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第1話 旅の主従、骸に出会える件

「臭うな」


 大柄な男が上向きに顔を上げて、鼻を鳴らした。


「どうした、ドン。ん? この臭いか?」


 わずかに遅れて連れの少年もそれに気づいた。風に乗ってかすかな異臭が漂っていた。二人にはそれが腐った肉が発する死臭であるとわかっていた。


「どうやら林の中から臭います。若、見て来てもよろしいか?」


 気味の良いものが待っているはずもないのだが、そのままにはしておけない。ドンと呼ばれた逞しい男は主人の許しを乞うた。


「うん。俺も行こう」

「いえ、若まで行かなくても……」

「ただ事ではない気がする。こんな街道沿いに獣の死骸があるとも思えない」


 死期を迎えた獣は人の立ち入らぬ山の奥に入るものだ。街道近くで死ぬことはない。


「わかりました。足元にお気をつけて」


 ドンは腰から山刀を抜き、下藪を払いながら木々に分け入った。その後を若と呼ばれた少年が続く。

 2人は荷物を背負った旅姿である。この時、他領から自国への帰路にあった。この道は街道とはいえ、滅多に人が通らぬ険しい裏街道であった。


 ドンは時折宙に鼻をうごめかして臭いの元を探しながら、下ばえや地面の様子を見て進路を決めていた。


「何人かここを通っているようです」


 背を丸めるようにして顔を向け、小声で用心を呼び掛ける。

 その頃には、臭いの元は人の死体以外ではなかろうと、心当たりも付いていた。


「若」は懐から手拭いを取り出して、顔の下半分を覆うように結んだ。

 腐臭を和らげるためか、それとも顔を人から隠すためか?


 傍らに置いた身の丈ほどの「杖」を取り直し、ドンに頷いて見せた。


「御油断なく」


 それだけを低い声で言うと、ドンは変わらぬ足取りで斜面を下って行った。


 ドンが告げた警告は「襲撃者」の存在についてのそれであった。「若」は危なげない足取りで斜面を下っていく。ドンが踏んだ足跡をなぞるように動いていた。


 涸れ沢となっている谷間に下りたドンは足を止めて風の流れを読み、臭いの方角を確かめた。

 やがて頷くと、涸れ沢沿いに上り始めた。


 徐々に腐臭が濃くなり、しばらく進んだ先にそれ(・・)があった。


「死骸がございます」


 まだそれが「若」の視界に入る前に、ドンは立ち止まってそう告げた。


「一つか?」


 どんな死骸かと聞く前に、十歳前後の「若」はそう尋ねた。


「一つでございます。腐り始めておりますが、死んで二、三日でございましょう」


 まだ(うじ)は湧いていなかった。


「裸に剥かれております。女ですが、犯されて(くび)り殺されたものかと」


 十歳の少年に告げるには随分と生々しい内容を、ドンはためらいもなく並べ立てた。


「そうか。身の上のわかるものは残っておらんか?」

「見た限りでは、あいにく何も」

「……病死ではないのだな? 見てみよう」


「はっ」


 ドンは少年に道を空けた。歩み寄れば腐臭が濃くなる。

「若」は一瞬のど仏を上下させたが、ぐっと飲み込むように堪えた。


「足袋をはいておるな」

「はい。草鞋と足袋は売り物にならぬと置いて行ったのでしょう」


 草鞋の紐には足を傷めぬようにさらしが巻いてあった。


「脱がせてみよ」

「はい」


 ドンは死体から草鞋と足袋を脱がせた。

 うつぶせに倒れた死体は、足の裏を日に晒した。


「足の裏、指の間、踵、くるぶし。検分してみよ」


「若」の声はどこまでも冷静であった。


 既に死後硬直し、死斑が浮いた足にドンは顔を寄せて検分した。


「裸足で外を歩く者なら踵が厚く、指の股にたこがあろう。裸足で板の間に働く者なら足の裏が荒れておろう。どうじゃ?」

「はっ。皮薄く、草鞋の紐に肌が傷ついております」

「やはり旅慣れぬ郷士の女子か」


 肌の白さ、髪型などから死体の女は郷士以上の身内と見て取れた。


「手指を見よ。水仕事、包丁仕事などしていそうか」

「しばしお待ちを」


 ドンは座り込む位置を移動し、死体の手を検分した。


「まめやたこはなく、切り傷もございません。水仕事の手荒れもなし」

「ふむ。卑しからざる家の妻女と見た。念のため体を返して、前面を検分せよ」

「かしこまりました」


 まるで役人のような念の入れようで、少年はドンに指示を出していた。一体どのような教育を受けて来たのか。

 ドンはそれを不思議ともせず、命じられるままに遺体を裏返した。


 むうっと、死臭が濃くなる。


「倒れ、石に擦れた以外に刃物傷などはございません」

「そうか。わかった」


 少年は死体の傍らにしゃがみ込み、両手を合わせて瞑目した。


「ここは城まで半日足らずの距離。ここまでたどり着きながら命を落とすとは、無念であったろう」

「若、城を訪ねて来た者とおっしゃいますか?」

「十中八九な。よそ者の郷士が入り込む道筋ではなかろう。城へと向かう抜け道だ」


 合掌を解いた「若」は顔を上げて、涸れ沢の前方を凝視した。


「郷士の妻女が一人で旅をするはずもない。供がいたはずだ」

「逃げ遅れて斬られたかもしれません」


 供の者が生きていれば、主人の死体を放置するはずがない。無事で生き残ってはいないと思われた。


「あるいは逃がされたか(・・・・・・)?」


「若」は目を細めた。


「ドン、沢を上るぞ」

「はっ。お先に参ります」


 腰に戻していた山刀を再び手に取ると、ドンは先に立って沢を進み始めた。

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