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42 夫婦の覚悟



 妻は眠ったようだ。

 彼女の横顔をしばらく眺めてから、部屋の明かりを消す。

 僕は、音を立てないように、そっとドアを閉めた。 


 お腹の子が病気だと医者に言われてから、妻……ティアは精神が不安定になった。

 無理からぬことだ。ようやく授かった子なのだから。


 僕らは、祝言(しゅうげん)をあげてこれから二人で一緒にがんばろう、という時にこの人間界に二人して転移してしまった。あの時は、どうしようもない絶望感で随分落ち込んだものだ。


 だけど、二人がバラバラになることは避けられたし、この世界には、異世界人を迎え入れるための準備が整っていた。

 住む場所や仕事は、それほど苦労することなく手に入れることができた。生活様式はまるで変わってしまったが、それでも、家族を守るための最低限の環境は整えることができた。だから、これを不幸中の幸いと考えて、僕らはこの人間界で一生懸命生きていくことにした。


 僕たち夫婦は、ハーフゴブリンだ。

 ゴブリンと人間のハーフであり、外見的特徴は、個体によってさまざまである。


 妻は、肌も髪もが緑色。

 ゴブリンにとって緑の肌というのは、人間でいうところの日焼けみたいなものだ。

 魔力を伴った色素が緑色なだけ。肌は触るとすべすべしているし、髪などは、まるで宝石のような輝きすら放っている。


 耳はエルフのようにツンととんがっていて、瞳は緑翠(りょくすい)だ。

 緑づくしであるこれらの特徴は、我が一族では「大森林から生まれた神聖なる生物であることを裏付けている」と考えており、僕たちは誇りに思っている。


 妻の外見的特徴は、それ以外に人間と差のある所はない。

 僕のような内気で暗い性格の男には勿体無いと思うほどに性格は明るく、美しくて、まるで太陽のようだと思う。


 髪を長くしている僕の外見的特徴も妻と似ているが、ただ一つだけ、肌は人間に近いような、白っぽい色をしている。

 日に焼けた妻の肌とは完全に対極。これが僕の内向的な性格を反映していると言って良いだろう。


 外見的特徴の違いはこのくらい。

 次は内部構造だけど、それも「体を構成する細胞自体が魔素を秘めている」ということ以外は、ほとんど人間と変わらなかったりする。


 ただ、「細胞自体に魔力がある」というのが、医学的に見た場合には大きな影響があるらしい。

 だから、例えば異世界人を対象とした手術などでは、人間たちの手術における麻酔科医みたいなイメージで、「回復術師」と呼ばれる魔術師が、手術室に同席することになっている。


 いずれにしても、こんな感じで、人間界でも異世界人についての解剖学知識は割と一般的になっている。だから、異世界人専門の医者も存在していて、医療も充実しているので、僕たちは比較的安心して暮らすことができていた。


 人間界へ転移してきてすぐの頃は、生活を安定させることを優先するため、僕たちは、子供をつくることを避けた。

 この人間界には避妊という技術があって、子供を望まない時期には、性行為で愛を深めながらも意図的に妊娠を回避することができる。

 だけど、適切に避妊ができる環境だったからこそ、大事なことに気が付かなかった。


 生活が安定し、二年が経過した頃、僕たちは子供を望んだ。その時は、ただ避妊をしなければ自然にできるものと考えていた。


 何かがおかしいと思い始めたのは、それから一年が経過した頃だったか。

 避妊をしなくても、妻は妊娠しなかった。

 僕たちは、医者を尋ねることにした。


 医者の診療を受け、不妊治療を開始して四年が経過した頃、妻は妊娠した。

 二人にのしかかっていた暗雲が全て吹き飛んだかのような気持ちだった。

 これでようやく我が子が生まれる。

 二人で抱き合い、泣き合った。


 妊娠がわかってから六ヶ月が経過した頃。僕が仕事を終えて帰宅し、玄関ドアを開けると、室内の電気は消えていた。

 出掛けているのだろうかと思い、リビングの照明スイッチを入れて、息を呑む。

 妻は、一つの灯りもない部屋で、テーブルにある椅子に座って、塞ぎ込んでいたのだ。


 今日は定期検診のはずだった。何か良くないことがあったのだろうか。

 心臓を握られるかのような圧迫感に耐えて、僕は妻に、どうしたのかと恐る恐る尋ねた。


 すると、「お腹の子は特殊な病気であり、このまま放置すれば、ひと月も保たずに母子ともに死ぬだろう」と医者から告げられたと言う。

 妻から聞くところによると、その医者はこう言ったようだ。


「私では手に負えないが、一人だけ、異世界人に関する知識では右出る者はいないくらいの人物を知っている。その人なら、何か良い方法を知っているかもしれない」


 妻はその人を紹介してもらい、すぐに尋ねた。


 灰色のフードに包まれた、黒くて長い髪の女。

 まるでビーズが散りばめられたような多色の光を放つ瞳は全体として紫色をしていて、瞳の中には黒い魔法陣が描かれていたらしい。


 その女性の体は、妻が今まで感じたことのない特殊な魔力を帯びていて、「きっとこの人なら何とかしてくれる」と直感したそうだ。

 その人から告げられた内容は、次のようなものだ。

 

「人間とは異なり、肉体に魔力を秘めたゴブリンであることが幸いした。お腹の子とあなた、二人ともを救う手立てが一つだけある。

 百日間、一日も休まずに、一日あたり概ね大人一人分程度の分量の人間を食べ続けなさい」


 人間のことが大好きで、僕と違って友達も多い妻のことだ。この話を聞いて、どのような心境だったかは想像に難くない。

 テーブルは、涙でびしゃびしゃだった。

     

 どうして、こんなことになったのか。


 大森林の守護神であり、世界でたった四人しかいない最強大魔導士の称号「トップ・ウィザード」を冠する妖精王レヴィ・アスカロン様がおられながら、どうしてこのような悲劇が起こるのか。

 やはり、アスカロン様のご加護を受ける聖なる大森林を離れてこのような世界へ転移してしまったことが、災いを招いたのかもしれない。


 どうするべきか。

 なんの罪もない大勢の他人の命と、僕ら家族の命。

 天秤にかけたものは、どちらも重い。


 僕は、妻の手を握りしめた。

 そして選んだ道は、家族を守ることだった。





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