第8話 サイバッタ、非情の策を献じたる件
セイナッドの猿との出会い、前主を討たれた顛末をサイバッタはニオブに語り終えた。
「猿には槍も弓も効かぬと申すか……?」
「無駄でございます。闇を槍で突いてもせんなきこと」
語り終えたサイバッタは静かに座していた。
主家を失ったサイバッタを拾ってくれたのが目の前にいるニオブであった。
ニオブは才ある人材を見出すことに長けていた。サイバッタの用兵術を高く評価していたのだ。
サイバッタはニオブの恩に深く感謝していた。今度こそセイナッド城を落とし、ニオブの恩に報いたいと心を燃やしていたのだった。
「お前が揃えた乱破衆ではまだ足らんと申すか。では、どうしろと?」
「わしにゾーカー衆をお預けください」
「何、ゾーカーの者たちを?」
ゾーカー衆とは傭兵集団である。ニオブが頼りとする鉄砲と火薬を使いこなす異能の集団であった。
使う銃は原始的な火縄銃であったが、彼ら以上にこの武器を知り尽くした者はいない。
命中精度、速射性、戦術的運用法、そのすべてにおいて他を寄せつけない技術を誇っていた。
「ゾーカー衆は指図を嫌うと承知しているが……」
技能集団である彼らは技術・知識を持たぬ武将の下で働くことを嫌った。いかに優れた技術を持とうと、運用を間違えれば宝の持ち腐れになる。下手をすれば、使いつぶされて死ぬことにもなりかねないのだ。
「ゾーカーの頭領マーゴとひざ詰めで話しました」
「あ奴とか?」
マーゴは、反骨精神を絵に描いたような男であった。とにかく偉ぶった奴が嫌いであり、人から命令されることを嫌悪していた。
ニオブとの間柄でさえ、金ずくの傭兵契約と割り切っていた。この仕事をいくらで受けるという請負仕事の注文主と請負人。その関係はあくまで対等だというのが、マーゴの考え方であった。
他領を打ち破って勢力を拡大してきたニオブは、マーゴと上手くやれないだろうというのが周囲の見方であった。他人の下風に立たないというのがニオブの生き方であったからだ。
だが、彼らはニオブの評価を間違えていた。ニオブは何にもまして「合理主義者」であった。
彼は技術を、特に新しい技術を尊重した。
自らが戦いの本質を変えると目した銃と火薬。それを誰よりも使いこなす集団が、ゾーカー衆である。
ゾーカーの反骨精神、独立主義などニオブにとっては些事に過ぎなかった。
ヨーダ家の覇業を妨げることがあれば、叩き潰せばよいだけのこと。
金さえ払えばゾーカーは動く。ならば金を握らせておけばよい。
ニオブはきわめて合理的にそう考えた。
マーゴはマーゴでニオブの内心を見切っていた。自分たちを虫けらのように見ていることも承知していた。それならそれで良い。
金さえもらえば文句はない。もらった分の働きはする。それが「対等」という言葉の意味だ。
両者の利害は一致していた。
◆◆◆
「隠形五遁ですと? にわかには信じられませんな」
マーゴはやれやれと言うように首を振った。
「わしとて信じていなかった。この目でそれを見るまではな」
サイバッタは疑いを予想していた。ゆえに馬鹿にされても腹を立てず、事実を淡々と話し続けた。
「戦に乱破はつきものじゃ。わしも多くの乱破を見て来た」
乱破とは敵地に潜入して情報を集め、破壊工作を行う忍びのことである。攻城戦において城内に乱破を送り込むのは、戦の常道であった。
「だが、セイナッドの猿は違う。いかなる乱破の類とも異なる人外の技を使うのだ」
遠当ての術では五歩の彼方から気合一つで人を打ち倒す。
天狗高跳びの術では大人十人の頭上を跳び越える。
狐火の術は変幻自在。あらぬところに火の手を上げる。
炎隠れは白昼のごとき明るさの白き炎を走らせる。
土遁山嵐は火薬も使わず岩石を飛ばす。
そして、霧隠れは……。
「神出鬼没。ひとたび霧を呼べば、猿の姿を見た者なし」
サイバッタはそれだけを言うと口を閉ざした。
「サイバッタ氏はそれを自らご覧になったと?」
マーゴは落ち着いて、そう尋ねた。ゆっくりと口を開いたサイバッタが頷く。
「嘘偽りなくこの目で見た」
「ならば備えが必要ですな。策を練ります。しばし時を頂戴したい」
「心得た。次の会合は?」
サイバッタの問いを受け、マーゴは目をつぶって沈思した。
「明後日の朝では?」
「よかろう」
二人は一旦別れた。
◆◆◆
サイバッタはマーゴに立てさせた策略について語った。
「所詮セイナッドは小勢。昼間、城外で戦えばこちらの勝ちは動きませぬ」
「それに応じて来ぬから厄介なのではないか」
わかり切ったことである。頭数で対抗できないセイナッド勢は固く城門を閉ざして城に籠る。
正面から戦うことなどないのだ。
「城の外へ誘き出します」
「どうやって?」
一切の表情を消して、サイバッタは主の問いに答えた。
「焼き払い申す」
「何?」
「セイナッドの里、一軒残らず灰燼に帰せしめます」
悪鬼のような所業であった。
里を焼かれては領地の経済が崩壊する。武家だけで生きていくことはできないのだ。
戦においてやってはいけない禁じ手であった。これを犯せば、土地を奪っても領民がなびかない。
一国を荒れ地に戻す決断をしなければできない戦術であった。
「セイナッド一国を捨てると言うか?」
「元々やせた小国。治めたとて利が薄うございます。必要なるは通行の便のみ」
セイナッド一国を「通り道」と見なしてしまえば、焼き尽くしても惜しくない。サイバッタは、いや、マーゴ・ゾーカーはそう唱えていた。
「我に魔王となれと申すのだな」
ニオブ・ヨーダは唇を結んで非情の決意を固めた。