第13話 猿の雄たけび、戦場に響き渡る件
「うろたえるな! 所詮は小勢だ。霧の中に奴らはいる。弓兵隊、構わず射よ!」
戦場では数と確率が物を言う。でたらめに発射した矢であろうと、たまたま的を捉えることがあるのだ。
3百人の弓兵が、斉射を始めようとした時、猛烈な突風が後方から押し寄せた。
「木遁、木枯らしの術!」
敵中に飛び込んだヨウキの遁術であった。
弓を掲げた弓兵は風にあおられて体勢を崩し、バタバタと将棋倒しになった。
「うぬ! 敵だ。敵が紛れているぞ!」
侍大将がヨウキを討たせようとするものの、既にヨウキの周りには霧が漂い、兵たちの視界を阻んでいた。
霧の中に薄っすらと人影が見えるが、誰のものなのかは定かでない。
ただ一人、ヨウキにとって周りに見える人影はすべて敵であった。
背中を見つければ鎧通しでのど首を掻き切り、正面から出会えば「遠当ての術」で吹き飛ばす。
遠当てで空気弾をぶつけられた敵は、運が悪ければ味方の兵にぶち当たる。
霧の中で突然激しく人に体当たりをされれば、簡単に同士討ちが始まる。自分が生き残るためにはまず相手を殺してから顔を確かめるべきであった。
ヨウキの霧に巻き込まれ、斃された敵兵の内、ヨウキ自身が直接手を下した相手は半分に満たなかった。
ヨウキが単身で敵軍に飛び込んだのは勇猛さを誇るためではない。周り中が敵という状況を最大限に利用するためであった。
「金遁、金縛りの術!」
前線ではドンの率いる番衆が霧の中で雷気を発して、敵を打ち倒していた。雷気は水と相性が良い。
五行説では水を生み出すとされる「金行の気」。セイナッドではこれを「雷気」と捉えて術を編んでいた。
金遁を使える術者が続けざまに雷気を発した後には、鼻の奥を刺激するオゾン臭が辺りに漂っていた。
「突っ込むぞ! 火生土! 鬼押出し!」
鬼押出しとは敵中突破の切り込み戦法である。
霧の中で雷を使い続ければ、味方まで痺れてしまう。敵中に飛び込むための術に切り替えるのだ。
前陣三名が火遁鬼火の術で敵を焼き、そこへ中陣三名が土遁山嵐の術を打ち込む。
山嵐とは地面に引力の爆発を起こし、地表の石くれや土砂を敵に向かって吹き飛ばす術である。
まるで手りゅう弾攻撃のように敵の騎馬兵をなぎ倒し、音と光で馬を混乱させる。
少数戦力で多敵の真っただ中へ突入する肉弾戦にふさわしい奇襲効果があった。
残る3名の後陣は、怪我の少ない敵を見つけては飛び掛かる。鎧通しで突き刺し、切り裂いて戦力を奪うのだ。大体は鎧のない脇の下か、内またを刺す。
死ななくても良い。きちんと刺せば、敵は動けなくなる。血を失えば倒れて死ぬ。
大切なことは勢いを失わないこと。そして体力を温存することであった。
右に左に飛び回る後陣三名の中に、ロクロウとサイゾウの姿があった。サイゾウは戦場を包み込む霧を維持しながら肉弾戦を行っている。
ロクロウは霧隠れを使えないので、もっぱら高跳びの術で跳び回り、騎兵を蹴倒し、突き刺していた。
「ロクロウ、無理するなよ! 敵は多い」
「何のこれしき! 疲れるものか!」
言いざま、ロクロウは斬りかかってくる敵兵の頭上を跳び越え、相手の後ろにしゃがんで腿の裏を切り裂いた。
「馬鹿め。跳び過ぎだ!」
サイゾウは吐き捨てながら、遠当てで目の前の敵を弾き飛ばした。あおむけに倒れたところで、上から内腿を切り裂く。草刈りでもするかのように、急がず、無駄のない動きであった。
「敵が濃くなったな」
敵陣奥に侵入するにつれて無傷の兵が多くなってきた。
「ロクロウ、ヤタ、戻れ! 術を使う!」
声をかけられた二人は構っていた敵を放り捨ててサイゾウの元に戻った。
「火生土! 鬼押出し!」
前陣、中陣が六名がかりで飛ばしていた複合術を、サイゾウは一人で再現してみせた。鬼火と共に弾け飛ぶ土石に打たれて、敵がバタバタと倒れる。
三回それを繰り返して左右の敵を間引き、空間を作った。
「よし、草刈りだ!」
後陣の三名は開けた空間に飛び出し、自分の足で立っている敵兵を倒して回った。
刈っても刈っても生えて来る、しつこい雑草を刈っていく。そういう気持ちで敵を戦場から排除していく。
一時の怒りや憎しみでは、長丁場は戦えない。力みや焦りを捨てた「単純作業」として人を刈る。
サイゾウは心を殺して草刈りを続けた。
何十人を倒したろう。右手の握力がなくなりかけた頃、すっと視野が開けた。
後から後から湧いて来た敵兵が、周りから消える瞬間がやって来た。
敵の心が折れた。
「死ぬ」とわかっている戦場に飛び込むには、何かの感情で己を狂わせる必要がある。恨みでも正義感でも、性欲でも構わない。心と体に染みのように広がる恐怖を押し流し、上書きする強い感情があればよい。
だが、その感情も長くは持たない。人間はそんなに長く強い感情を維持できない。
心は動き、止まらないのだ。
目の前で味方が倒れていく。その姿をずっと見ていた。その時間が三十分を超え、一時間に達すると、最早高揚を維持することはできない。
「次は自分が斬られるのではないか?」
その考えがふと浮かぶ。その考えが、拭い去れなくなる。
確かなものとして頭の中に居座ってしまう。
「斬られる。斬られる。斬られる」
そればかりが頭の中でこだまする。胸がむかむかする。腹が痛い。
全身から汗が噴き出す。
目の前が暗くなる。
「あああー! 嫌だ、いやだ! ああっ、助けてくれぇ!」
思わず心の中身を口に出してしまう。
それは一人の思いではなかった。誰かが叫ぶその声を聞いてしまったら、それは自分の声になった。
「ああぁああ!」
「あああー!」
やがて戦場に意味の分からぬ悲鳴が波のように広がって行った。地響きのようなその声は聞く者にとって恐ろしく、自分の内心と共鳴して同じ叫びを口から引き出す。
「ああああああ!」
「うわあああん!」
どーん!
ヨーダ軍の奥深く、その上空に真っ赤な火の玉がさく裂した。
兵たちの目が、天空を染める赤色に集まる。
「ほおおう、ほうっ、ほうっ。ほおおうー!」
甲高い雄叫びが戦場に響き渡った。
どーん!
別の火球が、前線方向の宙空にさく裂した。こちらの火の玉はオレンジの色をしていた。
「ほほおおう。ほうっ、ほうっ。ほおおおおおーっ!」
高い声、低い声、様々な声が一つになって波のように屍の上を押し寄せてきた。
「……さ、猿だ」
誰かが小さな声で言った。夜におびえる幼子のように、小さな、小さな声で言った。
「猿だ」
「猿だ」
「猿が来た……」
「うわあああああああっ!」
ヨーダ兵は雪崩を打って駆け出した。どこでも良いからその場から遠ざかる。
あの声から離れたい。
猿から逃げ出したい。
それだけを願って走り出した。




