6.大巫女──ザンネ
オットー王子の話に憤り、走るラナメール。
追いかけるオットー王子。
目指すは大巫女ザンネの執務室。
真実を確かめようと、その扉を叩きますが……。
憤慨にまかせて叩き付けるようなノックをし、ラナメールは一枚のドアを勢いよく開いた。
とたんにモワッとした酒気が押し寄せ、思わず顔をしかめてしまう。
ゴチャゴチャと装飾品の多い部屋の中央にある、ローテーブルと豪華なソファー。
派手な花柄の長ソファーに、ピッタリと収まるように寝そべっているのは、かなりふくよかな熟女。
これまた花柄の派手な部屋着を、ゆったりと身にまとう大巫女ザンネである。
テーブルの上には酒のつまみと酒瓶が数本。ソファーの上に足を投げ出し、クッションを重ねて上体をわずかに起こしている。その大巫女ザンネの手には、大きなガラスのゴブレット。中を満たす液体は、もちろん酒瓶の中身だろう。
普段から、やりたい放題ワガママで自分勝手な人だとは思っていたが、まさか昼間から酒にうつつを抜かしているとは思ってもみなかった。
新たな怒りで完全無敵の戦闘モードに入ったラナメールは、トロンと虚ろな目をした大巫女にズカズカと近づいていく。
芋虫のような五指には、それぞれ豪奢な指環がはまっている。その手から強引にゴブレットを取り上げ、ローテーブルに乱暴に叩き付けるようにして置く。
ダンッ! と責めるような音が室内に響き渡り、ようやく大巫女ザンネの焦点がラナメールに合ってくる。
「誰かと思うたらラナメールか。無礼じゃぞ。それを返せ」
「その前に、お聞きしたいことがあります。精霊の大号令のことです。
あれは祝い事を告げるものでした。ジュリアロスの森で良いことがあったことを、知らせるものです。神が目覚めたというなら、目覚めたのは女神ジュリアロス様でしょう! だから精霊たちは、お祝いしようと言っているのに、なぜ呪いをささげるのです。どうして死者を出すのです。使者の間違いではありませんか!!!」
息せき切ってまくし立てるラナメールは、ここまで一目散に走ってきたこともあり「はぁはぁ」と肩で大きな息をついている。
追いかけてきたオットー王子もふうふう言いながら、開けっぱなしの扉の中をのぞき込む。だが、真っ向からにらみ合う女二人の姿に足を止めてしまう。
「うるさい。大声を出すな。頭に響くであろう」
「知りません。大巫女ともあろう方が、真っ昼間からお酒を飲んで、何という体たらくです。恥ずかしくないのですか!」
「ああ、本当にうるさい小娘だこと。ここから出てお行きッ!」
「イヤです。なぜそんな解釈がまかり通ったのか、きちんとお答えいただき、納得のできる説明をしていただくまでは、絶ぇっ対に出て行きません!」
頑としてひるむ様子のない少女を、大巫女ザンネは面倒くさそうに見つめる。その生意気な頬を思い切りひっぱたいてやれば、泣いて出て行くだろうか。
しかしそこにあるのは、突き刺さるように真っ直ぐな強い視線。ごまかしも隠し立ても許さない追及の視線である。そこらの10歳の小娘が持つような視線ではない。
酒で思考回路の鈍った大巫女も、頬をひっぱたく程度では揺るぎそうにないことに、「やっかいな」と胸の中でひとりごちる。
そうしてひとつため息をこぼし、寝そべっていたソファーをギシギシときしませて身を起こすと、ギロリと目の前の少女をにらみ付ける。
「お前は何様じゃ。いつからそれほどまでに偉くなった。知識も経験も未だにヒヨッコの、すべてが足りぬ半端物のクセに、もうその歳で次期大巫女のつもりか? 思い上がるな痴れ者めっ!」
腹の底から絞り出すような怒声に、ラナメールは一瞬ビクリと身を震わせる。しかしその眼はまだひるむことはない。くちびるを噛み、つよい意志を宿して大巫女ザンネを見つめている。
「祝い事? 女神ジュリアロス様が目覚めたじゃと? どこからそんな確信が生じた。おまえは精霊の言葉を完璧に理解できるのか? 思い込みや聞き違いでなく、それが絶対と言えるのか?
状況を深く捉えず、安易に祝い事と脳天気に浮かれまくって、もしその判断が間違っていたらどうする。おまえがその責任を取ってくれるのか?」
責任などと言われては、さすがのラナメールにも動揺が走る。
精霊の言葉を完璧に理解するなど、とうていできない。実際、半分は聞き取れていないし、絶対などありえない。責任を取れと言われても、どうしたらいいのかわからない。
「オトナの判断に、無責任な口を突っ込むんじゃないよ。己の未熟さを理解できたなら、とっとと出ておゆき……」
「イヤです」
「ナンだって?」
大巫女の言葉にかぶせるように口答えされ、大巫女は怒りにカッと目をむく。しかしラナメールは食らいつく。
精霊の言葉の意味を、吉ととるか凶ととるかは、思う以上に難しいのかもしれない。良いことの一面だけ捉えて、その裏に何があるかなど、ラナメールは思いもしなかった。
未熟と言われればその通りだ。しかしだからこそ、問いたださねばならない。
「精霊の言葉は、確かに祝い事でした。その声は喜びに満ち、明るく期待に満ちたものでした。良いことのはずなのです。なのに、なぜ『呪い』や『死者』といった言葉が飛び出し、不吉な内容になったのですか!」
言われてみれば、精霊にとっての祝い事が、人間にとってもそうとは限らない。
だけど『呪い』や『死者』はないと思うのだ。どうしてそこまで捻くれたこじつけとなったのか、ラナメールには理解できなかった。
それだけならまだしも──。
「なぜ、ダグ王子が人身御供として、森に捧げられるのですか!」
ラナメールは渾身の力をふりしぼって、そんなのはおかしいと訴える。
「なぜそんな必要のない犠牲を生み出すのです! あの子はまだ6歳です! 小さなか弱い子どもひとりに全てを押しつけて、いい大人が恥ずかしくないんですか! 今すぐやめさせてください! そんなの、小さな命が無意味に奪われるだけで、何の意味もないじゃないですか!」
憤りのままに思ったことを吐き出し、興奮のままに荒い息をつく少女に、大巫女ザンネは眉間にシワを寄せ、さも鬱陶しいとばかりの目つきになる。
「おだまりっ! 意味がないなどと、それこそ神に対する冒涜じゃ! 犠牲を払わず、対価を差し出さず、祈りだけで神が全てを許すとでも思っておるのか! 神が、精霊が、ジュリアロスの森が、それを望むなら、われらはそれに従うのみ。呪われた王家の鬼子を、死者として差し出すことに、何のためらいがある!」
「ダグ王子は鬼子などではありません。あの子はむしろ、私たちより高階位の……」
「もう決まったことじゃ。王も承知しておる。口出しは無駄じゃ。さっさと、ここから出て行け!」
「ならば、せめてダグ王子ではなく、私がジュリアロスの森へ行きます。私だって王族の端くれです。だから……」
「くどいっ! そして、もう遅いわ」
「えっ?」
ラナメールはその言葉に耳を疑う。もう遅い……?
「まさかっ!」
「おまえにできることは、もう祈りを捧げることだけじゃ」
「……そんな。すでに、行ってしまったと、言うのですか?」
「……」
その無言の応答に、それまでピンとつり上がっていた目尻が、ふいに情けなく垂れ下がる。無力さを思い知らされるラナメールの顔は、今にも泣きそうになっている。
一瞬だけ、ぎゅっと固く目をつぶって、きれいな涙をポロリとこぼす。しかし再び見開いた目には、新たな決意が生まれていた。
「分かりました。私なりに、精一杯の祈りを捧げてきます」
静かにそう告げて、くるりと背を向ける少女は、けれど落ち込んだ様子はなかった。
思い込みの激しい彼女が、何を思いついたのかは知らないが、すでにことは成されている。今更、誰にもどうすることもできない、はずである。
部屋の戸口でオロオロとその様子を窺っていたオットー王子が、少女と大巫女の様子をチラチラ気にしながら、結局、立ち去るラナメールの後を付いていく。
戸口の影にいた灰色の猫は、大あくびをかまし、タンッとシッポで地面を一打ちして、執務室の前を通り過ぎていく。
部屋に一人残された大巫女ザンネは、そんな二人を静かに見送ると、背もたれを軋ませながら体を預けて深いため息をつく。
そして再びゴブレットを手に取り、ゆっくりと中身をくゆらせると、くるくると回転する澱ともども、残りを一気に飲み干していた。
熟女vs小娘! 激しい火花を散らす二人。
あんなところに、誰も口を挟めませんって。
もっと~、ガンバレ~。オットー王子……。
次回『7.指令総監──コマンドー』
あれ?
またなんか変なの、出てきた?