 あくまで可能性の問題だ。だから考えすぎも良くないと思った。


 施設の中とストリートは、シビアさがまるで違う。

 最初の頃こそ、変装魔術「猫変化(ねこへんげ)」で猫に化けて逃げることもあったが、一五歳になった頃には、路上でも敵はいなくなった。猫変化も、殺したい相手に探りを入れるためにだけ使うようになっていた。


 素早さを強化する身体強化魔術「天稟の神速(グリゴロス)」を使い、目にも留まらぬ移動速度から強靭な爪で敵を切り刻むのが私の必勝パターンだ。

 単純だが、凌ぐのは容易ではない。

 いかなる敵も「速さ」には手を焼く。唯一、事前に罠を張るような相手だけが相性が悪い。


 今なら、母を護ることもできるだろう。

 しばらくはそうしようと私は決めた。


 ある日、母が買い物から戻ってくると、腕にひどい傷を負っていた。

 流れ出る血が止まっていない。動脈損傷をともなう深い傷を負っている。


 直ちに圧迫止血をしながら家に常備してある回復薬(ポーション)を使い、どうしたのかと尋ねる。

 母は「通り魔にやられた」と答えた。しかも、いつも持っている紫色のバッグを奪われたようだ。


 私は逆上した。

 どこで襲われたのかを母から聞き出し、無言で家を飛び出そうとする。

 母は、そんな私を止めようとした。


「どうして止めるんだ? 今の私は、あんたが思うほど弱くない」


「そうだとしても、いざこざを起こすな」


 理解できない助言だ。

 この国の唯一絶対のルールなんだ。弱い奴がのうのうと暮らせる場所ではないと、骨の髄まで思い知らせてやる必要がある!


 路上を走るうち、紫のバッグを持っている二人組を見つける。

 デザイン的に間違いない。母のだ。

 私は、後ろからそいつらに叫んだ。


「待てコラ! それを返せ」

 

「あ? ……お! お前、ネネじゃねえか」


「ほんとだ! 弱虫ネネじゃん! ……あは。何を、返せってぇ?」


 母のバッグを奪ったのは、小さい頃に施設であたしを虐めていた、ギランとアシュリーだった。


「はは。クソ弱えーくせにイキがんな。……そうだ、良いこと思いついたぜ! 死にたくなけりゃ──」


 無詠唱で施した身体強化魔術が、一〇メートルは離れていた二人の元へと瞬間的に私を運ぶ。

 鉄くらいなら軽く両断する私の爪は、かろうじて間に合ったアシュリーの防御魔術ごと、大した抵抗感もなく叩っ斬った。


 すでに二人は動かなくなっていたが、いくつに切ったのかを数えるのも嫌になるくらいに、念入りに細かく解体してやった。

 ただの肉片と化した二人へ、あたしは唾を吐き捨てる。


 突然路上で発生したこの悲劇を無関心に見つめる、悪魔族の通行人ども。この国では、それが当たり前だ。

 母のバッグを取り返した私は、雑踏の中へと消えた。

 

 


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