34 カイとミキ④
飲み屋を出て、大好きなシンヤと手を繋ぎながら、今からどうしようかとミキは思いを巡らせる。
するとシンヤは、ミキを家まで送ると申し出てくれた。だが、今日はカイが家にいる日だ。
紹介するにはまだ早い──というか、怖い。どう言われるのだろう。
シンヤは人間だから、カイには反対されるかもしれない。
でも、正直に打ち明ければ、もしかすると許してくれるかも。
血を吸わなければ、許してくれるかも……。
葛藤しながらも、シンヤのほうから拒絶してくれないかな、と願った。
そうすれば、何も起こらない。何も問題はない。
だが、絡ませた指から伝わる温かさと滲んだ汗が、シンヤの気持ちを伝えてくる。
シンヤの気持ちが、ミキの理性を力づくで剥ぎ取っていく。
吸いたい。
吸いたい。
吸いたい。
吸いたい。
吸いたい。
そのことで頭がいっぱいになり、脳を痺れさせるような感覚が、理性を朦朧とさせた。
制御困難なほどに暴れる吸欲を必死で抑えながら、ダメだ、ダメだと自分に言い聞かせて路地を歩く。
確か、この先はホテル街だ。
意思に反して、期待は膨らむ。
こんなことダメなのに、このままじゃ結ばれてしまいそうだ。
こんな状態で事に及んだら、吸欲を抑えきれそうもない。
絶対に、ホテルには入らない……!
ホテルの前で、シンヤはミキの様子をうかがってきた。
ミキは、それに気がついてしまった。自然と二人は目が合う。
ミキの意思は、またもや本能に無視された。ミキの手は、勝手にシンヤの手を強く握り返す。
半分意識が飛んだような状態で気が付いた時には、ミキは、ホテルの中でシンヤと抱き合っていた。
こんなに幸せな気持ちになったのは初めてだった。
彼のためなら死ねる。そう思った。
津波のように押し寄せる衝動と快楽。
それは、カイがミキに言いつけたたった一つの約束を、ミキに破らせた。
シンヤの首筋に、ミキは自分の牙を突き立てる。
仲間を増やす吸血魔術「友愛」は、血を吸う行為によって発動する。
対象者の血を吸い上げ、血を人質にする。それによって相手の人格を上書きするのだ。
好きな人にこんなことをするのは罪悪感が出た。
だからミキは、本来の友愛とは逆に、自分の命の全てをシンヤへ移すつもりで想いを込めた。
こんなことをした自分のことを、シンヤは軽蔑するだろうか。
欲望に負けて、血を吸ってしまった。
嫌われても、仕方がない。
でも、シンヤのことを失いたくない。
シンヤの逞しい首筋から牙を抜いたミキは、恐る恐る彼の顔をうかがう。
「嘘だよね?」
こう言ったシンヤの顔は、絶望に打ちひしがれていた。
自ら望んでヴァンパイアと結ばれる人間などいない。
わかっていたことだが、それでも好きな人にこんな顔をされるのはつらい。
ミキは、肩を落とした。
だが、条件を満たした吸血魔術の効力が、ほどなくして彼の自我を塗り替える。
ミキの僕となったシンヤは、警視庁の刑事であることをミキに告白した。
まさか、囮捜査のために自分に近づいたのだろうか。
世界が崩れ落ちたのかと思うほどに視界が暗くなる。
でも、今のシンヤは、何もかもを正直に話す。真実を知ることは簡単だ。
「シンヤ。何かの捜査のために、私に近づいたの?」
「そうじゃないよ。俺は、君のことが心の底から好きだ」
彼の一言で、目に見える景色の色さえ全面的に塗り変わってしまうほどに、ミキはシンヤにのぼせていた。
絶対に嘘ではない彼の回答に、身体の芯から熱くなる。
こうなっては、カイに話すしかなかった。
打ち明けるのは怖かったが、ミキはすぐに、カイにこのことを話すことにした。
ミキの話を聞いたカイは、ミキに謝った。
てっきり怒られるものと思っていたミキは、まさに鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をする。
どういうことなの、と問うミキに、カイはこう答えた。
「絶対にミキを守り抜かねばならない。それが俺の使命であることに変わりはない。
だが、愛する人をヴァンパイアにして、自分のそばにおいて幸せに過ごすのが、ヴァンパイアの本来の人生だ。
お前の本来の幸せを捻じ曲げてしまった。
どうして俺たちばかりが我慢しなければならないのか。これ以上、自分の人生を抑え込む必要はない。彼をここに置いて、大事にしてやれミキ」
なんとなくだが、カイの言葉は自らの経験に基づいている気がした。
だから、ミキはこう尋ねる。
「お兄ちゃんも、誰かを好きになったことがある?」
影のある微笑みを漏らして、カイは呟くように言った。
「……負けん気が強くて、俺のことを殺す気で抵抗した。俺はそんな彼女の表情を見て、もっともっと好きになった。俺はどうしてもそんな彼女をものにしたくて、フィリアを施したくなった」
「それで、どうなったの」
「フィリアは成功したよ。でも、まるで命を燃やすかのように、最後まで諦めずに俺に抵抗した彼女の表情は、二度と見れなくなってしまった。あとで彼女に尋ねたら、どうしてもフィアンセの元へ帰りたかったんだそうだ」
「……そう」
「俺たちは、これ以外の愛し方ができない。お前は間違っていない。人間たちと形は違うが、自分の気持ちに素直に生きろ、ミキ」
十分に、人間界のルールを守ってきたと思っている。
それでも、体の底から湧き上がる本能を、抑え続けることなどできはしない。
シンヤは警視庁の刑事だ。
刑事が失踪したとなれば、この件への捜査は本腰を入れられるだろう。
警察は、自分たちの仲間を殺した異世界人を、絶対に許さない。法的な犯罪の証拠などあろうがなかろうが、問答無用で討伐しにくるはずだ。
そしてそれを実行するのは間違いなく、異世界人を制圧する本丸──対魔術特殊部隊の奴らだ。
これからのことを家で考えていると、家のインターホンが鳴らされた。
まさか、さすがにこんなに早く警察の奴らが来るわけはない。
だが、カイは、念のためベランダからいつでも逃げられるようにミキへ指示しておいて、ドアスコープから外を確認する。
灰色のパーカーを着て、フードを被った女性だ。
黒くて長い髪。瞳は紫色に光っていた。
ドア一枚を隔てて外にいるのは間違いなく異世界人であり、それも、とんでもない力を秘めた人物だ。
こいつの正体が警察であろうがなかろうが、恐らくここで逃げたとて、逃げ果せることなどあり得ないだろうと思わせられた。
だからカイは、大人しくドアを開ける。
「初めまして。カイとミキだね。君たちのことを助けに来た。中で話をしていいか?」
紫色の瞳の中に、黒い魔法陣が描かれたこの女のことを、疑うことはしなかった。
感じたことのない特殊な彼女の魔力は、カイを信じてみる気にさせた。
紫眼の女は、アジトとして利用できる大聖堂・セントポリアをカイとミキへ紹介する。
二人を職員として雇わせ、身を隠す手助けをした。
手練れ揃いの対魔術特殊部隊を迎撃するには、吸血魔術の威力を高める必要がある、と女は助言した。
カイとミキは、その助言に従うことにした。大量の人間の血を吸って迎撃体制を整えるため、人間界にやってきてからずっと守ってきた「人間を殺さない」という誓いを二人は破棄する。
大量の人間を攫い終えるまでの間、市村シンヤは人間として振る舞わせ、一時的に元の職場へ戻すことにした。
だが、いつまでも騙し通すことはできないだろう。だから、頃合いを見て大聖堂の位置についてヒントを与え、まんまとやってきた馬鹿どもを万全の体制で始末するのだ。
予期せず吸血魔術の罠にハマってしまえば、いくら対魔術特殊部隊といえど対応は困難。
そのはずだった。
どこで狂ったのか──……。
────…………
体が、砂のように崩れていく。それは、桁違いの力を誇るこの水色の髪をしたトップ・ウィザードのせいではない。
核が壊された。核が形作っていた命が、霧散していく。
この大聖堂がアジトに決まった時、カイは「縁起が良い」と喜んだ。
「セントポリア」の花言葉は、「小さな愛」。
ミキを守りたかっただけなのだ。
それは、ヴァンパイアとなってからの数百年、絶えることなく持ち続けた願いだ。
もはや生まれる前から持っていたのではないかと思える強烈な願いは、間違いなく自分の存在価値そのものだと理解してきた。
遠い昔に失ったはずの記憶が脳裏によぎる。
それは、人間だった頃のこと。
どうか、ミキだけは、愛する人と幸せに。
カイは、そう願いながら意識を閉じた。




