第19話 二匹の猿、夜陰に乗じる件
深夜、ヨウキはサイゾウを従えて城を忍び出た。闇はヨウキの世界である。
サイゾウと二人であれば、霧を呼ぶまでもない。
「陽炎の術」で2人を隠す空気の盾を作り出せば、夜の闇に溶け込むことは容易であった。
身にまとう陰気が気配を消してくれる。
抑えようのないわずかな足音、衣擦れの音は、風を起こすことで伝わりにくくしていた。
ヨウキはヨーダ兵の間を、何事もないように歩んで行った。
ついに――。
2人はぽっかりと開けた空間に出た。
山腹の平らに開けた場所であったが、不自然に樹木が伐採されている。
下ばえさえも刈り払われており、青臭い匂いが辺りに漂っていた。
広々とした野原の中心に陣幕に囲われた一角がある。敵将サイバッタの寝所に違いなかった。
ヨウキは手ぶりでサイゾウに足を止めるよう合図した。その場でサイゾウの耳に口を寄せる。
「伏兵がある。広場に出ればこちらの居場所に気づかれるだろう」
「わたしが囮になります」
サイゾウが暴れまわれば確かに敵を引きつけることになるだろう。だが、いつまで続けられるか?
「長くは持たぬ。それに、こちらが1人だとは思ってくれんだろう」
予備の兵を残されれば、結局ヨウキも攻撃を受ける。多勢に無勢は避けられないのだ。
「二手に分かれて同時に攻め込む。互いがもう1人の陽動となるのだ」
どちらも陽動であり、同時に主攻であった。
「総攻撃ということですね」
死を覚悟しながら、サイゾウにはくすりと笑う余裕があった。
いざとなればヨウキの盾となって身を捧げる。その決意は昨日今日固めたものではない。既にサイゾウの生きざまとなっていた。
「セイナッドの遁法を思う存分見せてやれ。一旦別れる。俺の動きに合わせて斬り込め」
「はい」
その言葉を最後に、ヨウキはサイゾウの目からも姿を消した。木立の中に気配が消える。
木々を縫って広場の反対側に回り込むのであろう。サイゾウは目をつぶって心気を練った。
(風……)
真っ赤に塗られたサイゾウの頬を、風が撫でた。
(若は空から)
目を開けずとも、サイゾウにはわかる。夜空に風が吹いていることを。
風に乗り、影が広場を横切る。夜空に溶け込んだ影は、目を凝らさなくては見つかるまい。
星が一瞬影に隠され、また現れては、瞬く。
(木剋土、ムササビの術……)
サイゾウは目を開き、ゆっくり立ち上がった。
(わたしは地を走ろう)
気合も入れず、サイゾウは地を蹴った。
(土生金、飯綱走りの術!)
我が身を軽くした上、雷気の道を音もなく滑る。足の裏は地面からわずかに浮いていた。
広場に出て10歩分ほど進んだ時、足元にぽっかり穴が開いた。
(落とし穴か!)
軽身の術がかかったサイゾウの体は、現れた穴に落ち込むことなく、その上を滑って渡り切った。
穴の底には即効毒を縫った撒きびしが敷き詰められている。
(ふん。姑息な仕掛けを! この際だ、派手にやるか?)
土遁と金遁を重ね掛けしているサイゾウである。さらに土遁を前方一面に施した。
(土遁、山おろし!)
地表を覆う大気に土遁の術をかけた。重みを数倍に増した空気が、雪崩を打つように地面を圧する。
めりめりと音を発して、あちこちで地面に穴が開いた。
隠されていた落とし穴の「蓋」が落ちたのだ。
すると、いくつかの穴から黒い人影が続けざまに飛び出した。
(む! 何だ?)
サイゾウは動きを止めて、地面に身を伏せる。
「火遁、狐火!」
人影たちは火遁の術を用い、穴の中に火を放った。たちまちあたりが明るく浮かび上がる。
穴の中にはたっぷりと油を吸わせた枯れ枝が積まれていた。
(糞っ、闇を払うつもりか? ならば……木生火! 火遁、炎隠れ!)
サイゾウは空気中の水分を分解し、燃気と清気を作り出して、これを燃やした。
酸素の供給を受けて、水素が爆発的に燃え上がる。
「出たぞっ! 猿だ!」
「逃すな! 燃やせっ!」
敵は炎にひるまなかった。その両眼には遮光器をかけて、閃光から目を守っていたのだ。サイゾウの進路に立ちふさがる者たちは、火球を放ってサイゾウを燃やそうとした。
(ふ。簡単には通してくれないか)
だが、それがどうした。
初めから自分は陽動だ。サイゾウは自らを「囮」と考えていた。
だからこそ、地上を進んだのだ。
(はっ! 遠当ての術!)
サイゾウは掌底を突き出す要領で、敵に向かって気を飛ばした。心気を練る必要はない。
既に心気はあふれるようにそこにあった。
サイゾウが打ち出す心気の塊は、敵が放った火球を吹き飛ばしながら相手に迫った。
心気の進路に火球があったことは、相手にとって幸いだった。
かき消される火球の様子を見て、「何かが飛んで来る」と感じた敵は、咄嗟に地面に身を伏せた。すんでのところでかわした心気が、頭上で轟と音を立てて空気を震わせた。
サイゾウは止まらず、二の手、三の手の心気を飛ばしていた。
初手の敵程の幸運に恵まれず、左右の敵は遠当てを食らって吹き飛んだ。
(こ奴ら、気の動きが読めんのか)
かわす気配すらなく遠当てに倒された敵を見て、サイゾウは火遁や水遁よりも、目に見えぬ心気や土遁を攻撃に使うべきだと判断した。
(こちらは陽動だ。賑やかに踊ろうじゃないか)
ヨウキは両主攻、すなわち2正面作戦だと言ったが、サイゾウには別の心づもりがある。
ヨウキが内陣を突き、自分は外陣を攻める。そうすれば敵の兵力は分散するはずだ。
(わたしが敵を引きつけるほど、若の仕事がしやすくなる)
サイゾウはにんまりと笑みを浮かべた。
「ならば、派手に行こう。隠形だけが五遁に非ず。火生土! 鳳仙花の術!」




