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第36話 猿、極意「時の滴」を得たる件

 仙道を極め、隠形五遁の法を我が物としたヨウキだったが、術の限界に悩んだことがあった。


(遁術は所詮身を隠し、敵から逃れるための術。しかし、守るだけでは戦いに勝てぬ)


 強敵を打ち倒す、最強の攻撃術をヨウキは心から欲した。大切なセイナッドの城と里人を守るために。


(霧隠れだ、おぼろ影だと言っても、所詮目くらましだ。相手の防御を正面から撃ち抜く、圧倒的な攻撃力が欲しい――)


 仙道はヨウキが始めたことではない。五遁の法には独自の工夫を盛り込んだが、そもそも「陰陽五行の法」は昔から存在するものだ。隠形法も世に各種存在する。

 自分に匹敵する五遁の術者が現れるのは時間の問題だとヨウキは考えた。


(俺は「俺」に勝たねばならない)


 自分の能力を敵として、これを破る術を編む。二十歳になったある日、ヨウキは意を決して山に籠った。


 ヨウキが誇る最大の防御は「心気の盾」であり「心気の鎧」だ。心気の守りは遁術の術理を拒絶する。それだけでなく、遁術で発生させた火炎や雷気、石礫などの物理現象を跳ねのける力があった。


(ならば我が秘術は心気の盾を撃ち抜くものでなければならぬ)


 山洞に籠り、結跏趺坐、瞑想三昧に入りながらヨウキは考え続けた。


(心気を抜くは更に強き心気のみ。目指すは金剛石(ダイアモンド)の如く硬き心気だ)


 日中、ヨウキは谷に下り、心気をまとわせた拳でひたすら岩を打った。一心に「硬き拳」を念じて岩を打つ。

 岩が砕ければさらに硬い岩を求めて歩き回った。


 同時により速く走り、高く跳ぶ。敵より速く動けることは「負けないこと」と同意義だった。


 夜は洞に籠り、ひたすら考え続ける。どうすればより速く動け、強い攻撃を放てるか? 心気の質を高めるべく瞑想を重ねた。


(駄目だ! どうしてもこの岩の硬さを超えることができん! ましてや金剛石など――)


 谷間で見つけた殊更硬い大岩を、ヨウキの拳は割ることができなかった。来る日も来る日も同じ大岩を殴り、蹴る日々が続いた。


(俺にはこれ以上の力は得られないのか? 俺の遁術はここまでか――)


 ヨウキの心は乱れ、瞑想に入るのに心を鎮める長い時間が必要になっていた。

 

 山籠もりが一カ月を超えたある夜、瞑想中のヨウキは朝露が洞窟の天井から岩に落ちる音を聞いた。


 ひた。


 爪の先ほどの滴が岩に落ちたのだろう。鼓膜を震わせたというよりも、研ぎ澄ましたヨウキの心気がそのわずかな振動を拾ったのだ。


 ひた。


 か弱い、頼りない水音だった。


(まるで俺の拳のようじゃないか。力の限り大岩を打っても傷さえつけられぬ)


 ひた。


(諦めの悪さも俺と同じだ。無駄だというのに。効かぬものは効かぬ)


 ひた。


「ええい、うるさい!」


 水音に心を乱されたヨウキは目を開き、いら立ちの声を上げた。


「わからぬか! 所詮は隆車に向かう蟷螂(とうろう)の斧。効かぬのだ!」


 自分へのいら立ちを水音にぶつけたヨウキは、水たまりを蹴散らそうと水音のありかに向かった。

 そこで見たものにヨウキは息を飲んで立ち尽くした。


「――岩に穴が」


 ひた。


 天井から落ちた一滴は、洞穴の床を指先の深さに穿っていた。勢いもなく、特別な成分もないただの水が、己よりもはるかに堅いはずの岩に穴を開けている。


 ひた。


「なぜだ。なぜこんなことができる? ただの水がなぜ岩を打ち抜けるのだ?」


 ヨウキはしゃがみ込み、床の穴に顔を近づけた。


 ひた――ひた――ひた。


 水音に何の変化もない。ただ小さな滴が後から後から落ちてくるだけだった。


 ひた――ひた――ひた――ひた――ひた――。


 いつしかヨウキは水音の間隔に呼吸を合わせていた。水音に溶け込み、滴そのものに意識を合せるように。


 ひた――ひた――ひた――ひた――ひた――ひた――ひた――。


 ヨウキの脳裏に日月星辰の運行が浮かび上がった。春が訪れ、夏となり、秋が去って冬が来る。

 永劫の繰り返しの中、変わらず響く小さな水音。


 ひた。


 千年の月日を巻き戻すように、ヨウキは瞑想から醒めて両眼を見開いた。


「時だ! 時を支配する者、滴となりて岩を穿つ。硬くなくとも、強くなくともよい。極めるべきは『時』であった!」


 セイナッドの猿は「時の滴」の極意を得た。ヨウキの心から一切の迷いが去っていた。


 ◆◆◆


 翌朝、大岩の前に立つヨウキの姿があった。


 わずかに両足を開き、両手を垂らしたまま瞑想していた。心中に太極玉を描き、陰気と陽気をひたすらに回転させ、練り上げる。


(ただの滴が千年をかけて岩をくりぬく。繰り返す力。それを心気で再現する――)


 硬さでも強さでもない。太白と大黒、光と闇が互いを追って巡り合い、どんどん速さを増していった。

 黒と白はやがて溶け合い、色のない混沌となってもなおも巡り、巡り合う。


 そこにあるのは最早陰も陽もない、「無」なる振動だった。


「無量光よ、来りて無明を照らすべし」


 ヨウキは低くつぶやき、純粋な振動となった太極玉を頭頂に頂いた。

 第三の眼が無明を照らす光を得た。


 ヨウキの目にはすべての物がまとう心気が振動し、呼吸して見える。


 ヨウキは右手を上げ、大岩の表面に手のひらを押しあてた。


「永劫はひと時。我が心気、時の滴となりてここにあれ!」


 無量光となった心気が手のひらを通して大岩を覆う心気に溶けていった。


 ぼす。


 くぐもった音を立て、大岩の表面が手のひらの形にくぼんだ。その深さ約5センチ。


 ばがっ!


 変形に耐えかねて、手形を中心に大岩に亀裂が入った。ほぼ真っ二つに割れた大岩の片割れがぐらりと傾いた。

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