第37話 霧隠れ、城を覆いし件
ヨウキが選んだ術は、火遁でも水遁でもなかった。
「猿飛の術」
セイナッドの猿と呼ばれるヨウキが、工夫の末、独自に編み出した術だった。
体内の気を極限まで練り上げ、全身を濃密な心気で包み込む。そうしておいて、土遁の術で自らを弾丸と化す。ヨウキ自らが「時の滴」となって相手の心気を貫く技。
全霊を籠めた必殺の攻撃であった。
術の要は身にまとう気の濃度だ。気を練る術者は練り上げた気の量にこだわりがちだが、ヨウキは違った。
真に必要なのは濃度であると、繰り返した試行錯誤の中で発見したのだ。
練り上げた稠密な気は、敵が放った術式を消し去り、引き起こされた自然現象さえはねのける強さを持つ。火遁の炎を拒絶し、水や氷を寄せつけない。
「時の滴」を保てる数秒の間、ヨウキはあらゆる攻撃を跳ね返す無敵の壁をまとうのだ。
轟!
天を焦がす勢いで燃え上がった炎がヨウキを飲み込んだ。ハンゾウは炎の右側へ素早く回り込む。
陽炎の術で身を隠す絶好の機会であったが、相手がヨウキでは気を動かすだけで場所を悟られる。
ハンゾウは気配を断ちながら、炎に向けて礫を続けて放った。
投げた礫は拾っておいた石だ。一撃でヨウキを倒すことはおぼつかないが、当たり所が悪ければ動きに支障が出る。
うまくすれば目に当たって、視力を奪うことができるかもしれない。
少しでもダメージを与えることができれば、次の応酬で有利になる。小さな有効打の積み重ねが、戦い全体の趨勢を決めるのだ。
ハンゾウは、この戦いはそういう「削り合い」だと思っていた。
礫を投じたことでハンゾウは自分の位置を知らせたことになる。再び隠れるために、ハンゾウは土行の気を練り始めた。
その瞬間、業火の術からヨウキの五体が飛び出した。
ハンゾウが投げた礫はヨウキの体を捉えていたが、錬気が苦も無くはねのけていた。顔の前で腕を交差させ、ヨウキはハンゾウに正面から突っ込んだ。
受けた礫がヨウキにハンゾウの居場所を知らせてくれた。手順を焦ったハンゾウの過ちだった。
いや、過ちとまでは言えない。「一手の遅れ」を犯したに過ぎなかった。
だが、ヨウキはその遅れを見逃さなかった。
突っ込みながら両手に握った小石を礫として投げつける。礫には瞬時に練った雷気が載っていた。小石はバチバチと火花を散らし、ハンゾウを襲った。
1石なら避けられても、2石をかわすことはできない。
ハンゾウは体勢を悪くするのを嫌って、腕で顔を覆いながら体の前面の気を厚くした。心気の鎧で礫を跳ね飛ばす。ヨウキが突っ込んで来るのはわかっている。それも心気の鎧で迎え撃とうとした。
ヨウキがまとうのがハンゾウと同じ心気の鎧であれば、2人の激突は五分に終わったことだろう。
だが、ヨウキは濃度を増して高速振動する独特の心気をまとっていた。2人の心気がぶつかり合った時、ハンゾウの気はヨウキの気によって押しのけられ、真っ向から断ち切られた。
それが「猿飛の術」が生み出す「時の滴」の効果であった。
ヨウキ自身が巨大な刃と化してハンゾウの肉体を斬り裂いた。苦鳴を上げる暇もなく、ハンゾウは命なき肉塊となって地に落ちた。
◆◆◆
セイナッド城にヨウキが帰り着いたのは2日後の夜であった。敵を倒して身軽になったヨウキは、ムササビの術や飯綱走りを駆使して、文字通り飛ぶような速度で帰路を急いだ。
寄せ手の頭領サイバッタとその腹心ハンゾウを追い落とした以上、城の備えが破られることはないと信じていたが、実際に自分の目で見るまでは安心できなかった。
開門を待たず、ヨウキは曲輪の塀を飛び越えて場内に着地した。
「帰ったぞ!」
近くの守備兵に大声で呼ばわる。
素早く見回せば、5日も前の戦いだったというのに、曲輪にはまだ焼き討ちのすすけた匂いが残っていた。
(この分なら火は早々に消し止めたようだ。大きな被害はないだろう)
兵舎の一角が黒焦げになっているのを除けば、火災被害の範囲は小さい。ヨウキは一安心した。
(父上は城の天守か……?)
目を転じて空を見上げれば、そこに天守はなかった。
「何っ? これは……!」
そこには空にそびえる真白き霧が、天守閣の建物をすっぽりと覆い隠していた。
「サイゾウか、これをやったのは? ふふ、ははは……。見事だ、霧隠れのサイゾウ!」
ヨウキは高く笑うと、右手を突き上げ、中天高く勝利を祝う鬼火を撃ち上げた。
「若ぁーっ!」
天まで届く霧を割って、案山子天狗と霧隠れが満面の笑みで飛び降りてきた。
◆◆◆
「そうか。サイバッタは討たれたか」
「御意。ゾーカー衆の鉄砲隊、ハンゾウ率いる忍び組を打ち破られ、『猿』に討たれた由」
「うぬう。大言を吐いた挙句、貴重な鉄砲隊を失うとは! たわけが!」
ニオブ・ヨーダは合理主義の塊だ。
サイバッタを失ったことより、最先端技術の鉄砲隊をなくしたことを嘆いた。
サイバッタは所詮野伏上がり。有能な将といっても、替えはいくらでもいるのだ。
「わかった。もうよい。下がれ!」
サイバッタ勢の敗退を知らせた軍師は、無言で一礼するとニオブの前から去った。
「糞がっ! おい! 誰かある!」
「はっ。こちらに」
「酒だ」
「は?」
「酒を持ってこい! 憂さ晴らしだ」
「はっ! ただいま!」
近侍の小姓は額を床に打ちつけるようにして、ニオブの前を辞した。すり足をできるだけ早く動かして、台所方に急ぐ。
「セイナッドめ……。どうしてくれよう……」
ニオブは宙に目を泳がせると、右手の爪を噛んだ。
爪を噛むのはニオブの悪癖だった。考えに悩む時、親指の爪をガジガジと噛みしめてしまう。
「あのような小城、囲んでしまえばひとたまりもないものを。『猿』の奇襲で将が討たれる。将がいなくては軍が維持できぬ――」
軍団でのせん滅をしようとすると軍団長を刈り取られてしまう。これでは戦にならなかった。
「将がいなければ討たれることもないか……。将のいらない軍とは? 小勢での侵入……。猿と同じことをこちらもするか――」
正面からの攻勢が困難ならば、搦め手から攻めれば良い。
ゲリラ戦はセイナッドだけのものではない。こちらも潜入隊による奇襲でマシュー・セイナッドを討ち取れば――。
「――やめておけ」
ニオブの背後から声がした。




