第34話 サイゾウ、血を失って心眼を開きたる件
(ハンゾウの気だ。苦無にとどまり、術式をまとっている)
ハンゾウの気に向けてさらに第3の眼を集中する。まとっているのは「金行の気」だった。
(自分以外の者が苦無に触れれば、雷撃が発生する!)
遠間から飛んで来る雷撃なら、ヨウキは陰気の盾で跳ねのける。しかし、直接手に握った苦無から雷気を流されては、打ち消しようがない。
雷気は体内を流れ、心の臓を止めるだろう。
凶悪な罠であった。
ハンゾウの血は苦無ごとサイゾウの体に埋まっており、その心気もサイゾウの気に覆われている。いくらヨウキでも、「ある」ということを知らなければ、その存在に気づかないだろう。
サイゾウは焦った。
(何とかしなければ、若が――)
「ごふっ!」
焦る間にも気管に血が詰まり、サイゾウはむせ返りながら体を震わせた。体が弱り切っていて、大きく動くことも血を吐き出すこともできない。ただただ、激痛と窒息の苦しみを味わい続けるだけだった。
(出血を……止めなければ)
気道を確保しなければ生命の危険があり、何よりも警告の声が出せない。ハンゾウが肺を刺したのは、サイゾウに声を出させない狙いであった。
(土剋水、土行の気で血を抜く……)
心眼が捉えたビジョンを頼りに、サイゾウは肺に溜まった血を気管から排出した。同時に傷口を気で圧迫し、新たな出血を防ぐ。
(意識を失ってはいけない。脳に血を送らねば……)
出血で血を失った分は、血流を速くして補うしかない。サイゾウは心臓に土行の気を集め、自ら心臓マッサージを行った。
サイゾウの顔面に血管が浮かび上がり、血の色が戻った。
「がほっ、ごほっ、かっ、かふぅ――」
血の塊を吐き出し、空気を貪る。数秒でサイゾウの呼吸が落ち着いてきた。通常の倍近い血圧のため、目が血走り、頭がふらつくが、徐々に体の麻痺が消えてゆく。
(腹の傷は焼け焦げたお陰で、出血がほとんどない。今は押さえておけば良いだろう)
サイゾウは水行の気を練り、傷口を凍らせた。筒袴をひざ上から引き破り、包帯代わりに腹の傷の上から巻きつけた。
(よし! 後はこの苦無だ)
サイゾウは心気を練り、体を覆う陰気を濃くして、胸に刺さった苦無に集めた。
(オム、マニ、ペメ、フム……。怨霊退散!)
高密度の陰気が苦無を覆い、ハンゾウの血に刻まれた術式を流し去った。苦無はただの刃物になった。
肺に深く刺さったそれを、サイゾウはゆっくりと引き抜いた。
「うぅ、ふうぅ、があっ! はあ、はあ……」
肺の傷口も凍らせ、できるだけ痛覚を抑えていたが、それでも抑えきれない苦痛が胸を貫いた。
サイゾウは苦無を捨て、震える両手を使い残った筒袴の切れ端で胸を縛りつけた。
「これで……いい。ふうー」
サイゾウは深く呼吸を繰り返し、不足している酸素を体内に取り込んだ。頭痛とめまいが残るものの、何とか動けるようになったところで、軽身の術を施しながら立ち上がる。
「何とか歩ける」
歩けるが、到底戦える状態ではない。悔しいが、サイゾウは撤退することにした。
自分が残れば、それだけヨウキの追撃が不利になる。手負いのサイゾウをかばいながらでは、ヨウキは十分に戦えない。
心臓マッサージを続けながらサイゾウは金行の気を練った。
(土生金、飯綱走りの術)
かつてないほどスムーズに複数行の術を同時行使できる。酸欠と低体温症の併発が、サイゾウの第3の眼を大きく解放していた。
音もなく走り出したサイゾウは、夜の闇を裂く風となって去った。
◆◆◆
(サイゾウの気が……遠ざかる。城に帰るのだな。手傷を負ったか? その割には動きが早い――)
サイゾウが手傷を負うとすれば、ハンゾウと交戦したに違いない。
ならば、直前にサイゾウがいた場所にハンゾウもいたことになる。
遠ざかるサイゾウの進路をさかのぼる。ヨウキは完璧に気配を消しながら、わずかに漂う心気の残滓を捉え、サイゾウの足取りを逆にたどった。
(焦れば取り逃がす。何日かけてでも、ハンゾウを倒す!)
ハンゾウが逃走に存在の全てを集中したように、ヨウキは追跡に専心した。
◆◆◆
「う、うう」
三日三晩歩き続けた。ハンゾウはさすがに疲れ果て、きしむ体を休めようと、草の上に腰を下ろした。
動きを止めた途端、かれ果てたと思っていた汗が滝のように流れ始める。
ハンゾウは懐から袋を取り出し、兵糧丸を口に入れた。3日の間、口に入れたのは3粒の兵糧丸のみ。水は口にしていなかった。
さすがに体力が落ちている。精神力も限界に近い。腰を下ろすと同時に、泥のような眠気が押し寄せてくる。
半分意識を失いかけていた。
(だが、猿はまだ近くにいる。気配がなくとも、俺にはわかる)
ハンゾウが追う立場であれば、絶対に止まらない。心臓が止まるまで、敵を追い続けるであろう。
(ならば、奴とて諦めるはずもなし。必ず俺を追って来ている)
ようやくたまった唾とともに兵糧丸を飲み込むと、ハンゾウはきしむ体を動かして、草地から立ち上がった。
(草地? なぜ俺は物陰のない草地で腰を下ろした?)
半分せん妄の状態で行動していた。ハンゾウは脳が正常に働いていなかったことに気づき、戦慄した。
(いかん! 俺は何をした? 猿……、猿に見つかっていないか?)
ハンゾウは足を速めて、森に分け入った。




