第25話 案山子のロクロウ、天狗になりたる件
かぁーん、かぁーん!
鳴り響く半鐘の音に、ロクロウは眠りを破られた。思わず飛び起きようとして、鉄砲玉を受けた左足がずきりと痛む。
「くっ! 糞、こんな時に」
鉄砲玉は太ももを貫通していた。幸いにも主要な血管を傷つけていなかったので、命に別状はない。
それでも太ももの筋肉が引き裂かれており、回復してもまともに歩くことはできないだろう。
「サイバッタ勢の夜襲か? 騒ぎが聞こえるのは……兵舎の方向だ」
ロクロウは枕もとの小刀を腰に差し、寝床から立ち上がろうとした。しかし、出血のせいで血圧が下がっており、一瞬立ちくらみを起こす。
「……うっ。痛ぅ」
太ももに巻いた包帯が血の色に染まる。
「糞、糞、糞! こんな時に役に立てぬとは。何のための番衆か!」
セイナッドの番衆とは本来領主マシューを守るための集団であった。影となって側に控え、ある時は盾となり、またある時は矛となる。
「ぬぅっ! 脚の一本が何だ! 蛇には元から足などないぞ! 心気を凝らせば、血など止まる!」
ロクロウは包帯に手を当て、じくじくとにじみ出た血液に手のひらを押しつけた。真っ赤に染まった手のひらを額から顎の先までなでおろす。
ロクロウの面貌が赤鬼の形相に変わった。
「若がお留守でも、おれが『猿』になって御城を守る!」
セイナッドの里を脅かす者は、誰であっても許さない。幼い頃ヨウキの姿にあこがれて立てた誓いを、ロクロウは今でも大切に守り抜いていた。
痛みに遠のきそうな意識をロクロウは必死にかき集め、心気を凝らした。太ももを締めつける太い帯を脳裏に思い描く。ずきりと傷がうずくが、やがて出血が止まった。
「よし、行ける!」
ロクロウは急造の杖で左わきを支え、軽身の術を自らにかけながら表に出た。
(殿をお守りしなければ! ……待て。兵舎を襲ったのが『囮』であるなら、攪乱はそれだけで収まるだろうか?)
マシューの元にはドンを始め、番衆の面々が控えている。そこに油断のあるはずがない。
(兵舎を焼いたくらいでは城中の守りは乱れない。番衆を殿から引きはがすとすれば……さらに大きな騒ぎが必要だ!)
陽動はこれで終わりではない。ロクロウは襲撃者の立場に立って、そう確信した。
「次に狙われるのは……兵糧蔵か! よし、おれは兵糧蔵で敵を討つ!」
ロクロウがいる場所はマシューのいる本丸よりも兵糧蔵に近い。距離から言ってもそちらに向かった方が早そうだった。
問題は「足」だ。片脚しか利かないこの体で、兵糧蔵まで走れるのか?
「足一本でも天狗は跳べる! 行くぞ!」
ロクロウは無事な右足に力を込めて、高跳びの術を使った。放たれた矢の勢いで建物の屋根を越えて夜空に飛び出す。
有事の際ではあるが、ロクロウは心が湧きたつのを感じた。
(俺は跳べる。まだ戦える!)
二歩目、三歩目で片足跳びのバランスに慣れてきた。四歩目では思い切って空中高く跳びあがってみた。
「くっ! めまいが……」
脚の傷から大量の血を失っていた。貧血状態で高く跳びあがったため、頭から血が更に下がってしまった。
目の前が暗くなり、耳鳴りがする。
(いかん! 倒れるな!)
ロクロウは唇をかんで、消えそうになる意識をかき集めた。土行の気で落下速度をできる限りゆるめる。
体の力が抜けかかっていたが、杖の助けで何とか倒れることなく着地することができた。
そのまま杖にすがって地面に膝をつく。
(血が足りない。息が切れる……。そうだ、呼吸だ! 呼吸を整えろ!)
仙道の基本は呼吸法であった。基本にして極意である。
『呼吸だ。呼吸を我が物とすれば、五遁の法は自ら身につく』
ヨウキは繰り返しそう言って、ロクロウたちを導いた。
『呼吸こそが体の隅々に、そして脳に気を運ぶ。仙道を学ぶ者は取り込んだ気に心を乗せて心気と為す』
呼吸は深く、静かに、そして長く――。
ロクロウは道に座り込み、ひたすら大気を取り込み、心気を練った。
黒々とした靄が晴れるように、徐々に視野が明るくなっていく。
(まだだ。もっと光を!)
ありったけの心気を練り上げ、頭頂部へ、脳へと押し上げた。
ロクロウの頭の中を光が満たした。
黒い靄は嘘のように吹き消される。
(ああ、これか。太極ついに我とあり――)
額の中央に燃えるような熱を感じた。そして、第三の眼が開いた。
土といわず、木といわず、すべてのものを気が包んでいるのが見える。
五行の因果が大気を満たし、流れ、循環して世界の理を紡いでいる様が見える。
「陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず。五行相生、因果応報」
(片足が使えぬなら、片足が使えぬなりの世界がある。因果に終わりはない。ここから新たな因果を紡げばよいだけのことだ)
ロクロウは右足に力を込めて立ち上がり、空を見上げて咆哮した。
「わははは……。今日からおれは案山子天狗のロクロウだ!」
高らかに叫ぶと、ロクロウは力強く大地を蹴って宙に跳びあがった。




