第3話 サイゾウとロクロウ、うさぎを狩るの件
「サイゾウ、追い込んだぞ!」
斜面の上方からかんかんと木の棒を打ち鳴らしながら、同輩が声を上げる。
サイゾウは静かに弓を持ち上げた。
がさがさと叢を鳴らして転げ落ちるように斜面を下るもの。
サイゾウが待つ斜面の終わりで叢から飛び出したのは、一匹の野うさぎであった。
急に平地に出たため足元が乱れ、転んだ体を立て直して一瞬静止した。どちらに逃げるか周囲を見ようとした時……。
飄。
サイゾウが構えた弓から一筋の矢が放たれた。ピクリと耳を立てたうさぎが動くより先に、矢は狙い過たずうさぎを地面に縫いつけた。
「よし! 仕留めたぞ!」
声を上げながらサイゾウは弓を高く天に掲げた。仲間の誤射を防ぐために、自分の居場所を示したのだ。
「やったな。上出来だ!」
斜面を下りて声を掛けたのはロクロウであった。サイゾウと年が一緒の少年は、物心ついて以来の幼なじみであった。
平地に出る前の叢を、軽々と飛び越えて着地した。人並外れて身が軽い。
「ロクロウ、軽々しく術を使うな」
「良いじゃないか。こんな山の中だぜ。誰も見てやしない」
「そういう気のゆるみが命取りになると……」
「ああ、うるさい! ドンさんみたいなことを言うな!」
ロクロウはふてくされて座り込み、竹筒から水を飲み始めた。
「やれやれ。こどものような奴」
サイゾウは苦笑いし、野うさぎの血抜きを始めた。獲物の息がある内にやると、血が抜けやすい。柔らかい土を掘った穴の上で逆さにした野うさぎの首を切り裂く。
「雉にうずら、うさぎまで取れた。今日はこれで終いにしよう」
うさぎの血抜きを終えた少女は、隠しておいた他の獲物と共にうさぎの死体を木の枝に結びつけた。
「帰るのか? なら、獲物はおれが持つ」
ロクロウは立ち上がって泥を払いながら言った。サイゾウに持てない重さではなかったが、力はロクロウの方が強い。
「サイゾウに持たせると、おれが何もしておらんように見られるからな」
まだ十歳であったが、サイゾウの弓は里一番の腕前であった。動く獲物にも吸い込まれるように当たる。
「狩りは一人でするものじゃない。お前の勢子がなければこうはいかない」
「そうなんだけどよ。馬鹿にして来る奴もいるからな」
ロクロウは身軽な上に素早い。だからこそ一人で勢子役を務め、獲物をサイゾウが待つ場所に追い込むことができるのだ。
「ただ走り回っているだけではないか?」
そう言われて、ロクロウは何度も悔しい思いをして来た。
「気にするな。馬鹿にする奴らが馬鹿だ」
「わかってるよ。馬鹿が馬鹿にして来るから腹が立つんじゃねえか」
ロクロウは馬鹿ではなかったが、難しいことを考えるのは苦手であった。口うるさいドンも大の苦手だ。
「若様は馬鹿にしないぞ、ロクロウ」
「うん。若様は馬鹿にしないな。これだけ獲物を取ったら褒めてくれるかな?」
「そうだな。褒めてくれるだろうな」
「へへへ。おれ達は腕がいいからなあ」
ロクロウとサイゾウは、セイナッド家の家来であった。若様とはセイナッド家の次男、ヨウキ・セイナッドのことだ。今年二十歳になるヨウキは、セイナッド家きっての俊才として名をはせていた。
「それにしてもサイゾウよ。若様はすごいよな。あれだけ賢いのに、『術』を使わせても達人だ」
「当たり前だ。何しろセイナッドの若様だからな」
「『セイナッドの猿、五遁の道を良くす』だっけ?」
「……若様のことを猿と言うなっ!」
猿そっくりな顔立ちのため、ヨウキ・セイナッドはよそ者から「猿」と陰口をたたかれていた。サイゾウはそれが腹立たしい。あれほど賢く、そして強いお方なのに、と。
「ごめん。おれは猿だなんて思わねえよ。若様は……天狗様だ」
「天狗も妖怪の類だろう? 褒めたことにならないぞ」
「褒めてるさ! 若様の『高跳び』はそりゃあ見事だ。おれもいつか、あんなふうに跳びたい」
五遁の術は敵から逃れるための遁法である。「高跳び」は身を軽くし、猿やりすのように木々の間を飛び交う術だ。
ヨウキの高跳びは「猿飛」と呼ばれるほど、他を圧する絶技であった。
「私たちも励まなければな」
「サイゾウは十分頑張ってるだろ? 五遁の術も全部使えるし」
ロクロウは恵まれた体を活かした体術は得意なのだが、五遁の術を苦手にしていた。かろうじて「高跳びの術」だけは、人並みに使える。体を使う跳躍の延長として何とか使いこなしているようだった。
「おれは頭があまり良くないが、サイゾウは賢いからな」
「体術ではお前にかなわない」
「体のできが違うからな」
サイゾウは十歳でありながら八歳児ほどの身長しかない。十分な食事をとっていたが、親譲りの血筋なのか。
体も細く、膂力が弱かった。
幼い頃は何度も高熱を発して死線をさまよった。よく咳をしていたので、肺の病気であったかもしれない。
七歳になり普通のこどもが仕事や訓練を始める年になった時、親代わりのドンはサイゾウの健康を危ぶんだ。
しかし、必ずやり遂げて見せるというサイゾウの強い意志に負けて、訓練を始めさせた。
初めは他のこどもについて行けず、寝込むこともあったが、サイゾウはあきらめなかった。辛くても泣き言を言わず、遅れてもやめなかった。
ただ黙々と体を鍛え、ひたすらに術を学んだ。
その姿を見てドンはとことんまでサイゾウの好きにさせることにした。
仙術の修業が始まるところから、サイゾウの様子が変わった。